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64.眠った少年

ウラノス王国――王城。


イロアスが廊下を歩いていると、ある部屋の前で足を止めた。

扉の向こうから、怒鳴り声が聞こえてくる。


「入るぞ」

イロアスはそう告げ、扉を開けた。


部屋の中では、第一王子アノスがベッドに伏していた。


その周囲には、怯えた様子の侍女たち。


「使えないな!」

アノスが手にしていた物を投げつける。


「ひっ……!」

侍女が身をすくめる。


その時、アノスがイロアスの存在に気づいた。


「父上!」

アノスは身体を起こす。


そして、苛立ちを隠すことなく問いただした。

「あの出来損ないは、まだ捕まらないのですか!」


「ヴァレンが今、捜索しておる」

イロアスは落ち着いた声で答える。


「すぐに見つかるだろう」


そう言いながら、イロアスはアノスの足へ目を向けた。

「それより、怪我の調子はどうだ」


「まだ痺れています」

アノスは自分の足を睨む。


「あいつが抵抗したせいで…………」


拳を強く握りしめる。

「あの出来損ないが……!」


怒りに震えながら、アノスは顔を上げた。

「何故、全勢力をあいつに向けないのですか!」


声が部屋に響く。

「そうすれば、アルカディアで捕らえることができたでしょう!」


「そう簡単な話ではない」

イロアスは静かに言った。


「アルジャ様によると、封印が解けた影響で魔物が変異しているそうだ」


「その影響で、ヴァレン以外の騎士団は皆、魔物への対応に追われておる」


「…………」

アノスは黙り込む。


だが、怒りが収まったわけではない。

ベッドの上で拳を握りしめたまま、吐き捨てるように呟く。

「あいつがおとなしく、生贄になっていれば…………」


イロアスは、深いため息をついた。


そして、懐から何かを取り出す。


「これは……」

アノスは、イロアスの手にある白い物体を見つめた。


それは、淡い光を帯びていた。

ただの物ではない。


そう直感した瞬間、アノスの背筋に悪寒が走る。


「アルジャ様からの贈り物だ」

イロアスは白い物体をアノスへ差し出した。


「これを毎日、身体に取り込めばいい」


「そうすれば、莫大な力を得ることができるだろう」


「…………」


アノスは、それを見つめたまま動かなかった。


恐ろしい。


本能がこれを拒んでいる。


「……いりません」

アノスがそう言いかけた。


その瞬間――


脳裏にティシアの姿が浮かぶ。


自分を見下すような黒い髪。


自分の前から逃げていった、あの出来損ない。


「…………」

アノスの表情が変わる。


白い物体へ視線を戻した。


「これを食べれば…………」

声が震える。


それでも、アノスは問いかけた。

「……出来損ないを、殺せますか…………?」


イロアスは、静かに頷いた。


「…………」

アノスの顔には、まだ恐怖が残っていた。


それでも――


口角だけが、ゆっくりと吊り上がる。


「……そうですか」


アノスは白い物体を手に取った。


僅かに震える指。

それを見つめながら、アノスは目を閉じる。


そして――


「……いただきます」


白い物体を、口へ運んだ。


────────


ノアは、グルムの目を真っ直ぐ見る。

「グルムさん。」


「ティシアの力について知っていることを、教えてください。」


グルムはしばらく黙った後、椅子に腰を下ろした。

「……分かった。」


そして、ティシアから聞いたことを話し始める。


黒い炎。


炎竜の記憶。


そして、黒い炎に触れた直後から再生能力が失われたこと。


「あいつが言うには、あの黒い炎もサーナトスの力らしい。」


ノアは顎に手を添える。

「……つまり。」


「ティシアの中にあった不死身の呪いと。」


「新しく取り込んだサーナトスの力が、ぶつかり合ってる可能性があるですね。」


グルムは頷く。

「わしも、そう考えている。」


ノアは少し考える。

「……じゃあ。」


「不死身の方の力を、強化するのはどうですか。」


グルムが眉をひそめる。

「どうやって?」


ノアはすぐに答えた。

「サーナトスの羽を吸収した後。」


「あの時、ティシアの再生能力が上がってたです。」


グルムは黙る。


ノアは続ける。

「だったら……もう一度、サーナトスの力を吸収すれば。」


「黒い炎の力に負けないくらい、不死身の力を強くできるかもしれないです。」


グルムは少し考えた。

「……それなら、成功するかもしれんな。」


ノアの表情が少し明るくなる。


しかし。


「だが、一つ問題がある。」


「何ですか?」


グルムは、言葉を選ぶように少し黙った。

「あいつ、最近おかしかった。」


「……?」


「一人称が『僕』から『俺』になったり。」


「意識が曖昧になったりしてた。」


ノアの表情が曇る。


「サーナトスの力を吸収するたびに、何かが変わっているのかもしれん。」


「だから……さらに力を吸収すれば。」


「それが悪化する可能性がある。」


「そうですか……。」


(ティシアを助けられるかもしれない。)


(でも、その方法で……ティシアがティシアじゃなくなるかもしれない。)


グルムが腕を組む。

「逆に。」


「黒い炎の力を、弱くするってのはどうだ?」


ノアは考える。

「弱くする……。」


「方法は、まだ分からん。」


「だが、成功すれば。」


グルムはノアを見る。

「少なくとも、今のティシアのままで、戻ってくる可能性がある。」


ノアは黙った。


グルムはゆっくりと立ち上がる。

「とりあえず、ティシアの体を治すために王宮へ向かうぞ。」


ノアが顔を上げる。


「お前さんの回復魔法なら、止血くらいはできるかもしれん。」


「だが、完全に治すとなると話は別だ。」


グルムは扉へ向かう。

「腕のいい魔術師に診てもらわねえと。」


そして、振り返る。

「明日出発だ。」


「急いで用意しろ。」


ノアは頷いた。

「分かったです。」


────────


翌朝。


ノアは、街の入口に停められた一台の馬車を見上げた。


黒く磨かれた車体。


窓には透明なガラスがはめ込まれ、側面には金色の装飾が施されている。


明らかに、一般人が使うような馬車ではなかった。


「……グルムさんの馬車ですか?」


「ああ。」


グルムが扉を開ける。

「昔から使ってる。」


ノアは馬車の中へ乗り込んだ。


グルムが、馬車の床下にある収納スペースを指さす。

「あいつの体は、そこに寝かせてある。」


「……」


「あいつから、いろんな気配を感じる。」


グルムは腕を組む。

「まだ死んでねえんだろうな。」


ノアは、馬車の下を見る。

「……絶対に助けるです。」


グルムは何も答えなかった。


やがて。


馬車がゆっくりと動き出す。


────────


しばらくして、グルムが口を開いた。

「お前さん、ヴォルガルドの王宮は知ってるか?」


「知らないです。」


「これといって特徴はねぇんだが、ここから東にある砂漠の中だ。」


「どれくらいかかるですか?」


「馬車で四日ほどだな。」


「食料は空間拡張が施された魔法袋に入れてある。」


────────


一日ほど経つと、周囲には砂漠しか見えなくなった。

ノアは窓を開ける。乾いた砂の匂いが馬車に入る。


外の景色を眺めていた時。


────ドォォォン!


遠くの方から、大きな音が響いた。


「……?」

ノアが目を凝らす。


かなり遠く。


砂漠を移動する巨大な影が見えた。


小さな村なら、囲めそうなほど巨大なワームだった。


体が長く、百メートル程だろうか。


グルムはちらりとワームの方を見る。

「そろそろ、調教が必要だな。」


ノアが驚いたように振り返る。

「調教?」


「ああ。」


グルムは平然と答える。

「わしが若い頃、あのボスワームをぶん殴ってやったことがある。」


「……はい?」


「それ以来、わしが作った武器を見せると、あいつらは近寄ってこなくなった。」


ノアは膝の上で両手を重ねる。

「……グルムさんは、すごいですね。」


「物作りだけじゃなくて、人を守れる力もあるです。」


グルムは少し笑う。

「お前さんとわしは、あまり変わらん。」


「ただ、わしの方が長く生きてるだけだ。」


────────


馬車は何事もなく、王宮へと向かっていた。


ノアは、到着するまでの間も黒い炎をどうにかする方法を考えていた。


ノアは自分の手を見る。

そこには、魔法陣が刻まれている。


(この魔法陣……最初は聖遺物だけに反応していると思ってたです。)


(でも、よく思い返してみれば……影狼にも反応していた。)


(おそらく、炎竜にも。)


ノアは、自分の手に刻まれた魔法陣を見つめる。

(これは、聖遺物と使用者のつながりを強くする魔法……。)


(ティシアには反応しませんでした。)


(だけど、影狼や炎竜に反応した……。)


(……影狼と炎竜は、ティシアや聖遺物と何が違うですか?)



ノアは考える。


ティシア。


影狼。


炎竜。


(何か違いがあるはずです。)


────────


ノアは考え続けた。

しかし、答えが出ないまま馬車は王都へと到着した。


そこは、まるでオアシスのような街だった。

水路には澄んだ水が流れ、その周囲には緑が広がっている。

草の甘い香りが、風に乗って馬車の中まで届いた。


「もうすぐだ。」


グルムがそう言う。


やがて、その先に王宮が姿を現した。

赤い砂岩と白い石灰岩で築かれた王宮。

太陽の光を受け、建物は淡い桃色に輝いていた。


入り口には、二人の侍女が待っている。


ノアは先に馬車を降りた。


王宮の壁にそっと触れる。

表面は滑らかでありながら、どこか彫刻のような独特の質感があった。


グルムは馬車からティシアを抱え出す。

「わしはこいつの治療を頼みに行く。」


「甥……王にも用があるしな。」


「私は何かすることはあるですか?」


「そうだな……。」

グルムは少し考え込んだ後、近くにいた侍女へ何かを伝えた。


「王宮の中に図書館がある。」


「古い記録も残っている。500年以上前のものはほとんど残ってねえが……何か、ティシアを助ける手掛かりがあるかもしれん。」


「探してくれ。」


ノアは頷く。

「わかりました。」


侍女がノアに軽く一礼した。

「私がご案内いたします。」


「こちらへどうぞ。」


ノアは侍女に導かれ、王宮の図書館へと辿り着いた。


中は純白の大理石で造られている。

足を踏み入れると、ひんやりとした空気と石特有の匂いが鼻を通った。


壁一面には本棚が並び、その中には大量の書物が収められている。


「私は隣の部屋におりますので、何かございましたらお呼びください。」


「はい。ありがとうございます。」


侍女は一礼すると、ゆっくりと扉を閉めた。


ノアは本棚から歴史書を取り出す。

(……500年以上前の本がない。)


ページをめくりながら、ノアは考える。

(どうしてですかね?)


(ただ古くなって失われただけ?)


ノアの手が止まる。


(それとも……。)


(サーナトスのことを隠すため?)


ノアは様々な本を手に取った。


歴史。


魔法。


呪い。


聖遺物。


しかし。


「……どの本を見ても、ティシアを助けられそうなものは無いですね。」


ノアが本を棚へ戻そうとした時。

視界の端に、一冊の本が入った。


他の本とは明らかに違っていた。

表紙はザラザラとして乾ききっており、色も褪せている。


まるで長い間、誰にも触れられていなかったかのようだった。


ノアは目を細める。


消えかかった文字を読む。

「これは……。」


「『聖女の魔法』?」

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