73.水晶を渡した青年
ティシアとノアは、しばらく街道を歩いていた。
ヴォルガルドの王宮から離れるにつれ、周囲の景色も少しずつ変わっていく。
石造りの建物は減り、代わりに街道沿いの木々や草原が目立つようになってきた。
やがて――
前方から、一台の馬車が近づいてくる。
荷台の側面には、「港行き」と書かれた札が掛けられていた。
「あれですね」
ノアが指を差す。
二人は街道の端へ寄り、馬車を止める。
運賃を支払って乗り込むと、二人は並んで座席へ腰を下ろした。
「それじゃあ、出発するぞ」
御者の声とともに、馬車がゆっくりと動き始める。
車輪が街道を踏みしめ、一定のリズムで揺れる。
ノアは窓の外を眺めていたが、やがてティシアへ顔を向けた。
「シルヴァリアって、どんなところですか?」
その目は、少しだけ輝いていた。
「……あまり分からないんだ」
「えっ?」
「僕も行ったことがないからね」
ティシアは窓の外へ視線を戻す。
「エルフが貿易を始めたのも、最近らしいんだ」
「それまでは、国の外へ出るエルフはほとんどいなかったって」
「だから、シルヴァリアのことを知ってる人も少ないんだよ」
「そうなんですか」
ノアは少し残念そうにしながらも、再び窓の外へ目を向けた。
「どんな国なのか、楽しみです」
「僕も少し気になるな」
そんな会話をしていた、その時だった。
馬車の外から声が聞こえてくる。
「すみません、乗ります」
御者が返事をする。
馬車がゆっくりと速度を落とした。
「…………?」
ティシアは何気なく扉へ目を向ける。
扉が開き、一人の青年が乗り込んできた。
その顔を見た瞬間――
「あれ、また会ったね」
青年が、ノアへ目を向ける。
そこにいたのは、以前ノアに水晶を渡した青年だった。
「…………」
ノアの表情が変わる。
さっきまでの柔らかな雰囲気が消え、青年を警戒するように睨みつけた。
青年はノアの視線を受けても、気にした様子もない。
むしろ、薄く笑っていた。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ」
「別に、あなたたちに危害を加えるつもりはない」
ノアは警戒を解かない。
「……信用できないです」
「嫌われちゃったね」
青年は肩をすくめる。
そして、まるで何事もなかったかのように二人の向かいの席へ腰を下ろした。
しばらく、険悪な雰囲気が続いた。
馬車の車輪が、一定の音を刻んでいる。
誰も口を開かない。
やがて、ノアが懐から数枚の銀貨を取り出した。
「アレキサンドライトの耳飾り、買ってくれてありがとうです」
ノアは銀貨を青年の膝元へ置く。
「でも、お金は払うです」
「これは僕が君に贈ったものだ。お金を払う必要は――」
青年の言葉が止まった。
視線が、ティシアの右耳へ向く。
そこには、アレキサンドライトの耳飾りが揺れていた。
青年はしばらく、それを見つめる。
そして、ノアの左耳へ視線を移す。
「…………」
二人の耳飾りを交互に見る。
「……そういうことね」
青年の笑みが消えた。
「――チッ」
小さな舌打ちが漏れる。
「俺がノアに贈ったのに……」
「…………?」
ティシアは青年を見る。
青年はすぐに口を閉じた。
「……ありがとう。受け取っておくよ」
銀貨を懐へしまう。
ティシアは、そんな青年をじっと見つめる。
「……何ですか」
青年が不機嫌そうに尋ねる。
だが、ティシアは青年を見ているわけではなかった。
その視線は――青年の横。
何もない空間へ向いている。
「…………」
青年の表情が変わった。
「……見えてるのか?」
ティシアは小さく頷く。
青年は言葉を失った。
ノアは状況が分からず、ティシアの肩を指先で軽くつつく。
「……何の話ですか?」
ティシアは青年の隣を指差した。
「あそこに、緑色に光ってる小さい玉が見える」
「……?」
ノアは目を細める。
「……何も見えないです」
青年はティシアを見る。
「普通の人間には見えないよ」
「じゃあ、それは何ですか?」
ノアが尋ねる。
青年は、ゆっくりと手を伸ばした。
すると――
緑色の光がふわりと浮かび上がり、そのまま青年の手のひらへ乗った。
「これは、精霊だ」
「精霊?」
ティシアが首を傾げる。
青年はティシアをちらりと見る。
「……お前には話してない」
「…………」
ティシアの肩が、ほんの少し落ちる。
青年は何もなかったかのように、再び精霊へ視線を戻した。
「精霊は、物を直接動かしたりはできない」
手のひらの上で、緑色の光が小さく揺れる。
「けど、魔法を通すことで、精霊本来の能力を発揮することができる」
ティシアは黙って精霊を見る。
今まで一度も見たことのない存在だった。
「最近、審判晶が出回ってるだろ?」
ノアが頷く。
「あれには、赤と青に光る魔法が刻まれてる」
ノアは少し考える。
「……ということは」
顔を上げる。
「審判晶そのものに真偽を判断する力があるんじゃなくて――」
ノアは、青年の手のひらに乗った精霊を見る。
「精霊が真偽を伝えられるようにする魔法が刻まれている?」
青年は頷いた。
「そういうことになるな」
「それって、精霊魔法ですよね?」
ノアが尋ねる。
青年は一瞬だけ目を逸らした。
「……そうかもしれないな」
どこか歯切れの悪い返事だった。
誤魔化すように、青年がパンと手を叩いた。
「これから港に着くまで一緒なんだ。せっかくだし、自己紹介をしよう」
青年はノアへ向き直る。
「僕の名前はフシ・プネヴマです。よろしく」
そう言って、左手を差し出した。
ノアはフシの手を見る。
しかし、警戒したまま腕を組み、手を出そうとはしない。
「…………」
しばらくすると――
ノアの隣から、ティシアがひっそりと手を伸ばした。
「……よろしく」
フシは、その手に気づく。
だが――
すぐに手を引っ込めた。
「…………」
ティシアは伸ばした手を、ゆっくりと下ろす。
少しだけ、しょんぼりした。
「僕の名前はティシア・ベルです」
それでも、笑顔を作る。
「仲良くできたら嬉しいな」
ノアは腕を組んだまま、フシと目を合わせない。
「ノアです」
ティシアはフシをじっと見る。
フシはノアには普通に接している。
けれど、自分に対しては明らかに態度が違う。
(……なんで僕を嫌うんだろ)
ふと、自分の身体に宿る力を思い浮かべる。
(この力のせい……?)
ティシアは自分の手を見つめた。
────────
しばらく、微妙な空気のまま馬車に揺られていた。
車輪が砂利を踏む音だけが、車内に響いている。
そのとき、ノアが突然立ち上がった。
「……止めてください」
ノアは馬車の前方へ目を向ける。
「御者さん。魔物が来てるです」
御者が驚いたように振り返る。
「魔物ですか?」
「はい。馬車を止めてください」
御者は慌てて手綱を引いた。馬車がゆっくりと速度を落とし、やがて止まる。
ティシアは腰の剣へ手を伸ばした。
「ティシアは待ってほしいです」
ノアがティシアを見る。
「一人でやってみるです」
ティシアは少し驚いたようにノアを見る。
けれど、すぐに頷いた。
「分かった。気を付けてね」
「はいです」
ノアは頷くと、馬車から降りた。
ティシアは、その背中を見送る。
その隣では、フシが座ったまま動こうとしない。
ティシアがちらりとフシを見る。
視線に気づいたフシが、面倒そうに口を開いた。
「……今は戦えねえんだよ」
「…………」
ティシアは何も言わず、再びノアへ視線を戻した。
ノアは馬車から少し離れ、周囲を見渡す。
砂埃の向こうから――
地面が、大きく揺れた。
ズズズズ……
やがて、牛ほどの大きさをしたワームが何体も姿を現す。
地面を掘り進みながら、次々とこちらへ近づいてくる。
ノアは天照を握り直した。そして、静かに目を閉じる。
「…………」
周囲の大地から、魔力が集まっていく。
ノアの周囲に、三つの岩が浮かび上がった。
「アースショット」
言葉と同時に――
三つの岩が、それぞれ別の方向へ飛んでいく。
ドゴッ!
岩がワームの頭部を正面から捉える。
巨体が地面へ叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
「……次」
ノアは目を開く。
すぐに再び魔力を集める。
三つの岩が浮かび上がり、今度は別のワームへ向かって飛んでいく。
ドゴッ! ドゴッ! ドゴッ!
三体のワームが、次々と地面へ倒れる。
ノアは立ち止まらない。
岩を生み出しては放ち、また生み出す。
ワームが近づけば撃ち抜き、逃げようとすれば岩を追従させて仕留める。
その動きに、無駄がない。
やがて――
最後のワームが地面へ倒れた。
「…………」
辺りに静寂が戻る。
ノアは天照を下ろした。
「ティシア、解体を手伝ってほしいです」
ティシアは馬車から降りる。
「分かった」
ノアの隣に立ち、解体作業を始める。
ティシアは、手際よくワームを解体していくノアを見た。
(……以前とは、全然違う)
先ほどの戦いを思い返す。
三つのアースショットを同時に展開し、それぞれを別の方向へ飛ばしていた。
(魔力量が、格段に上がってる)
さらに、魔法を使うたびに感じていた。
(魔力操作も……かなり洗練されてる)
以前よりも魔力の流れが滑らかだった。
三つの魔法を同時に操っているにもかかわらず、動きに乱れがない。
まるで、自分の手足を動かすように魔力を扱っている。
ティシアは、ふと自分の手を見る。
(ノアは……僕が寝ている間にも、ずっと頑張ってたんだ)
ティシアを助けるために、二週間もの間、部屋に籠って研究を続けていた。
その努力が、今の力に繋がっている。
(僕も……負けてられないな)
ティシアは小さく拳を握った。




