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薬師はエルフにブチ切れる


 つい、数日前。キノはムライのことを仲間を飛び越えて親友だと思っていいのではないかと思ったばかりだった。

 しかし、その考えを全面的に撤回なければならなくなった。

 そして、訂正しよう。

 このムライというエルフはとんでもない鬼畜大魔神である、と。

 キノは自分の喉が切れるのを覚悟で叫び懇願する。

「ムライさん無理です!私1人でジャイアントグリスリーの討伐は絶対に無理!はちみつ大好きなのにデカくてヤバいです!」

「はちみつ大好きなのに?」

「怖いっ!もう少し、ヤツの顔を可愛くしてくださいよ!誰だよ。はちみつ大好きな癖に、ジャイアントグリスリーをあんな厳つい顔にさせたのは!」

 最早、自分が何を言っているのか分からない文句を喚き散らし、キノはムライに地団駄を踏みながらブチ切れる。

 手っ取り早く戦闘能力を底上げさせるには実戦が一番だと、キノを引き連れて冒険者ギルドの掲示板に向かったのが昨日のことである。

 掲示板には依頼主が冒険者ギルドに申請した依頼内容とその報酬額が書かれた用紙が所狭しと貼り付けられていた。

 初心者向けの化けネズミや大ムカデ退治や、CランクやBランクが対象の難易度の魔物退治。最低賃金の護衛の依頼。薬草摘みの依頼などなど。

 ムライはそれら全てにザッと目を通した後、ある一枚の依頼内容に目の焦点を止めて、手を伸ばす。

「それでは手始めにこの魔物、ジャイアントグリスリーをキノさんお1人で討伐してみましょう」

 おっっふっ!キノは汚い濁音を混ぜながら勢い良く吹き出す。

「ちょ、ちょっと待ってください!ジャイアントグリスリーって、それ難易度Cランク対象の魔物ですよ!」

 どう考えてもDランクの非戦闘員が敵う相手ではない。無理だと、キノは力の限り首を横に振る。

 しかし、そんなキノの必死の抵抗は虚しく、ムライの中の慈悲の心は揺さぶられることはなかった。

「依頼を決めたら早速武器を買いに行きましょうか。」

「いやいや、自分話を聞いてますか!自分、雑魚すぎて魔物の餌にしかなりませんって!」

 此処が何処だかも忘れてムライの温情を乞うキノの背中には、遠巻きながら様子を伺う他の冒険者達の視線をチクチク感じるも形振り構っていられない。

「あ、ご安心してください。初期費用は私が払いますので」

「こっちの話を少しも聞いてない…だと…」

 ショックのあまりキノは数歩後ろに下がるもムライは容赦しなかった。

 キノの首根っこをむんずと掴むと、そのまま外へと連れ出したのだ。

「手始めにキノさんには弓矢で戦ってもらいましょう」

「弓矢です……か」

 不意に元パーティーメンバーの弓使いリリーの顔が浮かび上がる。

 愛らしい顔をしたリリーは見た目に反して、鋭く卓越した弓の実力者だった。どれほど遠くにいる獲物であろうと寸分狂わぬ正確さを持って的中させていた。

 視力の悪い自分には絶対に出来ない達人芸である。

「私が今からキノさんに教えるのはあくまで貴女に合った戦い方です。だから、他の冒険者と自身を比較する必要はありません」

 キノが何を誰を思い浮かべているのか、察したのだろう。ムライは補足を加える。

「自分に合った戦い方なんてあるんでしょうか」

 戦闘訓練を指導しているプルドーに断られたことをキノは思い出し、どんよりと重い雲がキノの心を分厚く覆い始める。

「あるから、私がここに居るんですよ」

 それをムライが強引に切り裂く。瞬間、キノの呼吸が止まって、思わず顔を上げていた。

 少しの迷いも無い普段と何も変わらない彼の様子に、キノの中で僅かな篝火が灯る。

 ムライさん。と、キノは声を掛ける。

「ありがとうございます。もう引きずらなくて大丈夫です。1人で歩きます」

「おや、そうですか。また逃げたくなったら言ってください」

「見逃してくれるんですか?」

「いいえ、また首根っこを掴んで連れて行きますので」

「容赦がないなぁ」

 キノはクスリと笑ってから「自分、もう逃げませんよ」と言って、拳を軽く握り締めながらムライに自身のやる気を伝えた。

 しかし、それも劣悪品が多いと評判の武器屋に到着するまでの短いやる気であった。

「あ、あの…ムライさん。ここでの武器を買おうとしているのなら止めましょう。確かにこの店は普通の武器屋より安価ではありますが、劣化品が多いんですよ」

 自分の武器を買うつもりならば本当にやめてくれ。と、キノは頬の筋肉が分かりやすいくらいにヒクヒクと引き攣る。

「えぇ、だからここに来ました」

 言ったでしょう。これから貴女が学ぶのは方法だと。そう言って、ムライは定価から更に値切って弓と大量の矢を購入する。

「あのですね。ムライさんは知らないかも知れませんが、武器というの性能性や耐久性次第で生死に直結するものなんですよ」

「えぇ、そうですよ。それでは次にこの武器の扱い方を教えましょう」

 引き返すことになりますが、ギルドの鍛錬場を貸してもらいましょうかと、ムライは結論付けるとキノを見る。

「おや、キノさん。どうかしましたか?」

「いや、死にたくないなぁっと」

「良い心がけです。その気持ちを忘れては行けませんよ。何事も初心が大事です」

「どうしたら、命乞いだってムライさんに気づいてもらえるんだろう」

「逃げたくなりましたか?」

「いいえ、こうなったら、行くところまで行ってやろうと思います」

 その意気です。と、不意に微笑んだムライの表情にキノは驚いて、ポカンと口を開けてその場に立ち尽くしてしまった。



「両足の先を開き、重心は踵へ。背筋を伸ばし、胸を張る。左肩を上げすぎないように注意してください」

 狙いが定ったら5秒以上待ちそこから矢を放つ。ムライはキノに弓を放つ姿勢や動作を教え込んだ。

 わずか数時間の弓の練習ではあったが、ムライの教え方は適切でキノが放つ弓は何とか的に当たるようになったのだ。

 言ってしまえば、その程度の素人から毛が生えた経験値なのである。

 それが昨日のこと。

 そして、本日。冒険者ギルドに依頼申請をしたリドルジュ村はオーディンから馬車で半日の所にある蜂蜜作りが盛んな村である。

 特に春先にかけては熟した蜂蜜の甘さに釣られた魔物が多く出没し、度々冒険者ギルドに依頼をするのだ。

 今回の討伐対象であるジャイアントグリスリー身長およそ5メートル。分厚く硬いに皮膚に鋭い爪。巨大な岩を一振りで粉々に出来る怪力を持ち、気性が荒く獰猛。

 肉食であるのはもちろん大の蜂蜜が好物であるジャイアントグリスリーはリドルジュ村の人々を襲いながら、収穫前の蜂蜜を食らい尽くす。魔物災害の代表格である。

 そんな魔物を前にムライはキノに言う。

「ジャイアントグリスリーが数体いるわけでなし。怖がる必要は何もありません。昨日の弓の練習を思い出して、ジャイアントグリスリーを討伐してみましょう」

「こんな粗悪品の弓と矢で?」

「的が大きいから当てやすいでしょう」

 ムライのその一言で、昨日の「キノさんお1人で討伐してみましょう」のセリフを思い出す。

 呆然として動けずにいるキノの首にムライはグリフォンの装飾が施された煌めく銀の首飾りを掛けた。

「この首飾りにはエルフだけが使える守りのまじないが掛けられています。身につけていれば大抵の攻撃を避けることができます」

「綺麗……ですね」

 飾り物に少しも興味のないキノが思わず呟いていたグリフォンの首飾り、瞳に嵌められた力強く輝く赤い宝石がムライの瞳の色に似ている。

「気に入ってもらえて良かったです」

 目をスッと細めたムライの表情にキノは一瞬見惚れて、ハッと正気を取り戻す。

「え、えっと、つまりこのお守りって、弓避けの魔法の類ってことですか?」

「いいえ、ただ持ち主の危険を察知して、安全な方に動かしてくれます。主に狩をする時の掛けるまじないですね」

 キノさん。と、ムライは改まった口調で言う。

「良いですか。魔物と対峙するのが怖いと思うのはこの際仕方がなありません。しかし、過度な恐怖は貴女の足の動きを鈍くします。イメージしてください。キノさんは凶悪なジャイアントグリスリーと戦うのではありません。はちみつ大好き森のジャイアントグリスリーと戦うのです」

「あれ?ちょっと可愛く聞こえる」

 恐怖で脳が混乱しているのか、ムライの口が上手いのか。不思議と倒せるような錯覚をキノは覚えた。

「よろしい。それでは最終確認です。矢の先端に毒を塗り込みましたか?」

「はい。万事抜かりなく」

 キノは力強く頷く。

 ムライがキノに授けた戦法というのは毒矢である。

 体のどの部分に刺さっても獲物を仕留め損ねる心配がなく。射抜いたい後は弱るまで逃げ続ければいい。安い消耗品の弓矢を大量に買い込んだので、何度失敗してもやり直すことも可能。

 初めて聞いた時はエゲツない戦い方だと思ったと同時に、この戦い方ならば非力な自分であっても勝てるかもしれないと光明が見えたのも事実。

「それでは最後に、万が一の時の解毒薬は作りましたか?」

「はい。バッチリです」

 キノはウエストポーチに手を掛ける。

 ポイズン料理のレパートリーを増やす過程で完成した自家製の毒の瓶を昨日ムライに渡された。

 Bランクから討伐可能とされているミノタウロスくらいならば一発で仕留められる即効性の威力を持っている劇薬中の劇薬。信じられないことに精製したムライは面倒を理由に解毒薬を作っていないというので、急ピッチで解毒薬を精製した。

 ムライは軽く頷いた後、語句を強めた。

「ならば、恐れることは何もありません。自信を持って、はちみつ大好き森のジャイアントグリスリーを討伐するのです!」

 気づけばキノは「うおおおっ!」と力強い雄叫びを上げていた。

「はちみつ大好き森のジャイアントグリスリー覚悟ぉ!今日がお前の命日だぁぁあ!」

 キノは毒矢を構えて、ジャイアントグリスリーに向かって駆け出した————そして、自身の目でしっかりとジャイアントグリスリーを目視したキノは悲鳴を上げながらムライの方に駆け戻る。

 そして、今現在。

 すっかり恐怖に支配されたキノは泣き喚きながらムライの前に立つ。

 対して、ムライは平素である。

「キノさん以外にノリが良いので、この方法で行けると思ったんですが。やはりダメでしたか」

「いや、ノリが良くても無理ですって!ノリとその場のテンションで勝てる相手じゃ無いでしょう!あのまま突っ込んでたら絶対に身を滅ぼしてましたよ!」

「私が側に居るのに?」

「全然、近くない。もっと自分の近くに居てください!っというか、一緒に戦ってください!」

 うん。と、ムライが言うまでキノはこの場から梃子でも動くつもりは無い。

 困りましたねぇ。と、ムライは考えるように腕を組む。困ったのはこちらの方であるとキノは目を血走らせながらギリギリと歯を食い縛り睨み上げる。

「キノさん。知ってましたか?軽い脳の刺激は成長に良いみたいですよ」

「だから何ですか。軽い刺激どころか、脳が重傷負いますよ!トラウマを産み落とされますよ!」

「そうなったら、その時に考えましょう。さっ、もうひと踏ん張り頑張ってください」

 ついにムライはキノを宥めるのが面倒になったらしい。まるで、壊れ物でも扱うようにキノを丁寧に抱き上げた。

「え、ちょっ、ムライさん」

「ジャイアントグリスリーの所までお連れします」

「おぎゃああああっっ、イヤじゃああああああ」

「ほら、あまり暴れるとメガネを落としますよ」

 もうキノの耳にはムライの忠告は届かない。ただひたすらに彼の腕の中で必死にもがき足掻くだけである。しかし、キノを抱くムライの腕は少しも緩むことはなく、それどころかキノを決して落とすまいとする腕の力が強くなる。

「さぁ、到着しましたよ。それでは健闘を祈ります」

「うぎゃああああ!ジャイアントグリスリー近いぃぃぃ!!」

 ムライがふわりっと優しくキノを地面を下ろした。その面前はジャイアントグリスリーが立つ。

「大丈夫です。私が居るのだから死ぬことはありませんよ」

「ムライさぁぁん」

「ほら、ジャイアントグリスリーが攻撃してきましたよ」

 涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになったキノはムライに泣き縋ろうとする直前、ムライはキノの肩を軽く押した。

 瞬間、ムライとキノの間にジャイアントグリスリーの剛腕な一撃。それによって二人は完全に引き離された。

 グオオっ、と大地を切り裂くような悍ましい唸り声に足が竦む。ガチガチと歯の奥が鳴り、体を芯から震わせているキノの前にジャイアントグリスリーが立ち塞がる。

 あ、無理だ。逃げようと咄嗟に後ろを振り向けば、ジッと睨みつけるムライと目が合った。

 前門にジャイアントグリスリー、後門にムライ……つまりどちらも死ぬ!

 その結論に至ったキノは「うをおおおおっっっ」と、甲高く叫び弓を引く。


 ◯


 そこから2時間後。

 力尽きて地面に横たわるジャイアントグリスリーを前に「おっしゃっオラっっ!!」と猛々しく拳を握り締めるキノが立つ。 。

「キノさん大変に素晴らしい戦いでした。以前、パーティーの後方で支援していた方と同一人物とは思えません」

 拍手と共に賛辞を贈るムライの声に反応したキノはギロリと睨め付けると「をらぁぁっ」と、叫びながらムライの腹部にパンチ。からのパンチ、パンチ、パンチ、パンチ……キノは興奮冷めやらぬ勢いのまま何度も己の拳でムライを殴り付けた。

「をらぁっ!」

 最後の最後、渾身の力を込めて殴った拳はムライの腹部にポスっという軽い音を鳴らて、キノはようやく殴るのをやめた。

「気は済みましたか?」

「ま、まぁ……今日はこの辺で勘弁してあげます」

 ゼェゼェと息も絶え絶えにキノは強がって見せるとムライは「助かります」と涼しい顔で告げる。

「思ったより早く討伐が終わったので、報告の前に何か甘いものでも口に入れましょうか」

「じ、自分……て、手持ちが……」

「奢りますよ」

 こうして、キノはムライと共に甘味屋に行く。

 出来立てのパンケーキの上にバターと甘い蜂蜜がたっぷりと掛けられたパンケーキの香ばしい匂い。先の戦闘によって活性化されたキノの凶暴性がゆっくりと沈静化される。

 自然と口の中に溜まった唾をゴクリっと飲み込んだキノは「いただきまーす!」と言葉と同時に口に含んだ。

「やっぱり、疲れた時は甘いものですよねぇ」

「えぇ、本当にそうですね」

「ムライさんは少しも疲れてないでしょう」

「何もせずに立っていることに疲れたのですよ」

「だったら、手伝ってくれても良かったじゃないですか。何回、走馬灯を見たと思ってるんですか!」

 自分と同じパンケーキを食しながら、しれっと憎たらしい事を口にするムライにキノは思わず噛み付く。しかし、ムライの表情は少しも崩れない。

「でも、倒せた。その達成感はキノさんの強い自信に繋がりますよ」

 よく頑張りました。と、真っ直ぐに伝えられたキノは返す言葉を忘れた。

「でも、自分がやった事なんて、毒矢を刺しただけですし、それだって一回で刺さりませんでした。攻撃を避けられたのもエルフのおまじないがあったからで、自分の実力じゃないですよ」

「いいえ、全てキノさんの実力です。貴女は目に見える形で強くなったのですよ。私を殴ったのも含めてね」

 あ、やっべとキノの血の気がサァッと引く。

「そこで提案なんですが、私たち一緒に暮らしませんか?」

「本当にすみません。殴った事は誠心誠意心を込めて謝罪のでどうかその罰だけは勘弁してください。まだ死にたくないです」

「別に殺しませんし、少しも怒ってないですよ」

 誠心誠意心を込めて頭を下げるキノの様子を不思議そうに見詰めながら、ムライは大口を開けてガブリっとパンケーキを食べる。

「前から思ってたんですよ。ここ最近、頻繁にキノさんの家にお邪魔しますが、薬の研究をするには部屋が狭いんですよね」

 二人で家賃を折半すれば、もう少し広い家に住むことが可能であり、研究室も広くなるというのがムライの見解である。

 それを聞いたキノは確かにそれは一理あるなと思った。しかし一方で、キノは資金の面で大きな不安があった。

「誘ってくれるのは嬉しいんですけど、やっぱり金銭的に厳しいお話ですかね。ほら、薬を作る材料費って割高なのが多くて」

「その点は問題ありません。キノさんであれば私以上に財を得る方法があります」

「えっと、やっぱり片足を売るとかですか?」

 キノは自然と自分の片足を軽く摩る。

「いいえ、これまでキノさんの金策行動を見させていただきましたが、キノさんは冒険者ギルドに回復薬のポーションやその他諸々の薬品を販売してますね」

「まぁ、でも回復薬のポーションは材料自体が高価なので仕入れられた時に作って売ってます。あ、きちんと商人ギルドに登録してますから真っ当な商売ですよ」

「わかっています。私が言いたいのはポーションのレシピを冒険者ギルドに売ってはどうかということです」

「レシピをですか?」

 その意図がわからずにキノは目を丸くする。

「えぇ、キノさんの作る薬はどれも効きが良いとギルド内で評判なんですよ。そんなキノさんの作る薬のレシピを売りつけます。薬が捌けた売り上げの3割をキノさんにお支払いする」

「教えるのはいいですけど。薬の手順って難しくて、特にポーションを教えるのは……」

「ならばポーション以外の簡単な薬のレシピを教えれば良いのですよ。先ずはキノさんがよく作る風邪専用の飴玉なんてどうでしょう?」

「それなら、でも、どうして風邪薬なんですか?」

「基本的に風邪は回復ポーションでは治らず薬湯と決まっています。しかし、一般的な薬湯は苦くて不味いから私を含めて飲みたがる人が少ない」

「ムライさん苦いの嫌いなんですね」

 はい、嫌いです。と、ムライは迷いない瞳で真っ直ぐに答えた。

「キノさんの作る風邪薬は飴ということもあって甘くて食べやすい。良薬口に甘し、とは私の人生で初めての経験でした」

「喜んでいただけて良かったです。自分も薬湯の苦さが苦手で甘かったら飲めるのにと子供の時から思ってたんですよ。でも、どうして冒険者ギルドに?商人ギルドではなく」

 商人ギルドに売りつけた方がよほどお金になるだろう。

「冒険者ギルドには風邪薬を欲しがる体調管理が出来ないバカが多いので、風邪薬を欲しがる方が実は普通に生活している方よりずっと多いんですよ」

 他にも商人ギルドだとレシピの内容がいくつもの仲介者に回され、経由されて行くうちに正当な利益が支払われない可能性がある。

「手始めに商売をするなら先ずは自分の目に届く範囲で、需要が多いところでが鉄則です」

「そんなに上手くいくでしょうか。自分、商売……というか交渉とか苦手で」

 加えて、これから交渉する相手にもキノは気が引けていた。

 オーディンは国で一、二を争う巨大ダンジョン都市である。

 冒険者の数はもちろんのこと、その冒険者ギルドを一任されているギルドマスターのスイテンは、透き通るような白い肌に輝く黄金色の髪と瞳を携える美男のエルフである。

 自国の王族や貴族はもちろんのこと他国の有力者にも広く顔が利く。冒険者Aランクの称号を持つ絶対的支配者。

 一部の噂では300年前に魔王討伐に成功した勇者パーティーのメンバーだったとか。

 キノは数回ほど遠くからスイテン見たことがあるが、その輝かしい経歴と圧倒的な雰囲気に一種の畏れを抱いていた。

「その辺はご安心ください。ギルドマスターとは顔見知りの仲なので私が間に入りましょう。キノさんには銅貨ひとつであっても損はさせません」

 確かにムライもスイテン同様エルフであり、近しい仲であっても何ら不思議では無い。

 が、ムライとスイテンが交流している場面にキノは遭遇した事がなかった。

 しかし、あのムライが嘘をついているとも考え難く。一抹の不安を抱きながらもキノはムライに全てを任せる事にした。


「やぁ、ムライ。お前が俺に用事だなんて珍しい。ようやくギルド職員として働く気になったか?」

「ご機嫌ようスイテンさん。早速ですが商談と行きましょう。この薬のレシピで作った薬の売り上げの3割を我々によこせ。さすれば命は助けてやらん事はない」

「ムライさんやめてください。商談の仕方がほぼ魔王です。ギルドマスターの首をガッツリ締め上げながら脅迫しない出ください」

 あ、ヤバい。この展開は少しも想定していなかった。と、キノはムライが時々とんでもないぶっ飛び方をする事を今更ながらに思い出す。

 ムライはこれでもかと負のオーラを漂わせながら、スイテンをの首を締め上げるその腕を掴んでキノは必死に宥めつかせた。

 はぁっとムライはため息をひとつ。

「キノさん。私は魔王ではなくエルフです」

 そう言って、スイテンの首を離したムライはソファに座る。

「ゲボっ、ありがとう…冒険者キノ。助かったよ。ムライは頭のネジが数本ぶっ飛んでいるのか、手加減ってもんを知らなくてね」

 あははっと美しく穏やかに笑うスイテンの様子に、忌々しいものでも見ているかのようにムライが舌打ちをする。

「キノさん。コイツは今でこそギルドマスターなんて地位にいますがね。私とパーティーを組んだ時なんて、しょっちゅう面倒事を起こしては、度々私に尻に拭いさせる大問題児です。その癖、性懲りも無く私にギルド職員になれと今だに誘ってくる迷惑エルフ」

 貴方の面倒を見るのはもう懲り懲りです。と、憤慨するムライを前にしてもスイテンの表情は少しも崩れなかった。

「あははっ、また振られちゃった。でも、もし気が向いたら声掛けてよ。ギルドマスターの権限でいい役職に就かせるからさ」

「お断りします」

「えっと、つまりお二人は友人関係で、今のはやり取りは戯れ合って至ってことですかね?」

 違います。と、即答するのはムライ。

 そうだよ。と、即答するのはスイテン。

 似たもの同士という言葉がキノの頭の中で浮かぶ。

「そんな事より聞いたよムライ。お前、冒険者マーベリックのパーティーを抜けたらしいね」

「えぇ、もう新たに組み直しましたよ。申請した筈ですが」

「俺が聞きたいのはそういう事じゃないってわかってるだろう。お前、前のパーティー結構気に入ってたじゃないか。どうして、そんな急にやめたんだい?」

 スイテンの言葉にキノはピタリと動きを止めて、ほぼ反射的にムライを見る。

 瞬間、キノの心臓がドキリと跳ねる。既にムライがこちらを向いていたからだ。

「パーティーを抜けた事に何も未練はありません」

「そう……なん、ですか」

「キノさん。貴女に対して、私は嘘や偽りを絶対に語ることはありません。今ここで、お約束します」

 その力強い口調に当てられたキノは思わず息を呑む。

 それから、異様なほどに胸がムズムズと痒くなってたと思えば、胸が締め付けられるみたいに痛くなって——————キノはそのままムライの視線から逃げるようにプイッと目を逸らしてしまった。

「キノさん。今だけは私の顔を怖がらないで、キチンと返事してください。わかりましたか?」

「ぎ、御意……」

 キノは裏返った声で応じるが、相手の耳には聞こえ辛かったらしい。

「え、ぎょ?すみません。もう一度、よく聞こえませんでした。っというか、こちらを向いてください」

「か、勘弁してくだせぇ。親方……」

「ちょっと誰が親方ですか。せめて、もっと別の呼ばる方がいいです。例えばっ」

「おーい。ちょいと、そこのお二人さん。俺が居るってこと忘れてるんじゃないのかい?今は商談中のはずだろう」

 スイテンのその声にキノはハッと正気を取り戻し、ぐるりとそちらを振り向けば苦笑いしたまま軽く手を振るスイテンと目が合う。 ムライが再び舌打ちをする。 

「そのまま一生口を閉じてればいいのに」

「それだと話が進まないだろう。ムライは俺に会いに来てくれたんだよね……あ、そうか、そういうことか」

 そこで何かを察したらしい。スイテンは納得したように何度も頷いてからキノを見て、あははっと手を叩きながら笑い出す。

「あははっ、なるほどなぁ。つまり、今のお前は絶好調ってわけだ。そりゃあ、俺にも会いに来るし、張り切るわけだよ」

「スイテンさん。それ以上、無駄口を叩くようなら次はありませんよ」

 普段の低い声から更に腹の底から低くしたムライの声があまりにも恐ろしく。事の成り行きをハラハラしながら見ていたキノはヒィッと恐怖の悲鳴を上げる。

「すまない。わかった。そう言う事なら、ここからは仕事の話をしよう」

 スイテンは空咳を一つしてから、キノが書いた風邪薬の調合表に目を通して行く。

「ほぉ、風邪薬って言うもんだから、どんな苦い薬湯かと思ったら、飴玉なのか。食べやすそうで良い。何か、キッカケがあったのかな?」

 スイテンはそう言って、キノに視線を向ける。

「キッカケは前に所属していたパーティーメンバーの1人に薬湯は苦くて嫌だと言われたからですね」

「その1人はもしかしてムライのことかい?」

「いえ、ムライさんが加入する前の話です」

「おや、それは残念。コイツはポイズン料理なんて物騒な料理にハマってるのに苦いのがてんでダメだから、いや、冒険者キノが調合した薬湯ならどんだけ苦くても文句は言わないか」

「ムライさんはそう言った我儘は言わない方でからね」

 キノはスイテンの言葉に大きく頷き同意するが、何故か肩透かしを喰らったように「それはそうなんだけど……」と、スイテンは首を傾げる。

「うーん。まぁ、ムライの頑張り次第ってところか。うん。大体わかった」

「おい」

 ムライの一段と低い声と鋭い眼光がスイテンを凝視する。

「わかってるよ。そんな顔しないでムライ。売り上げの3割を君たちに渡せばいいんだよね?」

「売り上げの5割だ」

「ちゃっかり値上げしないでおくれ。ウチお抱えの薬屋に頼んで一週間後にはギルドで販売するから、来月の月初めに売り上げを渡すことになるけど良いかな?」

「えっ、そんなあっさりでいいですか?」

 驚きの余りキノの声は上擦っていた。

「良いも何も、冒険者キノの作る薬は前から評判が良いんだ。だから、売り上げは十分見込めるよ」

「ありがとうございます!」

「こちらこそ、良い商売が出来そうで嬉しいよ」

 喜びのあまりキノは頭を深々と下げると頭上から不穏であり、呪いのようなスイテンの言葉が降って来た。

 ————どうなるにせよ。まぁ、頑張ってよ。

 何のことだとキノは頭を上げてスイテンを見ても、彼は微笑んでいるだけで少しもその真意を見せることはなかった。


 1週間後。ムライとキノは同居を始めた。

 

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