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74.透明な敵

夜になり、皆は焚き火を囲んでいた。

薪が弾ける音と、炎が揺れる音が静かな森に響いている。


御者も交え、今日の旅で起きたことや、他愛のない話をしていた。


時折、誰かが笑う。


昼間まで魔物と戦っていたとは思えないほど、穏やかな時間だった。


ただ一人――

フシだけは、その輪の中にいなかった。


彼は馬車の中に残り、開けた窓から外を眺めている。

焚き火の明かりが届かない場所に座り、何を考えているのか分からない。


そんなフシを、ティシアはしばらく見ていた。やがて、隣に座るノアへ声をかける。

「せっかく同じ馬車にいるんだし、仲良くしたら?」


「……嫌です」

ノアは即答し、そっぽを向いた。


「フシが怪しいのは分かるけど、まだ敵だって決まったわけじゃないし……」


「……あの人は、ティシアを取り戻すのをやめておけって言ったです」


ノアは焚き火へ枝を一本放り込む。パチッ、と火の粉が弾けた。


「それに……ティシアのことを悪く言ってました」


「でも、それはノアを心配して言ったんだと思うよ」


「それなら、もう少し優しく言ってほしいです……」

ノアは頬を膨らませる。


────────


寝る前、ティシアはノアから魔法を教えてもらっていた。

地面に描かれた魔法陣を囲むように座り、ノアが一つずつ説明していく。


「ここに魔力を流して……」


ティシアが魔法陣へ手を近づけた、そのときだった。


横から、フシが魔法陣を覗き込む。

「これ、魔力探知じゃん」


「はいです」


「お前、精霊が見えるぐらいの才能があるのに、まだ基礎魔法なんて習ってんのか」


ティシアは首を傾げる。

「精霊が見えるのと、魔法って関係あるの?」


フシは腕を組む。

「精霊は、神の一部って言われてる」


「つまり――」


フシはティシアを見る。


「お前は、神が見えるぐらい力への感受性が高いってことだ」


「…………」

ティシアは黙って聞いている。


「感受性が高ければ、普段から魔力に触れる機会も多くなる」


フシはティシアの手を見る。

「そういう奴は、魔力の流れを感じ取るのも早い」


「後は使い続けてりゃ、自然と手足みたいに動かせるようになる」


ティシアは自分の手を見つめる。

「……そんなにすごいことなの?」


「かなりな」

フシは即答した。


「少なくとも、普通の人間が努力だけでどうにかできる領域じゃねえ」


「…………」


ティシアは自分の手を握ったり、開いたりする。

今まで当たり前だと思っていた感覚が、少しだけ違って見えた。


フシはそんなティシアを一瞥すると、今度はノアへ視線を向ける。


「今日は僕が見張りをするので、ノアさんは休んでください」


「…………」

ノアはフシをじっと見る。


「……なんですか?」


「その丁寧な話し方、ムカついてきたです」


「え?」


「あなた、ティシアには普通に話してるですよね」

ノアは頬を膨らませる。


「私にだけ丁寧に話すの、なんだか嫌です」


フシは頭を掻いた。

「……分かった」


少しだけ間を置く。


「これからは素で話す」


「……本当ですか?」


「ああ」


フシはノアを見る。

「じゃあさっさと寝てくれ」


「…………」

ノアは一瞬、目を丸くした。


「急に雑になったです」


「素で話せって言ったのはお前だろ」


「そうですけど……」


ノアは少し不満そうにしながらも、魔法陣から離れていった。


────────


夜が更けた。

馬車の中では、ノアと御者が眠っている。


ティシアも眠りについていたが――


ふと、目を覚ました。


「……何の音?」

薄暗い車内で、ティシアは顔を上げる。


耳を澄ます。


「……ゥゥ……」

かすかな唸り声。


聞き間違いではない。

ティシアはゆっくりと身体を起こした。


隣では、ノアが静かな寝息を立てている。

御者も眠っている。


二人を起こさないよう、ティシアは足音を殺して馬車を降りた。


外は暗かった。


昼間の喧騒は消え、森の中には夜の静けさが広がっている。

焚き火の残り火だけが、赤く小さく揺れていた。


ティシアは周囲を見渡す。


(フシは……?)


だが、フシの姿はなかった。


(どこに行ったんだ?)


そのとき――


「……ゥゥ……」

再び、唸り声が聞こえた。


今度は、はっきりと聞こえる。


「……あっちか」

ティシアは声のした方向へ歩き出す。


焚き火から離れるにつれ、周囲はどんどん暗くなっていく。

足元の草を踏む音だけが、小さく響く。


少し離れた場所に、大きな木が立っていた。


月明かりを遮るような太い幹。


その陰に――

誰かがいる。


「フシ?」


返事はない。


ティシアは少しだけ不安を覚えながら、木の傍まで近づく。


「大丈――」


言葉が止まった。


そこに、フシがいた。


しかし――

その姿は、いつもと違っていた。


長い耳。


そして、右手には――

木の根が幾重にも巻きついている。


ティシアは目を見開く。


目の前の光景を理解できない。ティシアは、その場から動けなかった。


やがて、フシが顔を上げる。


そして――

ティシアに気づいた。


「見られたか」


フシはすぐに弓を取り出した。


弦を引き絞る。


狙いは――ティシアの頭部。


「――ッ!」


矢が放たれる。


ティシアは咄嗟に身体を後ろへ反らした。

目の前を矢が通り過ぎる。


「……!」

ティシアは伸ばした手で、その矢を掴み取った。


「何するんですか!」


矢を握ったまま、ティシアが顔を上げる。


しかし――

そこに、フシの姿はなかった。


「……どこに――」


ヒュンッ!


横から、風を切る音が響く。


矢が飛んできた。


ティシアは反射的に剣を抜く。


ガキンッ


刃が矢を弾き飛ばす。強い衝撃が腕へ伝わった。


「……っ!」

剣を握る腕が痺れる。


(威力が強い……魔法で強化してる?)


ティシアは周囲を見回す。


木々。草むら。夜の闇。


フシの姿は、どこにもない。


そのとき――


「…………」

木々の向こうで、何かが動いた。


ティシアが目を凝らす。


フシが耳へ手を当てていた。


「……?」


次の瞬間――


フシの姿が、周囲の景色へ溶け込んだ。


「消え――」

ティシアの言葉が途切れる。


何もない空間から、二本の矢が飛んできた。


「……!」

ティシアは一本目を腕ではたき落とす。


続けて、二本目へ剣を振る。


だが――

矢が、空中で軌道を変えた。


「なっ――」


剣が空を切る。


次の瞬間。


ズブッ


矢がティシアの大腿部へ突き刺さった。


「――ッ!」

ティシアの身体が僅かに揺れる。激痛を堪えながら、矢を掴んだ。


「……っ!」

一気に引き抜く。


矢が抜けた瞬間――

傷口がみるみる塞がっていく。


血も止まり、皮膚が元の状態へ戻っていく。


「化け物が……」

闇から漏れた言葉に動揺しつつもティシアは息を整え、周囲を睨む。


(見えない上に、矢の軌道まで変えてくる……)


ティシアは鼻をすすった。


夜の森を風が抜ける。

その風に乗って――かすかな匂いが届いた。


ティシアは目を細める。

草や土の匂いに混じって、わずかに感じる人の匂い。


「……そこだ」

ティシアは地面を蹴った。


身体強化を使い、一気に駆け出す。


「何で分かっ――」

フシの動揺した声が響く。


ティシアは拳を握り、勢いのまま地面を強く踏み込んだ。


地面が抉れる。


その反動を利用し、身体を前へ投げ出す。


拳を振り抜いた。


ドゴッ!


拳がフシの顔面を捉えた。


「ぐっ……!」

フシの身体が吹き飛ぶ。


同時に、周囲の景色へ溶け込んでいた身体が、徐々に浮かび上がっていく。


ティシアは拳を下ろした。

「ごめん。僕、鼻がいいんだ」


「…………」

フシは目を見開く。


「精霊が見えるだけじゃなく……嗅覚まで……」


ティシアは首を傾げる。

(精霊のことは知らないけど……嗅覚は影狼を吸収したからかな)


ティシアは地面に伏したフシを見下ろす。

「何で、こんなことをするんですか」


フシは顔を上げ、ティシアを睨みつける。

「そんなおぞましい力を持ってるやつを――生かしておけねえからだよ!」


その手には、一つの水晶が握られていた。


「おぞましい力……」

ティシアが呟く。


フシは水晶を地面へ転がした。


コロッ、と音を立てて転がった水晶から――


木の根が伸びる。


地面を這うように広がった根が次々と集まり、絡み合っていく。


やがて、それらは一つの形を作り始めた。

木の根でできた人型のゴーレムが、ゆっくりと立ち上がる。


「死ね! ティシア・バシレウス!」


ゴーレムが咆哮するように叫び、ティシアへ飛び掛かった。


「僕のことを知ってるんですね」

ティシアは迫ってくるゴーレムを見ながら呟く。


「それに、さっきの透明化……」


ゴーレムが腕を振り上げる。


「――!」


振り下ろされた腕を避け、ティシアはゴーレムの頭部を掴む。


「……っ!」

そのまま力を込める。


ミシミシ、と木の根が軋む。


だが――

ゴーレムの頭部は、わずかにへこんだだけだった。


すぐに周囲の根が動き出す。

へこんだ部分へ新たな根が絡みつき、瞬く間に元の形へ戻っていく。


「……再生するのか」

ティシアは目を細める。


(なら――)


ティシアは指先へ意識を集中させた。


「影狼」

指先から、黒い影が噴き出す。

影は腕を這い上がり、ティシアの手を黒く染めていく。


同時に、指へさらに力を込める。


バリッ!


ゴーレムの頭部に亀裂が走った。

亀裂が一気に広がる。


そして――


バキィッ!


木の根が砕け散る。

ゴーレムの頭部が、粉々に崩れ落ちた。


「嘘だろ……」

フシは絶句する。


砕けたゴーレムの頭部を見つめたまま、言葉を失っていた。


ティシアはそんなフシを冷たい目で見つめる。

そして、ゆっくりと歩み寄っていく。


「おとなしく投降して」


フシは歯を食いしばる。


「……まだだ!」

腕を上げた。


その瞬間――


ズズッ!


ティシアの足元の地面が盛り上がる。


「……っ!」

鋭い木の根が地面を突き破り、ティシアへ伸びてきた。

ティシアは反射的に手を突き出す。


根を掴む。


だが――

木の根が、ティシアの手の中で蠢いた。

まるで意思を持っているかのように指へ絡みつき、皮膚へ食い込んでいく。


「くっ……!」

さらに別の根が伸びる。


腕を伝い、肩へ。

そこから身体へ回り込み、腰や脚へ次々と絡みついていく。


ティシアは振りほどこうとする。

しかし、根はそれ以上の速度で身体を縛り上げた。


「……動けない」

ティシアが視線を落とす。


その先――

地面には、一つの水晶が落ちていた。


「……!」


(ゴーレムの水晶……壊せてなかったのか)


ゴーレムの頭部を破壊しただけでは終わっていなかった。

水晶が残っている限り、木の根はまだ動く。


「…………」

ティシアが水晶を見つめる。


だが、身体は完全に拘束されていた。


その前で、フシが弓を構えた。


弦に矢をつがえる。

矢先が、ティシアの眉間へ向けられる。


「しっかり抑えてろよ」

フシは木の根へ言い聞かせるように呟いた。


弓を引き絞る。


ギリッ――


弦が軋む。

ティシアはフシを見つめる。


そのとき――


「……?」


フシの足元から、何かが伸びた。


黒い、人の手のような形をしたものが、地面からゆっくりと姿を現す。


「なっ――」


次の瞬間。


ガシッ!


黒い手が、フシの首を掴んだ。

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