78.航海
ウラノス王国
赤髪の男が、城内の廊下を歩いていた。
伸びきった髪を鬱陶しそうに掻き上げ、深いため息を吐く。
その途中、一体のゴーレムとすれ違った。
騎士の甲冑を身に着けたゴーレムだった。
男は横目でそれを見る。
(ヴァレン、またゴーレムを改造したな)
男は足を止めることなく客室へ向かった。
扉に手をかけ、そのまま中へ入る。
そこには、ヴァレンが椅子に座っていた。
「少々遅いですよ。第三騎士団団長――ローディン・ガルヴァさん」
ローディンは、けだるそうにため息をつく。
「用件だけを話せ」
「つれないですね。まあ、いいでしょう」
ヴァレンは机の上に置かれていた一枚の紙を手に取り、ローディンへ差し出した。
「こちらに今回の計画があります」
ローディンは紙を受け取り、内容へ目を通す。
しばらく黙って読み進めた後、顔を上げた。
「で? 俺にこれをしろってか?」
「そうですね。かなり重要な案件なので、ウラノス王国最強のあなたに頼みます」
ローディンは資料から目を離す。
「最強、ね……」
その言葉に、少しだけ眉を動かす。
「分かった」
ローディンはそれだけ告げると、部屋を出ていった。
だが――
扉を開けたまま、足を止める。
そして、振り返った。
「それと」
ヴァレンを見る。
「国の禁書庫。あそこで何を見た」
「…………」
ヴァレンは一瞬だけ黙った。
「……後ほど話しましょう」
それ以上は答えない。
ローディンはヴァレンをしばらく見た後、部屋を出る。
扉が閉まった。
廊下を歩きながら、ローディンは先ほどの部屋を思い返す。
(椅子の下に隠しナイフ。部屋の隅には、見慣れない兵器……)
ヴァレンは騎士団長を前にしても、隙を見せない。
むしろ、いつでも相手を殺せるように準備している。
(剣術だけなら、俺が上だ)
ローディンは小さく息を吐く。
(だが、あの狡猾さ……)
再び、ため息が漏れた。
「最強は、どっちなんだか」
────────
フシは手帳を開く。
「これは父さんの日記だ。恐らく、500年以上前のものだ」
「そこに、蛇牙騎士団ってあったんですか?」
ノアが日記を覗き込む。
「ああ。父さんは、その騎士団の団長をしていた」
フシは日記に記された名前を指差す。
「名前は――リアン・プネヴマ」
その名前を聞いた瞬間、ティシアが声を上げた。
「思い出した!」
「確か……611年前、ウラノス王国に使いとして来てた人だ!」
ティシアは驚いたように目を見開く。
「子供の頃に見た本の内容だから、ずっと思い出せなかったんだよね」
(文字が掠れてたし、シルヴァリアの使いって分からなかったんだな)
「じゃあ、昔はエルフもウラノスに来てたってことですか?」
「そうなるね」
フシは日記へ目を落とす。
「それについても書いてあるな」
ページをめくりながら、続ける。
「書き方を見る限り、この日記はそれより後に書かれたものだろう」
ノアはフシを見る。
「もしかしたら、フシのお父さんが蛇牙騎士団について何か知ってるかもしれないですね。会えますか?」
「それは無理だ」
フシは静かに答える。
「だいたい25年前。俺に物心がついた頃には、父さんはもういなかった」
「…………」
フシは少し間を置いて、日記を閉じる。
「そもそも、俺がシルヴァリアに行くのは父さんに会うためだ」
「そうなんだね」
ティシアが尋ねる。
「日記には、他に情報は無かったの?」
「ああ。この日記は一年分しかないんだ」
フシは手帳を軽く持ち上げる。
「内容も、ほとんど恋物語みたいなもんだ」
「恋物語?」
ノアが首を傾げる。
「シルヴァリアの姫様と仲良くしてたんだと」
フシは少し面倒そうに答える。
「詳しくは知らん。もう寝る」
「そうですね。今日は寝ましょう」
フシはあくびをしながら部屋を出て、自分の部屋へ戻っていった。
ティシアとノアもベッドに入る。
やがて二人は眠りについた。
窓の外から聞こえる波の音が、静かな夜の部屋に心地よく響いていた。
────────
ティシアたちは、一週間後に船を出すことにした。
それまでの間、各々がシルヴァリアへ向かうための準備を進める。
フシは投影晶や、その他の魔法陣の作成。
ノアは魔法の強化。
そしてティシアは――
自分の中にある力と向き合っていた。
宿に戻ったノアが、ティシアの苦しそうな呻き声を聞くこともあった。
「……っ、う……」
部屋の中から漏れる声。
ノアが扉を開けると、そこには苦しそうに顔を歪めるティシアがいる。
それでも、ティシアは何も言わなかった。
────────
一週間後。
夜間、ティシアたちはフシについて海辺へ向かっていた。
ノアは隣を歩くティシアの顔を見る。
そして――
目の下に、濃いクマができていることに気づいた。
「ティシア、大丈夫ですか?」
心配そうに尋ねる。
ティシアは、いつものように笑顔を見せた。
「大丈夫。シルヴァリアに何があるのかなって思ったら、楽しみで眠れなかっただけだよ」
「………無理はしないでくださいね」
ノアは心配そうな顔をしたまま、ティシアを見る。
「うん」
ティシアは笑って答えた。
その前を歩いていたフシが、振り返る。
「着いたぞ」
フシが海辺の先を指差す。
そこには――
一隻の小さなコグ船が停泊していた。
船の上には、二人の男が立っていた。
二人とも、こちらを舐めるような目つきで見ている。
その視線を嫌がるように、ノアがティシアの背後へ隠れた。
「…………」
ティシアは二人の男を睨みつける。
その目に込められた圧に気づいたのか、男たちはすぐに視線を逸らした。
フシは懐から銀貨の入った袋を取り出し、男たちへ投げ渡す。
「前金だ。残りは着いてから渡す」
男たちは袋を開き、中身を確認する。
そして、口元に笑みを浮かべた。
「なぁ、あの女は――」
男の一人が、ノアを指差す。
その瞬間、フシが舌打ちした。
「詮索するな。金は渡したんだから、黙って乗せろ」
「…………」
男たちは顔を見合わせる。
やがて、何も言わずに船へ手を向けた。
「さっさと乗れ」
フシがティシアたちへ目配せする。三人はそのまま船へ乗り込んだ。
男たちは、何かを待っているかのようにフシを睨んでいる。
フシは小さくため息をついた。
そして、船体のあちこちへ投影晶を配置していく。
すべて置き終えると、フシは指を鳴らした。
同時に、船体に設置された投影晶が淡く光る。
「これで、外から船の姿は見えない」
男たちは周囲を見回す。
やがて頷くと、船を出した。
────────
船が進んでいる間も、男たちは性懲りもなくノアへ視線を向けていた。
それに気づいたティシアが、ノアの前へ出る。
フシも弓へ手をかけた。
「その目、射貫いてやろうか」
フシが低い声で言う。
男たちは慌てて目を逸らした。
フシはため息をつく。
「金を渡したんだから、ただ自分の仕事をしてればいいんだよ」
その言葉に、男の一人が顔をしかめた。
「さっきから聞いていれば、偉そうに喋りやがって……」
男はナイフを取り出し、フシへ向ける。
「俺たちだって、好きでこんな仕事してるんじゃねぇよ!」
ティシアが横から男の肩を叩く。
「落ち着いてください。確かに、彼の口調はかなり悪いですけど……」
その言葉に、フシがティシアを見る。
「お前! 俺の村ではこの口調が普通だったんだよ!」
「うるせぇ!」
男がティシアへ振り向く。
その拍子に、握っていたナイフがティシアの指を掠めた。
「……っ」
指先に赤い線が走る。
一筋の血が滲み、ナイフの刃にも赤い跡がついた。
「す、すまねぇ。ただ……カッとなっちまって……」
男が動揺する。
「何してんだ!」
フシが男の手を叩き、ナイフを弾き飛ばす。
ナイフは宙を舞い、そのまま水面へ落ちていった。
男は一度、大きく息を吸う。
そして、ゆっくりと吐き出してから、その場に腰を下ろした。
「はあ……何やってもうまくいかねえな……」
男は額に手を当てる。
ティシアは、そんな男を黙って見ていた。
「…………あの」
ティシアが口を開いた、その時だった。
ガリ……
何かを削るような音が聞こえた。
フシだけが、その音に違和感を覚える。
「……何か聞こえなかったか?」
「何が?」
ティシアが尋ねる。
フシは耳を澄ます。
「何かこう……削るような音だ」
二人は周囲を見回す。
腰を下ろした男。
船を操る男。
天照を握り、不安そうにこちらを見るノア。
だが――
何も異常はない。
ガリ……
再び、削るような音が聞こえた。
今度は、全員の耳に届いた。
「…………」
ティシアが剣へ手を伸ばす。
フシも弓を構え、ノアも二人の近くへ寄った。
ガリッ、ガリッ、ガリッ、ガリッ――
何度も、同じ音が響く。
「下です!」
ノアが叫ぶ。
その瞬間――
バシャッ!
船の底から水が噴き出した。
「うわっ!?」
「何だ!?」
船内へ一気に海水が流れ込む。
船体が大きく傾いた。
「まずい!」
ティシアが踏ん張る。
だが、傾きは止まらない。
ドォンッ!
船体が横倒しになる。
人も荷物もまとめて海へ投げ出された。
フシはすぐに懐へ手を入れ、水晶を取り出す。
「ゴーレムッ!」
水晶から、硬い植物の蔓が一気に伸びる。
バキバキッ!
蔓が絡み合いながら形を変えていく。
倒れた船体を包み込むように伸び、互いに編み合わさっていく。
やがて――
海面には、植物で作られた船が形を成していた。
「乗れ!」
フシが先に植物の船へ飛び乗る。
ティシアは海へ落ちたノアを抱え上げ、そのまま船へ乗り込んだ。
「……っ」
ティシアが振り返る。
沈みかけた船の残骸。
その周囲には――
無数のセレペンスが群がっていた。
「…………!」
ノアがティシアの腕から降りる。
「ごめんなさい。投影晶の魔力で、魔力探知が効きませんでした」
フシはセレペンスの群れを見て、唖然とする。
「男のナイフについてた血……あれに寄せられたんじゃないか?」
額から汗が流れる。
(俺のせいだ)
フシは、海へ沈んでいくナイフを思い出す。
(俺がナイフを海に落とさなければ……)
拳を握る。
(それ以前に、あんな言い方をしなければ……)
だが――
「いや……」
フシは首を振る。
(今は、この状況をどうにかしねえと)
「助けてくれ!」
声が聞こえた。
船の残骸から少し離れた場所で、二人の男が海に浮かんでいる。
必死に手を伸ばしていた。
「助けてくれ!」
フシは歯を食いしばる。
そして、ティシアとノアを見る。
「助けてる暇はない! 急いで逃げ――」
その言葉を最後まで聞かず、ティシアが船から飛び降りた。
「ノア! レビテーション!」
「はい!」
ノアはすぐに天照をティシアへ向ける。
「レビテーション」
ティシアの身体が海面へ落ちることなく、浮かび上がる。
そのまま、男たちのいる場所へ向かって一気に進んでいく。
ノアはティシアから目を離さず、魔法を維持する。
そして、フシへ言った。
「ティシアは、こういう人なんです」
フシは口を開いたまま、ティシアの背中を見る。
ティシアは襲い掛かってくるセレペンスを次々と斬り伏せながら、少しずつ男たちとの距離を縮めていく。
「…………」
フシは一瞬だけ呆然としていた。
だが、すぐに我に返る。
弓を構える。
「援護するぞ!」
矢を放つ。
ティシアへ迫るセレペンスを狙い撃つ。
ノアも離れていくティシアのレビテーションを維持しながら、天照を構える。
「アースショット!」
岩が海面から飛び出し、ティシアへ迫るセレペンスを次々と撃ち落としていく。
ティシアの脳裏に、母ノミアの姿が浮かんだ。
困っている人を見れば、迷うことなく手を差し伸べていた。
身分も、種族も関係ない。
誰に対しても分け隔てなく接していた、あの頃の母の姿。
「掴まれ!」
ティシアが男たちへ手を差し伸べる。
男たちはその手を掴み、必死に握り返した。
ティシアは二人を連れ、そのままフシの船へ戻ろうとする。
しかし――
両手が塞がっている。
剣を振るうことも、防御することもできない。
その隙を狙い、ノアとフシの攻撃を躱したセレペンスが、ティシアへ襲い掛かった。
「……!」
ティシアは身を捻る。
牙が目の前を掠めた。
だが、セレペンスは止まらない。
間髪入れずに身体を反転させ、再び襲い掛かってくる。
ティシアは二人を抱えたまま、迫り来る牙を紙一重で躱し続ける。
一度。二度。三度。
「……っ」
避けるたびに、身体が大きく揺れる。
そして――
ガブッ!
鋭い牙が、ティシアの足へ食い込んだ。
「……っ!」
牙が肉を貫く。
セレペンスは噛みついたまま離れようとしない。
「しまった」
ティシアは足へ視線を落とす。
だが――
「……この距離なら」
ティシアは一度、深く息を吸った。
そして、ゆっくりと吐き出す。
「影狼」
ティシアの腕から影が噴き出した。
黒い影が腕を覆い、みるみるうちに形を変えていく。
「キャッチして!」
ティシアは抱えていた二人の男を、全身を使ってフシへ向かって投げ飛ばした。
「――!」
フシが咄嗟に手を伸ばす。
その瞬間――
足元の植物の船から、無数の蔓が伸びた。
蔓は二人の男を包み込むように受け止め、そのまま船へ引き寄せる。
「お前も早くこっち来い!」
「今行く!」
ティシアは剣を振るった。
ザンッ!
足へ噛みついていたセレペンスの首が斬り落とされる。
ティシアは足を引き抜く。
しかし――
「……」
傷口の回復が、明らかに遅い。
影狼を使った影響だ。
普段ならすぐに塞がるはずの傷が、まだ血を流している。
その間にも、周囲から何匹ものセレペンスが迫ってくる。
「…………」
ティシアは冷静に剣を構えた。
「感覚増強」
周囲の動きが、一気に遅くなる。
水の流れ。セレペンスの身体の動き。迫ってくる牙。
すべてが、ゆっくりと見えた。
(感覚増強を強くしすぎれば、身体がついてこない)
ティシアは迫るセレペンスを見据える。
(だから――)
「身体強化」
二つの魔法を同時に発動する。
感覚だけを先行させるのではない。強化した身体を、無理やりその感覚に追いつかせる。
(前方を横切る。勢いを利用して、そのまま下へ)
セレペンスが迫る。
ティシアの身体が僅かに沈む。
「――そこ」
剣が走った。
ザンッ!
一閃。
一匹目のセレペンスが、海へ沈んでいく。
続けて、二匹目。
「そこだ」
斬撃が、正確に身体を捉える。
(次は右。こいつを斬ったら、後ろの一匹が来る)
身体を大きく動かす必要はない。
半歩。身体を捻る。剣を振る。
それだけで、迫ってくる牙を避け、同時に相手を斬り伏せていく。
(次、)
また一匹。
ザンッ!
(その次は――後ろ)
ティシアは振り返ることなく剣を振る。
迫っていたセレペンスが斬り裂かれ、海へ落ちていく。
無駄な動きは一切ない。
感覚増強で敵の動きを見極める。
身体強化で、その判断に身体を追いつかせる。
そして――
最小限の動きだけで、剣を振るい続ける。
やがて、最後のセレペンスが海へ沈んだ。
周囲から、セレペンスの姿が消える。
ティシアは荒い息を吐きながら、剣を下ろした。
荒くなった呼吸を整える。
(同時に二つの魔法を維持……かなり負担がかかる)
身体の内側に残る疲労を感じながら、足へ目を向ける。
先ほどまで開いていた傷は、すでに塞がっていた。
ティシアは足を軽く動かす。
「……よし」
剣を握り直し、再び植物の船へ向かって走り出す。
その瞬間――
ゴォォ……
地の底から響くような音が、海中から伝わってきた。
「…………?」
ティシアが足を止める。
水面が大きく揺れる。
まるで、巨大な何かが海の中を動いているようだった。
ゴォォォ……
音が近づいてくる。
ノアが海面を見る。
そして――
「ヤバいのが来てるです!」
叫び声が響いた。
「……!」
ティシアが振り返る。
バシュッ!!
水面を突き破り、巨大な影が飛び出した。
「…………」
ティシアは、空を覆うほどの巨体を見上げる。
鱗に覆われた長大な身体。
大きく開かれた口。
鋭く並んだ牙。
その全身から滴る海水が、雨のように降り注ぐ。
体長は――
数十メートルを優に超えていた。
「ギャオオオオオオオオッ!!」
咆哮が海を震わせる。
波が大きくうねり、植物の船まで激しく揺さぶられた。
ティシアは剣を握り直す。
「…………」
巨大なセレペンスが、ゆっくりと首を動かす。
そして――
フシたちを捉えた。
「……こっちを見た」
ノアが小さく呟く。
巨大なセレペンス。
その姿は、まるで海を支配する龍そのものだった。
巨大なセレペンス――水龍が、フシたちへ狙いを定めた。




