79.水龍
水龍が、船へ向かって突進する。
ゴォォォォ……!
海面が大きく割れた。
巨大な身体が波を押しのけながら迫ってくる。
その巨体だけで、周囲の海が大きく揺れた。
「来るぞ!」
フシが叫ぶ。
水龍が大きく口を開いた。
並んだ巨大な牙が、植物の船を丸ごと呑み込もうと迫ってくる。
「ノア、船を移動させるぞ!」
フシが船体へ手を触れる。
すると――
植物の船の後部から、太い蔓が何本も伸び始めた。
蔓は絡み合い、互いに支え合いながら形を変えていく。
やがて、船の後部に巨大な羽根が生まれた。
まるで、巨大な風車のようだった。
「いけっ!」
フシが魔力を流す。
ギュルルルルッ!
巨大な羽根が勢いよく回転する。
植物の船が大きく揺れた。
次の瞬間――
船体が海面を滑るように前へ加速する。
「まだ足りない!」
フシが叫ぶ。
「ノア!」
「はいです!」
ノアはすぐに天照を船の後方へ向けた。
「ウィンドバースト!」
ゴォォォォォォッ!!
天照から凄まじい突風が吹き出す。
強烈な風が船の後方から叩きつけ、植物の船をさらに前へ押し出した。
「もっと……!」
ノアは魔力を込める。
風がさらに強くなる。
波が左右へ大きく割れ、船体が水面を跳ねる。
その直後――
「グァァァァッ!!」
水龍の口が、船のすぐ後ろまで迫った。
「――!」
フシが振り返る。
巨大な牙が、目の前まで迫る。
バチンッ!!
巨大な口が閉じた。
だが――
「……!」
船は、間一髪でその牙を逃れていた。
水龍の牙が空を噛み砕く。
「よし!」
フシが拳を握る。
だが――
「ティシア!」
ノアの叫び声が響いた。
「……え?」
船が移動したことで、ティシアがレビテーションの範囲から外れていた。
海面へ落ちていくティシアの身体。
「ティシア……!」
ノアが手を伸ばす。
だが、かなり遠い。
「くそっ!」
フシはすぐに船体へ手を伸ばす。
「ティシアのところへ行くぞ!」
植物の羽根の向きを変える。
フシが船を操り、海面へ落ちていくティシアへ向かって船を急旋回させた。
「待ってろ、ティシア!」
植物の船が、大きく水しぶきを上げながら進んでいく。
「俺たちにもできることは無いか?」
二人の男がノアへ声をかける。
ノアは二人を見る。
だが、すぐに水龍へ視線を戻した。
あの巨体を、どうすれば止められるのか。
ノアは必死に考える。
(あのセレペンスを止めるには……)
水龍の巨体。硬い鱗。
そして、あれだけの身体を動かすだけの圧倒的な力。
普通の魔法では、まともに傷を与えることすら難しい。
(だったら……)
ノアの頭に、一つの考えが浮かんだ。
「…………」
ノアは天照を握り直す。そして、詠唱を始めた。
その間にも、水龍は大きく身体をうねらせる。
海面が大きく盛り上がる。
「――来る!」
フシが身構える。
次の瞬間――
水龍の身体から、何かが一斉に飛び出した。
「チッ!」
フシが手を振る。
すると、植物の船から大量の蔓が勢いよく伸びた。
蔓が絡み合い、三人の前に分厚い壁を作る。
ダダダダダダダダッ!
飛来した何かが、次々と蔓の壁へ突き刺さった。
「くっ……!」
フシはさらに魔力を込める。
だが、すべてを受け止める必要はない。
攻撃が止んだ瞬間、蔓を一気に引き戻す。
「……何だ、これ」
足元へ落ちたものを拾い上げる。
「鱗……?」
それは、鋭く尖ったセレペンスの鱗だった。
普通の鱗とは思えないほど硬く、先端は刃物のように尖っている。
「こいつ、自分の鱗を飛ばせんのかよ!」
フシが水龍を見る。
その巨体の一部では、鱗が剥がれ落ちていた。
露出した皮膚から、赤い血が滲んでいる。
「……」
だが、その傷口を見ていたフシの表情が変わる。
露出した皮膚が、みるみる盛り上がっていく。
メキ……
皮膚の下から、新しい鱗が生えてくる。
一枚。また一枚。
剥がれ落ちた場所を埋め尽くすように、瞬く間に鱗が再生していく。
「…………」
フシは言葉を失う。
数秒も経たないうちに、傷ついていた場所は元通りになっていた。
「マジの化け物じゃねぇか……!」
フシが唖然としていると、ノアの詠唱が終わった。
「アース・クリエイト」
ノアが天照を掲げる。
すると、何もない空間に魔力が集まり始めた。
ゴゴゴゴゴゴゴ……!
空中に大量の土が生まれる。
土は瞬く間に凝縮し、巨大な石へと変わっていく。
それらが次々と組み合わさり、頑丈な土台を形作った。
その上には、木材が一本、また一本と現れる。
ギギギギギ……!
木材同士が組み合わさり、巨大な枠組みが組み上がっていく。
土台が完成すると、そこへ車輪が取り付けられた。
さらに、長大な矢を載せる台が伸びる。
巨大な弦が張られ、各部品が噛み合っていく。
一つ。また一つ。
そして――
「…………」
植物の船の上に、バリスタが姿を現した。
フシは言葉を失う。
「これ……本当に船の上に作ったのかよ……」
ノアは少し困ったように笑う。
「私はあまり、仕組みを知らないので……ちゃんと動くかは分かりませんが…………」
ノアが天照をバリスタへ向ける。
すると――
バリスタの横に、巨大な矢が一本現れた。
続けて、もう一本。
二本の長大な矢が、船の上へ転がる。
「矢も生成しました」
ノアは二人の男を見る。
「二人はこれを使って、あのセレペンスを打ち抜いてください」
「……ああ。やってみる」
男たちは頷く。
そして、バリスタへ向かって走り、巨大な矢を装填し始めた。
一方、ティシアは襲い掛かってくる大量のセレペンスを相手にしていた。
水中へ落ちないよう、倒したセレペンスの死体を足場にして戦う。
(一度、水中に落ちれば動きづらくなる。それに……いろんな方向から襲われることになる)
(一匹ずつ相手にできる今の状況を、崩されるわけにはいかない)
ティシアは迫り来るセレペンスを次々と斬り伏せる。
斬り落とした身体を踏み台にして、別の個体へ飛び移る。
牙を躱す。身体を捻り、そのまま首を斬り落とす。
落ちていく死体を蹴り、さらに別の死体へ移る。
水面へ足をつけることなく、死体から死体へと足場を移していく。
(上手く対応できている)
そう思った矢先――
巨大な頭が、ゆっくりと動いた。
その巨大な目が、ティシアを捉える。
「……!」
水龍は身体を大きくうねらせる。
バシャッ!
巨大な身体が海中へ潜った。巨体が水面の下へ消えていく。
「…………」
ティシアは剣を構え直す。
「……どこから来る?」
水面を睨み、周囲を警戒する。
ズズズズズ……
海水が何かに吸い込まれていくような音が響く。
「…………?」
ティシアは周囲を見回す。
すると――
足場にしていたセレペンスの死体が、ゆっくりと動き始めた。
シュルルル……
死体が水面を滑る。ティシアの足元から、少しずつ離れていく。
(何だ……?)
ティシアは足元を覗き込む。
その真下――
水龍が、大きく口を開いていた。
「…………!」
巨大な口の奥へ向かって、周囲の海水が凄まじい勢いで吸い込まれている。
「……僕を吸い込む気?」
ティシアの身体まで、少しずつ引き寄せられていく。
ズズズズズ……!
水面が大きく渦を巻く。巨大な口が、徐々に近づいてくる。
「影狼!」
ティシアの全身から影が噴き出した。
黒い影が身体を覆っていく。
「今度は……ちゃんと制御して……」
影が右腕へ集中する。
腕がみるみるうちに膨れ上がり、巨大な腕へと変わっていく。
ティシアは拳を大きく振りかぶった。
「――ッ!」
ドォォォン!!
振り下ろされた拳が、水龍の顔面を真正面から捉えた。
ゴォンッ!
水面が大きく弾ける。
だが――
「…………」
拳を受けた鱗に、ひびが入っただけだった。
水龍は、まるで何事もなかったかのように口を開いたまま、ティシアを引き寄せ続けている。
「……」
ティシアは巨大化した拳を見る。
(身体強化までしたのに……この程度?)
そのとき――
ふと、ティシアは空を見上げた。
夜空には、月が明るく輝いている。
月光が海面を照らし、ティシアの身体にも降り注いでいた。
「…………」
(そうか)
(今は月明かりがある)
(影狼の力を……完全には引き出せない)
水龍が、再びティシアを飲み込もうとする。
ズズズズズ……!
水の流れに引かれ、ティシアの身体が少しずつ巨大な口へ近づいていく。
開かれた口の奥には――
無数の牙が並んでいた。
「ティシア! 掴まれ!」
フシの声が響く。
植物の船から蔓が伸び、ティシアへ向かって勢いよく伸びていく。
ティシアはその蔓を掴んだ。
蔓が縮み始め、ティシアの身体を船へと引き寄せる。
「……っ!」
船へ戻ったティシアは、肩で荒く息をしながら膝をついた。
「助かった……ありがとう」
その時だった。
「装填、終わった!」
男の一人が叫ぶ。
「撃つぞ!」
バシュッ!!
長大な矢が弦から放たれる。
空気を裂きながら、水龍へ向かって一直線に飛んでいく。
だが――
矢は水龍を捉えることなく、その脇を通り過ぎ、海へ落ちた。
「ヘタクソ!」
フシが罵倒する。
「うるせぇ! 使ったことねぇんだよ!」
男たちも言い返す。
そんな中、ノアは水龍の姿をじっと観察していた。
「……喉が、膨らんでませんか…………?」
「……喉?」
ティシアが水龍へ目を向ける。
「さっき……水を大量に吸い込んでたね……」
水龍の喉が、さらに大きく膨らむ。
「まずいです!」
ノアが叫ぶ。
ドバァァァァッ!!
次の瞬間――
水龍の口から、凄まじい勢いで水が噴き出した。
まるで巨大な砲弾のような水の奔流が、船へ向かって襲い掛かる。
「ウィンドバースト!」
ノアが天照を船の後方へ向ける。
ゴォォォォォッ!!
突風が吹き荒れ、植物の船が一気に加速する。
水の奔流が、船のすぐ後方を掠める。
バキィッ!!
直撃は免れた。
だが――
水圧だけで船体が大きく裂けた。
「…………!」
開いた穴から、海水が一気に流れ込んでくる。
「まずい!」
フシが船体へ手を伸ばす。
すると、周囲の蔓が一斉に動き始めた。
蔓が穴へ絡みつき、裂けた船体を縫い合わせるように塞いでいく。
だが――
「……くそっ」
海水の流れが止まらない。塞いだ端から、別の場所へ亀裂が走る。
修復が追いついていない。
船内へ流れ込んだ海水が、みるみるうちに水位を上げていく。
ガリ……
聞き覚えのある音が、全員の耳に届いた。
「……またか!」
フシが船底へ目を向ける。
そこには、無数のセレペンスが群がっていた。
「こいつら……!」
(さっきの水圧で飛ばされてきたのか?)
フシは弓を引く。
ヒュンッ!
放たれた矢が、一匹のセレペンスを射抜く。
続けて、もう一匹。
だが――
倒す数よりも、船へ襲い掛かってくる数の方が多い。
「……くそっ!」
フシが舌打ちする。
「アースショット!」
ノアもすぐに応戦する。
四つの岩が同時に地面から飛び出し、襲い掛かるセレペンスへ向かって飛んでいく。
ドガッ! バキッ!
次々とセレペンスを撃ち抜いていく。
だが、ノアにも余裕はない。
「多すぎるです……!」
ティシアは男たちの隣で、バリスタの装填を手伝っていた。
その手を止めずに、ノアへ声をかける。
「ノア、フォス・ヴァロスを使うのはどう?」
ノアは一瞬だけティシアを見る。
しかし、すぐに迫ってきたセレペンスへ向き直った。
「アースショット!」
岩が一匹を吹き飛ばす。
「複合……魔法は……」
ノアは荒く息を吐く。
次の一匹へ魔法を放ち、わずかな隙を見つけて言葉を続ける。
「安定した……場所……じゃないと……危険……です!」
息を切らしながら、それだけをどうにか伝える。
ティシアはすぐに理解した。
「分かった」
ノアへ無理をさせるわけにはいかない。
「こっちは任せて」
ティシアは再びバリスタへ手を伸ばした。
「…………」
男たちは必死に装填を続ける。
やがて――
「装填、終わった!」
「よし!」
フシは額から流れる汗を腕で拭う。
そして、バリスタを構える男たちを睨みつけた。
「今度はよく狙えよ…………」
「分かってる!」
男がバリスタへ手を掛ける。
「…………」
狙いを定める。
標的は――水龍。
「撃て!」
バシュッ!!
長矢が弦から放たれた。
空気を引き裂きながら、水龍へ一直線に飛んでいく。
「当たれ!」
ズドォォォン!!
長矢が巨大な鱗を真正面から砕いた。
砕けた鱗が弾け飛ぶ。
長矢は勢いを殺さぬまま、巨体へ深々と食い込んでいく。
そして――
喉を貫いた。
「ギャ”ォ”ォ”…………!」
水龍の濁った雄叫びが、途中で潰れる。
「グ……ガァ……ッ!」
喉から紫色の血液が噴き出した。
巨大な身体が大きくのけ反る。
ザバァァン!!
水龍が身体をうねらせるたび、周囲の海水が大きく跳ね上がる。
船まで波に煽られ、大きく揺れた。
「うおっ!」
男たちが船体へしがみつく。
フシも蔓を掴みながら、水龍を睨む。
その隣で、ティシアは息を整えながら巨大な身体を見上げていた。
さっきまで、何をしてもほとんど傷つかなかった。
それを――
バリスタの一撃が、確かに貫いた。
「……効いた」




