1_15 忍び寄る影
シェイディアン編本編完結に伴い毎日更新に切り替えます。
完結まで毎日20時更新
それは領内で広まっていた噂話から始まった。
「そして、こちらが昨日から街道筋の行商や他領の交易商人どもが吹聴して回っている噂の全容でございます」
執務デスクの上に、セバスが重々しい手つきで数枚の厚手の羊皮紙を滑らせた。 そこには、シェイディアンの南部に位置する関門や、隣接する領地の取引所で交わされた商人たちの生々しい会話の書き写しが、びっしりと控えてあった。
『あの極寒の死地と思われた常冬の領地シェイディアンで、真冬だというのに青々とした作物の緑が吹き出しているらしい』 『重工業の巨大な魔鉱炉から出る排熱を魔法の金属箱に流し込み、春の環境を完全に偽装しているのだとか』 『さらに、搾りたての特濃ミルクを使った冷たく甘い菓子まで露店で売られているそうだ。あそこはもうただの極寒地ではない、重工業と食料自給を兼ね備えた夢の領地だ――』
「……チッ。情報のキャッシングが早すぎんだよダボハゼども」
ソファに深々と背をもたれかけさせた千春は、不機嫌そのものの顔で桃色のイチゴ味の蒸気の魔鉱タバコをくゆらせた。 先日完成を見た仮想化温室。 コンテナ内部で芽吹いた『じゃがいも v1.0』の緑と、商店街を練り歩く露店商が振る舞った特製ミルクソフトの歓喜は、瞬く間に領内の熱気を爆発させた。だが、人の口に戸は立てられない。経済活動と流通が活発化すれば、それに伴って情報というパケットが外へ漏れ出すのはシステムの必然だった。
「仕方のないことさ、千春」
デスクの向こう側で、ヴォルフが苦笑を漏らす。
「我が領地が『食料自給の叶わない貧弱な領地』から『重工業と一次産業を兼ね備えた完璧な領地』へと進化を果たしたのだ。周りが放っておくはずもない。誇るべき成果だ」
「能天気なこと言ってんじゃねぇぞ、クソガキ」
千春は義手の金属指でこめかみをガリガリと掻き、深い舌打ちを漏らした。
「Webシステムで言えば、プレスリリース打った途端に想定外の大量アクセスが集中してる状態だぞ。システムが有名になってアクセス数が跳ね上がれば何が起きるか分かってんのか? ……『クラッカー』が湧くんだよ。セキュリティホールを探す害虫どもがな」
「クラッカー……? 悪意ある外部の人間か」
「ああ。特にうちみたいに、急激に価値が跳ね上がったシステムは絶好の標的だ。外部の権力者や、他領の貴族、あるいは神殿の連中が『どんな魔法を使っているのか』『脆弱性はないか』と、鼻を利かせて探りを入れてくるに決まってんだろ」
千春の冷徹な指摘に、セバスも重々しく頷いた。
「千春様の仰る通りです。すでに南部の関門では、身元を偽った不審な旅人や、魔法探知の魔導具を隠し持った行商が複数発見されております。見つけ次第拘留して尋問させておりますが、やはりバックに大きな組織がいる気配がいたします」
ヴォルフの金色の瞳に、うっすらと鋭い警戒の色が宿る。だが、千春の懸念の真の深さに、彼らはまだ気づいていなかった。
◆◆
その日の深夜。 吹雪が静まり返った領主館の自室で、千春は一人ベッドの上で横になっていた。社畜時代の長年の不眠症と胸のざわつきのせいで、なかなかスリープモードに入ることができない。
右手の平を目の前にかざしてみる。 18歳頃の華奢な少女時代の肉体。だが、その中身は44歳の自覚のまま。そして左腕には、ヴォルフが徹夜で鍛造してくれた愛おしい義手。
(……完璧な領地、か。確かにインフラの基盤は整ってきた。だが……)
その時だった。
『――おい、チハル。起きておるか』
耳元で、ねっとりとした低い声が響いた。 首元にヒヤリとした冷気が走り、ヘビの形をしたチョーカーがシャラリと音を立てその首を擡げる。
「……なんだよクソヘビ。俺は今、貴重なメンテナンス時間中なんだよ」
「キシシシ、寝ぼけている場合ではないぞ。……外の結界の境界線上に、気味の悪い『虫』が飛び交っておる」
千春は薄目を開け、身体を起こした。
「虫……?」
『境界線の魔導結界に対し、ごく微弱な魔力パルスが定期的に叩き込まれている。外壁の強度や、内部のレスポンス速度を測るような不吉な探知だ。……まるでお主たちの言う『ポートスキャン』というやつだな』
ダクネスの赤黒い双眸が、暗闇の中で妖しく光る。
『……それだけではないぞ、千春。そのスキャンを行っている連中の探知波……どうやら、お前という存在そのものをターゲットにしつつある』
千春の眉間が深く寄った。
「俺を……?」
「キシシ……少し派手に騒ぎすぎたな』
千春は背筋に冷や汗が伝わるのを感じた。シェイディアンが豊かな『完璧な領地』へと進化を始めたことで、何がその進化を起こし始めたのかという違和感の存在が検知され始めたのだ。
「……チッ。俺自身が、一番の脆弱性ってわけか」
『キシシ、恐ろしいか? 』
「ハッ、笑わせんな。何が来ようと全部叩き潰してやんよ」
千春はニヤリと不敵に笑うと、ベッドから立ち上がり、上着を羽織った。
◆◆
「――これが、過去十二時間で記録された境界線のアクセスログだ」
翌朝一番。第1魔鉱機関室と直結する中央魔導結界コンソールの前に、千春とヴォルフ、探知担当の老技師長たちが集まっていた。 千春は義手の端子をコンソールにダイレクト接続し、流れてくる魔力波形の文字列を高速で読み解いていく。
「……見てみろ。午前二時から四時にかけて、三分間隔で規則的な『PING』が叩き込まれてる。送信元は偽装されてるが、波形のパターンが一定だ。ただの山賊や盗賊の手口じゃねぇ」
画面に躍る赤黒いログ文字列を指差し、千春が冷たい声で解説する。
「外部から結界の脆いポートを探りつつ、内部の生体反応……特に『神の祝福コードを持たない未知の魔力源』――つまりこの世界の神への祈りで生まれてない俺の居場所を特定しようとしてる。……一撃必殺の『キル・プログラム』を送り込むための前処理だ」
老技師長が蒼白な顔で叫ぶ。
「な、なんと……! 我々の結界の隙間を突いて、千春様を直接狙おうというのか!?」
「ああ。現時点のターゲットは俺だ。だが、このレベルのクラッキングを仕掛けてくるってことは、相応の特級暗殺術者が近くに潜伏してる」
セバスが険しい表情で前に出た。
「ヴォルフ様。直ちに領内の警戒レベルを引き上げ、中央神殿および他領からの潜入者を遮断すべきかと」
「ああ。当然だ」
ヴォルフは静かに立ち上がると、領主としての圧倒的な威圧感と冷酷なまでの決意を纏って宣言した。
「我が領地の心臓、千春に、指一本触れさせるわけにはいかん。……全関門を封鎖し、厳重な警戒を展開する」
白銀の吹雪が窓を叩く中、シェイディアンに静かな影が忍び寄り始めていた――。
◆◆
「――全関門の通行を即時凍結。これより領主館および中央開発エリアを『警戒レベル最大』へ移行する」
翌朝。執務室に響き渡ったヴォルフガングの声は、氷点下の吹雪よりも冷たく、重かった。
「……おい、過保護クソガキ。極端すぎるだろバカ!」
自室のソファに深々と腰掛けさせられた桜木千春は、頭を抱えて怒号を飛ばした。
部屋の入口には、漆黒の甲冑に身を包んだ領主直属の精鋭騎士が四人も仁王立ちしている。廊下にも、庭園にも、館のあらゆる出入口に『アクセス拒否』の魔導結界が三重に展開されていた。
千春の移動可能領域は、自室、執務室、そして専用のトイレの三箇所だけに限定されている。
「ポートスキャン食らってんだぞ!? 防衛線を絞ってコソコソ引きこもるなんて、SEとして一番やっちゃいけない最悪の愚策だろーが!」
「愚策ではない。相手はプロの暗殺術式だ。お前の言う『ゼロデイ脆弱性』とやらを狙って、いつ物理的な割り込みが入るか分からんのだぞ」
ヴォルフは机に向かったまま、一度も千春を見ずに粛々と書類にサインを走らせていた。
「だからこそハニーポット(誘き寄せ)を作れって言ってんだよダボハゼ!!」
千春は勢いよく立ち上がり、ヴォルフのデスクをバンッ! と叩いた。
「明日のお披露目会は予定通り開け! あえて大勢集めて隙を見せるんだよ! 敵が俺を狙ってアクセスしてきた瞬間に、俺がCUIコンソールを叩いて敵のIPを特定、そのまま『シグキル(kill -9)』で一発で撃ち落とせば一撃解決だろうが!!」
その一言が出た瞬間――。
ドガァァァンっ!!!!
「――――ふざけるなッッ!!!!!」
執務室の空気が、物理的な衝撃波とともに凍りついた。
ヴォルフが激怒の面持ちでデスクを叩き割りかねない勢いで立ち上がっていた。 金色の双眸は血走っており、その鋭い眼光は千春を射殺さんばかりの凄まじい圧を孕んでいる。
「黙れッ!! お前は……お前は自分の体のことを、一体何だと思っているのだッ!!」
ヴォルフの怒号が部屋中に響き渡る。長年連れ添ったセバスすら息を呑むほどの、見たこともない感情の決壊。
「忘れたとは言わせんぞッ! あの暴走列車で……お前がその『シグキル』とやらを使った時、どうなったか忘れたのか!!」
「っ……! あ、あれは……っ」
「一週間だ!! 一週間も目が見えなくなり! 視界が真っ暗闇のまま過ごすことになったんだぞ!! あの時、俺がどれほどの思いでお前を介抱していたと思っている!!」
「っ……~〜〜〜!! ちゃんとリカバリーしただろーが!!」
「あれはたまたま一時的な失明で済んだだけだ!!」
ヴォルフの声が、激痛に耐えるようにかすかに震えた。
「相手はプロの暗殺者だぞ!? 次にそんな無茶な処理、シグキルとやらを試してみろ……今度は目どころかッ! お前の命そのものが永遠に消滅させられるかもしれんのだぞ!!」
「……ッ!!」
ヴォルフの勢いに千春は一瞬気圧される。
ヴォルフは椅子から立ち上がりゆっくりと千春に向かってその脚をむけた。一歩、また一歩と近づいていて、目の前にちゃんと今目の間に千春がいるということを確認し、その両手で千春の頬を包む。
「ハニーポットなど絶対に認めん……! 籠の鳥で結構だ!! お前はもう我が領地の心臓であり、俺の心臓なのだから……ッ!!」
その金色の目は怒りなどではなく、不安と恐怖という炎で揺らいでいた。千春は真正面からその揺らぐ炎を真っ直ぐに見据える。
ヴォルフが自分を思って、自分のために怒りという剣を抜いて自分の意見を曲げさせようとしてきている。
だが――千春は引かなかった。
千春はその両手を包み返すように義手の左手と生身の右手で覆う。
そして一瞬視線を下げて、今度は睨み返すようにその金色の目を黒い瞳で射抜く。
「……よく聞けクソガキ……!!」
「なに……?」
「『籠の鳥で結構』!? あのなぁ、過去の失敗やトラップとかのトラウマに日和ってお祈りデバッグすんのが、SEとして一番やっちゃいけねぇ致命的なバグなんだよ…」
千春は静かに言葉を紡ぐ。
「俺はな…… お前が作ってくれたこの左腕と、俺の技術で、この領地を守るって決めてんだよ。確かに最初は俺の意思関係なく連れてこられた知らない土地だ。ここで生まれたわけでも育ったわけでもねぇ。でもな、東京の息苦しい空の下で代償コードとしてただ息をするだけのクソみたいな生活じゃなくて、俺自身を見て俺を思って動いてくれる奴らがいる。こんな俺に笑ってくれるやつがいる。そんな奴らがいる場所を、俺の居場所だと俺は思っちゃいけないのか?俺は俺の技術でここがよその領地から見て羨ましがられる場所に出来るなら最高な案件じゃねーかと思ってる。だからそんな領地の奴らがせっかく前向いてデカい一歩を歩き出そうとしてる。そんな時に俺自身が危険だからって部屋に引きこもって指くわえて見てるくらいなら……最初から開発者なんてやってねぇんだよ!俺の姿が見えねぇってなったら領民人質にしてくる可能性だってあるんだぞ!それくらいやってきそうな連中だろうが!だったら俺が目の前に立ってやるっつってんだ!」
「千春……ッ!」
「俺の仕様に文句があるなら、俺以上の代替案出してみろ!! それもできねぇで一方的にアクセス拒否とか……ただの無能な仕様押し付けだろーがッ!!」
決して己の信念とエンジニアの自負を曲げない千春の眼光。 その絶対に折れない強固な意志を前にして、ヴォルフははぁ、と大きく、敗北感に満ちたため息を吐き出した。
「……っ……分かった。分かったから……そう睨むな。……妥協案を出そう」
ヴォルフは千春の肩をガシッ! と強い力で両手で掴み寄せた。 金色の瞳には、領主としての妥協ではなく、一人の男としての切実すぎる感情が溢れ出している。
「第一に、ハニーポットとしての宴会挙行は許可する。だが、お前が主張する『シグキル』などの自傷的な大技の使用は絶対に禁ずる。そして……そしてお前も私と約束しろ、千春ッ!!」
「っ……!? な、なんだよ……ッ」
「絶対、俺から離れるな!! たった一人でどうにかしようとするな……俺を頼れッ!! 俺は絶対にお前を守る! 頼むから……俺にお前を守らせてくれ……ッ!!」
「ヴォル……フ……」
「俺はお前の技術も、その不屈の信念も……誰よりも信じている!! だからお前も……俺を信じろ」
最後、ヴォルフは千春に静かに言い聞かせるようにその額に自身の額をすり合わせた。
「――――ッ」
千春の呼吸が止まった。 顔面を沸騰させ、ヴォルフのコートの胸元を力任せに掴み返す。
「……っ~〜〜〜〜〜〜〜っっ!! 頼るも何も……最初から頼ってんだよ、ダボハゼ……ッ!!」
「千春……」
「無策でハニーポットなんか組めるわけねぇだろ!! てめーが最強の盾として俺を守る……だから、てめーに俺の背中を預けてんだよッ!!」
千春は涙目になりながら、ヴォルフを鋭く睨みつけた。
「背中預ける代わりに俺はフロントでふざけた奴らをぶっ潰す!領民には絶対手を出させねぇ!この領地に領民の血は流させねぇよ! そしててめーは何かあったら俺を守るだろ……!? だったら、背中合わせで叩き潰す以外に何があるってんだよバカガキ……ッ!!」
「――――っ」
ヴォルフの金色の瞳が大きく見開かれ、やがて胸を揺さぶるような愛おしさと笑みが溢れ出した。
「……ああ。そうだ。お前の背中は……俺の命に代えても守ってみせる」
二人の間で、固く激しい信頼の契約が交わされた。
だが――二人はまだ知らなかった。 この言葉が、のちに二人の運命を激しく狂わせる『呪いと誓い』になることを。
◆◆
領主館から数キロ離れた、外縁部を囲む雪深く険しい山脈の影。 視界を白く染め上げる強烈な吹雪の中に、一人の人物が身を潜めていた。
頭から全身を漆黒の防寒外套で覆った影。 その男の手元には、一般の魔導士には決して扱えない、異様な形状をした『漆黒の魔導端末』が浮かんでいた。
「……見つけたぞ。『バグの聖女』」
男の掠れた声が、吹雪の音の中に溶けていく。 端末の画面には、シェイディアン領を包み込む三重の防御結界の透過図と、その内側で呼吸する人々の魔力反応がリアルタイムでスキャンされていた。
[CRACKING ENGINE: ACTIVE]
Target: Shadyan Core Barrier
Scanning Ports...
[PORT 8080: CLOSED]
[PORT 443: CLOSED]
[PORT 042: ZERO-DAY VULNERABILITY DETECTED]
男の唇が、狂気と嘲笑を含んで歪む。
「どれほど厳重に結界を固めようと無駄だ……。あのバグの聖女が持ち込んだ『異世界のコード』そのものが、この世界の理にとっての最大の脆弱性なのだからな。確かにあの力があれば我ら赤の領地の根本的な危機は脱せられるかもしれん。しかしその前に今は赤の領地が王都を乗っ取り国を掴むために、この死の領地がこれ以上大きくなられると困るんだよ。あの面倒な領主ともども消し去ってくれる。この赤の領主様が持たせてくれた即死魔術銃でな」
暗殺者は細い指先を滑らせ、端末へ殺戮の術式パターンが流れていく小さなが画面を見つめて口端を上げる。
「明日の夜……全領民が集う決起会か。大勢の魔力反応が入り乱れ、結界の処理負荷が最大に跳ね上がる最高のタイミングだ。その時がお前たちの最後の夜だ」
吹雪の切れ間から見下ろすシェイディアンの街並み。 明日のお披露目を前に、あたたかな灯火がいくつも揺れている。
「楽しむといい、最後の祝宴を。……混雑に乗じて結界のセキュリティホールとやらを突き、お前たちの『心臓』へ、直接、この魔術を叩き込んでやる」
魔術銃と呼んだ銃から、ピー、と小さなデジタル音が響く。引き金の上、小さな液晶画面に(kill -9 / SIGKILL)の文字が浮かんでいた。
暗殺者の瞳に宿る、漆黒の殺意。 嵐の前の静けさを破るように、破滅のカウントダウンがひそかに始まりを告げていた――。




