70.グルム・バルガン
グルムは拳をヴァレンへ叩き込む。
「フンッ!」
ヴァレンは地面を蹴った。
拳を紙一重でかわし、そのまま壁を蹴る。
そして――。
天井へ着地した。
まるでコウモリのように、天井に逆さまに立っている。
「デルトさん。」
ヴァレンは天井からグルムを見下ろす。
「早く行ってください。」
「……ああ!」
デルトは走り出す。
「させるか!」
グルムはデルトへ向かって拳を振り抜く。
デルトは反応できない。
その瞬間――。
ヴァレンが天井を蹴った。
「おっと。」
一瞬でグルムとの距離を詰める。
「邪魔をしないでいただきたい。」
ドガッ!
ヴァレンの蹴りが、グルムの身体へ叩き込まれた。
「ぐっ……!」
グルムの身体が後方へ押し飛ばされる。
しかし、倒れない。
地面を靴で削りながら、強引に勢いを殺す。
そして――。
「捕まえたぞ!」
グルムがヴァレンの足を掴んだ。
「……!」
ヴァレンは一瞬だけ目を見開く。
すぐに懐へ手を入れる。
バンッ!
銃声が響いた。
放たれた弾丸が、至近距離からグルムへ迫る。
「チッ!」
グルムは咄嗟に手を放し、身体を横へずらす。
弾丸が脇を通り過ぎ、壁へめり込んだ。
「おや。」
ヴァレンは銃を下ろす。
「以前より速くしたのですが……避けられてしまいましたね。」
グルムはヴァレンから視線を外し、遠くへ走っていくデルトを見る。
すでに距離が開いている。
「…………。」
グルムは拳を握る。
(ガルベスに頼るしかねぇか。)
────────
ガルベスがノアを見守っていると、ノアがゆっくりと目を開いた。
「…………。」
次の瞬間――。
「うっ……!」
ノアは身体を起こし、その場で嘔吐する。
「大丈夫ですか!」
ガルベスは慌ててノアの背中をさする。
「……大丈夫です。」
ノアは荒い息を整える。
そして、聖卓の上にいるティシアを見る。
「ティシアは……安定したはずです。」
ガルベスもティシアへ目を向ける。
しかし、彼にはティシアの中にある力を感じ取ることができない。
「…………。」
本当に安定したのか、判断できない。
ガルベスはノアを見る。
「……叔父さんは、侵入してきたアルカディアの騎士を対処しています。」
ノアは顔を上げる。
「アルカディアの……騎士?」
バンッ!
聖堂の扉が斬り裂かれた。
「……!」
扉の向こうから、デルトが姿を現す。
「聖女様!」
デルトはノアへ向かって走り出す。
しかし――。
ガルベスが剣を抜き、デルトの前に立ちはだかった。
「ノアさん。」
ガルベスはデルトから視線を外さない。
「私は戦い向きではないので……サポートをお願いしたいのですが。」
ノアは天照へ手を伸ばす。
「……分かりました。」
しかし、身体に力が入らない。
「ゴホッ……ゴホッ……。」
激しく咳き込み、立ち上がることすらできない。
「…………。」
ノアは震える手で天照を握った。
デルトは剣を構える。
「退いてください、ヴォルガルドの王よ。」
ガルベスは剣を握り直す。
「……すみません。」
「叔父さんから、二人を頼まれたので。」
───────
グルムは大きく振りかぶりヴァレンに打ち込む。
ヴァレンは拳を受け流しグルムを斬りつける。
「──ッチ」
グルムの顔から血が流れる。他にも全身にはヴァレンがつけた傷が広がっている。
部屋には鉄の匂いが充満する。
「諦めてはどうですか?なぜそこまでするのですか。」
「もしや……息子さんを重ねているのですか?」
グルムはヴァレンを睨みつける。
「……気味の悪いやつだ。」
「わしのことを、調べ尽くしてるってわけか。」
ヴァレンは薄い笑みを浮かべる。
「まあ、いいでしょう。」
「あなたの力は、確かに強い。」
ヴァレンは剣を下ろし、グルムの足元を指さす。
「しかし――それだけです。」
「神の祝福によって、魔力を感じることはできるようですが……。」
「これは、どうですか?」
グルムは眉を寄せる。
「…………?」
ゆっくりと視線を下げる。
そこには、小さな袋が落ちていた。
「なんだ、こいつは――」
バァァンッ!
袋が突然、爆発した。
「ッ!」
爆風とともに、袋の中から大量の鉄片が飛び散る。
無数の鉄片が、グルムへ向かって襲いかかった。
「ぐっ……!」
グルムは咄嗟に両腕を交差させ、身を守る。
鉄片が次々と腕へ突き刺さる。
(この鉄、魔法がかけられてるな)
腕から血が流れ落ちる。
その瞬間――。
「おや。」
横からヴァレンが迫る。
グルムが顔を上げた。
「……!」
ヴァレンは拳を強く握りしめる。
風を切る音が響く。
「──ッ!」
拳が、グルムの顔面へ直撃した。
「──ぐおっ!」
グルムの身体が吹き飛ぶ。
壁を一枚、二枚、三枚と突き破り、瓦礫が廊下へと飛び散った。
ヴァレンはゆっくりとグルムへ近づいていく。
「収納袋に特別な鉄片を大量に詰め、破裂するよう細工したものです。」
「微量の魔力しか込められていないので、気づかなかったのでしょうね。」
瓦礫の山が動く。
「…………。」
グルムが瓦礫を押しのけ、ゆっくりと立ち上がった。
血を拭い、ヴァレンを睨みつける。
ヴァレンは薄く笑う。
「ずっと眠っていてもいいのですよ。」
「私は、ティシア君を捕まえられれば、それでいいので。」
「わしは……二度と───」
────────
30年前。
ヴォルガルド。
「あなた! 元気な男の子よ!」
ドワーフの女性が、赤ん坊を抱えている。
グルムは頭を掻く。
「90歳になって、子供ができるとはな……。」
「アルジャ様のおかげであなたの寿命が延びたからよ。」
女性は嬉しそうに笑う。
「ほら、抱っこして。」
「……わしが?」
グルムは戸惑いながら、赤ん坊を受け取る。
慣れない手つきで抱きかかえる。
腕の中で、赤ん坊が小さく動いた。
「…………。」
グルムは赤ん坊の顔を見つめる。
「……小せぇな。」
思わず、口元が緩んだ。
当時、鍛冶しか才のなかったグルムにとって、妻の存在、そして息子の存在は大きな支えとなっていた。
グルムが自身の工房を発展させていくのと同じように、息子も少しずつ大きくなっていった。
「ほら、お前さんのためにハンマーを作ってやったぞ。」
グルムは、自分で作ったハンマーを息子へ渡す。
「お父さん、ありがとう!」
息子はハンマーを掲げ、ぴょんぴょんと跳ねる。
それを見た妻が、呆れたようにグルムを見る。
「まだ10歳よ。鍛冶をするには早いわ。」
「いいじゃねぇか。」
グルムは笑う。
息子はハンマーを抱えたまま、グルムを見上げる。
「ぜったい、お父さんみたいなすごい鍛冶師になる!」
グルムは幸せだった。
妻がいて、息子がいて。
自分の工房も、少しずつ大きくなっていた。
――しかし。
その幸せは、突然壊された。
「何!? 工房が襲われた!?」
グルムが立ち上がる。
従者が慌てた様子で頭を下げる。
「はい。恐らく、あなたを邪魔に思っている者たちの犯行でしょう。」
「…………。」
グルムの表情が険しくなる。
「被害は?」
「工房が荒らされただけです。幸い、奥様と坊ちゃんには怪我はありません。」
「そうか……。」
グルムは安堵の息を吐く。
しかし――。
この事件は、始まりに過ぎなかった。
それからしばらくして――。
再び、工房が襲撃された。
今度は、グルムもそこにいた。
「何だ!?」
突然、地面から木の根が伸びる。
「ぐあっ!」
鋭い根が工房の中を駆け抜け、そこにいた者たちを次々と貫いていく。
「やめろ!」
グルムは咄嗟に妻と息子の前へ飛び込む。
根がグルムの身体を貫いた。
「ぐっ……!」
激痛が走る。
それでも、グルムは倒れなかった。
ドワーフとして鍛え上げられた身体は、致命傷を耐え抜いていた。
「わしは……まだ動ける……!」
グルムは根を掴み、力任せに引き抜く。
そして、妻と息子を見る。
「…………。」
二人は動かなかった。
「……おい。」
グルムの声が震える。
「なあ……。」
何度呼びかけても、返事はなかった。
グルムは、二人を守れなかった。
その後、調査が行われた。
しかし――。
犯人が見つかることはなかった。
「…………。」
何も分からない。
誰がやったのかも。
なぜ、自分たちが狙われたのかも。
ただ、大切なものだけが奪われた。
グルムは怒りを抑えられなかった。
行き場のない怒りを抱えたまま、砂漠へ向かう。
怒りのはけ口が必要だった。
「来い……!」
砂の中からワームが姿を現す。
巨大な口を開き、グルムへ襲いかかる。
「うおおおおっ!」
グルムは拳を握りしめる。
そして――。
ドゴォン!
拳がワームの頭部へ叩き込まれる。
巨大な身体が砂の上を転がった。
「……まだだ。」
グルムは拳を握り直す。
「まだ、足りねぇ……。」
グルムが落ち着いたのは、当時の王が迎えに来た時だった。
馬車に揺られながら、グルムは窓の外を見つめる。
頬を、涙が伝っていた。
「……力があっても、使えなければ意味がねぇ。」
拳を握る。
「なんで……。」
声が震える。
「なんで、守れなかったんだ……。」
グルムは、それから武器を作る気にはなれなかった。
自分の作った武器が誰かを傷つけることを想像すると、どうしても手が動かなかった。
武器作りは弟子たちに任せる。
(次にわしが武器を作るのは、そいつが信念を持ってると判断した時だ。)
そしてグルム自身は――。
人の役に立つものを作り始めた。
鍋。
農具。
生活を支える道具。
人を傷つけるためではなく、人の暮らしを支えるための鍛冶。
それが、家族を守れなかったグルムが選んだ生き方だった。




