第9話「結界の崩壊と狂信者たち」
夜の平穏が、突如として無惨に引き裂かれた。
耳をつんざくような硬質な破砕音が、城全体を大きく揺らす。
ステンドグラスが粉々に砕け散り、色とりどりの破片が月光を反射しながら床へ降り注いだ。
ノアは咄嗟に身をすくめ、アルカディアの背後に隠れる。
焦げたような異臭と、オゾンの鋭い匂いが鼻腔を突いた。
城の敷地を長年覆っていた強固な魔法の結界が、外側からの強大な力によってガラス細工のように破壊されたのだ。
アルカディアの纏う空気が、一瞬にして氷のように冷酷なものへと変貌する。
彼の赤い瞳が、窓の外の暗闇を鋭く睨みつけた。
「……鼠どもが」
地を這うような低い声。
中庭の枯れた噴水を取り囲むように、無数の松明の炎が浮かび上がっていた。
炎に照らし出されたのは、白磁のような仮面で顔を隠し、純白の法衣に身を包んだ数十人の集団だ。
手には銀で鍛えられた長剣や、聖水の入ったガラス瓶が握られている。
吸血鬼を狩ることを唯一の教義とする、狂信的な教団の兵士たちだ。
彼らは整然とした陣形を組み、無言のまま城の入り口へと歩みを進めてくる。
その足音は統制され、まるで一つの巨大な生き物のように不気味な圧迫感を放っていた。
アルカディアはノアの手首を掴み、窓辺から強引に引き剥がした。
「ここを離れるな。扉の鍵を閉めろ」
言い残して、背を向けようとする。
しかし、ノアはそのマントの裾を強く握りしめた。
「アルカディア……っ」
「心配するな。ただの掃除だ」
振り返らずに答える背中は、肌を粟立たせるような底知れぬ冷気と重圧を纏っていた。
マントを翻し、アルカディアが部屋を出ていく。
重いオーク材の扉が閉まり、ノアは一人残された。
言われた通りに真鍮の鍵を回すが、震える手が言うことを聞かない。
遠くから、金属が激しくぶつかり合う音と、短い悲鳴が聞こえてきた。
戦闘が始まったのだ。
壁越しに伝わる微かな地響きと、空気を震わせるような重低音が、彼の焦燥を煽る。
アルカディアの動きは人の目を置き去りにするほど速く、その爪は鋼鉄の鎧すら紙のように引き裂く。
人間の兵士が束になっても、敵うはずがない。
そう自分に言い聞かせるが、不安は黒い染みのように胸の奥で広がっていく。
結界を破るほどの力を持った集団が、無策で城に攻め込んでくるはずがない。
不意に、窓の外から強い光が差し込んだ。
ノアは這うようにして窓枠の下へ移動し、そっと外を窺う。
中庭に、奇妙な幾何学模様が銀色の光で描かれていた。
兵士たちが詠唱を合わせ、巨大な魔法陣を形成しているのだ。
その中心には、巨大な銀の杭が打ち込まれている。
標的は、王ではない。
ノアは背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。
風に乗って、教団の指揮官の声が微かに届く。
『穢れたΩを炙り出せ。王の血を啜る贄を断ち切り、その力を削げ』
彼らの目的は、アルカディアに人間らしい感情を取り戻させ、隙を生んだ自分を殺すことだった。
ノアは自分の浅はかさを呪った。
自分の存在が、アルカディアを危険に晒している。
窓ガラスの割れた隙間から、銀の矢が火を噴きながら部屋の中へ飛び込んできた。
絨毯に突き刺さり、炎が瞬く間に燃え広がる。
乾燥しきった古い絨毯は格好の燃料となり、赤い舌を伸ばして部屋の空気を貪り食っていく。
熱と煙が立ち込め、呼吸するたびに肺が焼け焦げるように痛んだ。
逃げなければ。
ノアは這い蹲りながら、煙を避けて部屋の奥にある隠し扉へと向かった。




