第10話「銀の刃と隠し通路」
呼吸のたびに喉の奥が焼け焦げる。
視界は濃い灰色の煙に覆い尽くされ、目を開けていることすら困難だった。
ノアは床を這い、炎の熱を避けながら壁際を手探りで進む。
木製の調度品が炭化し、崩れ落ちる乾いた音が部屋の中に響く。
隠し扉の輪郭を指先が捉えた瞬間、背後の樫の扉が凄まじい衝撃と共に吹き飛んだ。
砕けた木片がノアの頬を掠め、一筋の血が流れる。
煙を切り裂き、純白の法衣に身を包んだ三人の兵士が踏み込んできた。
白磁の仮面の奥で、感情を欠いた冷たい瞳がノアを射抜く。
無言のまま、先頭の男が銀色に輝く長剣を高く振り上げた。
剣身に刻まれた教団の紋章が、炎の光を反射して禍々しく光る。
死の予感に全身の筋肉が硬直した。
逃げることも防ぐこともできない。
剣が空気を裂いて振り下ろされる。
その直前、窓の残骸を蹴り破り、黒い影が部屋へ乱入した。
旋風のごとき速度でノアの前に立ち塞がる。
アルカディアの漆黒のマントが、炎を煽って大きく翻った。
彼の手刀が男の胸当てを紙のように貫き、心臓を直接握り潰す。
絶命した男が崩れ落ちるより早く、残る二人が同時にアルカディアへと襲いかかった。
狭い室内、さらに燃え盛る炎がアルカディアの動きを制限している。
鋭い剣閃が空を切り、銀の刃がアルカディアの背中を斜めに切り裂いた。
肉を焼く酷い異臭が立ち昇る。
吸血鬼にとって致死の毒である銀の傷口からは、どす黒い血が止めどなく溢れ出した。
アルカディアの喉から、苦痛を押し殺した低い唸りが漏れる。
彼は振り返りざまに長い脚を振り抜き、二人の兵士の首の骨を容赦なく砕いた。
物言わぬ肉塊が床に転がる。
アルカディアは片膝をつき、激しく肩を上下させた。
銀の毒が彼の細胞を破壊し、自己治癒の力を著しく阻害しているのだ。
ノアは駆け寄り、彼の腕を支えようとした。
「アルカディア」
アルカディアはノアの手を振り払う。
血塗れの指先で、ノアの後ろにある壁の彫刻を強く押し込んだ。
重い石の摩擦音が響き、壁の一部が回転して暗い通路が口を開く。
冷たい地下の空気が、炎の熱を切り裂いて吹き出してきた。
「行け」
掠れた、しかし強い意志の宿る声だった。
ノアの襟首を掴み、強引に通路の中へと押し込む。
「嫌だ。あなたも一緒に」
「外の魔法陣が完成すれば、城全体が浄化の炎に包まれる。私の傷ではもう結界を突破できない」
アルカディアの赤い瞳が、真っ直ぐにノアを見つめた。
そこにあるのは、かつての冷酷な王の威厳ではない。
ただ一人の大切な者を守り抜こうとする、不器用で必死な男の姿だった。
「生きろ。お前のその泥だらけの手で、花を咲かせ続けろ」
アルカディアが隠し扉のレバーを引く。
石の壁がゆっくりと閉まり始める。
ノアが伸ばした手は、アルカディアの指先に僅かに触れただけで、空を切った。
完全に壁が閉ざされ、真の暗闇がノアを包み込む。
壁の向こうからさらに多くの兵士が踏み込んでくる気配と、アルカディアの低い咆哮が聞こえた。




