57.影狼の意思
母ノミアの葬式から、数日後。
幼いティシアは、一人で城内を歩いていた。
周囲から、メイドたちの声が聞こえる。
「ティシア王子、葬式に参加させてもらえなかったらしいわ。」
「いくら何でも、それは可哀想よ。」
「じゃあ、助けてあげる?」
「別にいいでしょ。助けても私たちに何の利もないわ。」
「それに、アノス王子に見つかったら何をされるか分からないもの。」
ティシアがそちらを見る。
メイドたちはティシアと目が合うと、気まずそうにその場から去っていった。
「……」
ティシアは何も言わなかった。
その時。
前方から、一人の女性が歩いてきた。
青い髪を団子状にまとめた女性だった。
女性はティシアの前で足を止める。
「悔しくないのですか。」
「……え?」
「何もできず、母親を失った。」
「葬式にすら参加させてもらえず、周りの人間には見て見ぬふりをされている。」
女性はティシアをまっすぐ見つめた。
「それでも、あの者たちを見返したいとは思いませんか。」
ティシアは俯く。
「……思います。」
小さな手を握りしめる。
「思いますけど……ぼくには、生きる力がありません。」
女性は少しだけ目を細めた。
「なら、私が教えましょう。」
ティシアが顔を上げる。
「あなたが、この世界を生き抜くための力を。」
「……なんで、ぼくに?」
女性は静かに答えた。
「ノミア様に頼まれたからです。」
ティシアの目が大きく開く。
「ノミア様は、あなたが一人になった時のことを心配していました。」
女性は深く頭を下げる。
「申し遅れました。」
「私はエルミと申します。」
「ノミア様の遺言により、あなたにこの世を生き抜く力を教えるよう、命を受けました。」
ティシアは目の前の女性を見つめる。
「……エルミ先生?」
「そうです。」
エルミは静かに微笑んだ。
「ティシア王子。あなたには、夢がありますか?」
「夢……」
ティシアは少しだけ考える。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「ぼくは、お母様に言ったんです。」
「みんなを幸せにできる王様になるって。」
エルミは黙ってティシアの言葉を聞いていた。
そして。
「そうですか。」
少しだけ笑う。
「なら、その夢を必ず叶えましょう。」
エルミはティシアへ手を差し出した。
「私が、そのための力を教えます。」
ティシアは差し出された手を見る。
そして。
「……はい。」
小さな手で、エルミの手をしっかりと握った。
それは、ティシアが再び前を向くための、最初の一歩だった。
────────────
トカゲの死体が塵となって消え、中から二つの羽が出てきた。
それを影狼は喰らう。
ウォォォォォン!
影狼の遠吠えが、遺跡中に響き渡る。
「ティシア! 目を覚まして!」
ノアは杖を握りしめた。
天照に取り付けられている水晶を、光魔法用の水晶へと切り替える。
杖が光を放つ。
ノアの周囲が、白い光によって照らし出された。
(この部屋全体を照らすほどの光は……体力が持たないです。)
右手で杖を影狼へ向ける。
左手では、ティシアからもらった首飾りを強く握りしめた。
「フォス・スフィア!」
ノアの周囲に、二つの光球が現れる。
光球は勢いよく、影狼へ向かって飛んでいった。
影狼は素早く横へ跳び、二つの光球を避ける。
しかし。
片方の光球が、突然軌道を変えた。
影狼を追うように方向を変える。
一度。
二度。
影狼が避けるたびに、光球も軌道を変えた。
そして。
ドォン!
光球が影狼の体へ直撃する。
「……!」
影狼の体から、影が削り取られる。
しかし。
影狼は数歩よろめいただけだった。
倒れない。
「……効いてないですか?」
影狼は、じっとノアを見ていた。
(何で……?)
(影狼なら、光が弱点のはずです。)
ノアは杖を握りしめる。
(ティシアが中にいるから……?)
紫色の目が、ノアを捉える。
次の瞬間。
ズズズズ……。
ノアの周りから、何本もの黒い触手が伸び始めた。
「……っ!」
「フォス・スフィア!」
光球が放たれる。
ドォン!
触手へ直撃する。
しかし。
削れたのは、ほんの一部だけだった。
触手は止まらない。
「そんな……!」
黒い触手が、ノアへ迫る。
一本の触手が伸び、ノアを捕えようとした。
「っ!」
ノアは間一髪で身をかわす。
その瞬間。
周囲を照らしていた光が消えた。
「アースショット!」
ノアはすぐに杖を向ける。
放たれた岩が、黒い触手へと直撃した。
ドォン!
触手は大きく弾け飛び、そのまま消えていく。
「……?」
ノアは目を見開いた。
(光が当たってないのに……効いたです。)
ノアは杖を握り直す。
そして、影狼へ向けた。
「アースショット!」
岩が暗闇の中を一直線に飛んでいく。
しかし。
ガンッ!
何かに弾かれたような音が響いた。
岩は影狼へ届くことなく、地面へと転がった。
「……?」
暗くて、何が起きたのかよく見えない。
ノアは杖を構えたまま、影狼を見つめる。
(触手には効いた。)
(でも……影狼本体には、何かに弾かれた。)
「どうすればいいですか………」
ダメ元でノアは光球を影狼に撃つ。
しかし、どれも少しダメージを与えるだけですぐに再生する。
(光球じゃないと、あいつに反応されるです。)
(でも、光球はダメージが少ない……。)
ノアは影狼を見つめる。
(それでも。)
(打ち続ければ……中にいるティシアに届くかもしれない。)
ノアは杖を影狼へ向けた。
影狼は動かなかった。
ただ。
紫色の目で、ノアを見つめている。
「天照……お願い!」
ノアが杖を強く握りしめる。
「フォス・スフィア!」
光球が放たれる。
一発。
二発。
三発。
影狼の体へ光球が当たり、小さな爆発を繰り返す。
しかし、影狼はすぐに再生する。
ノアは止まらなかった。
「フォス・スフィア!」
何発も。
十発。二十発。
それでも、ノアは止まらない。
やがて光球は途切れることなく放たれ、一つの光の奔流となって影狼を押し込んでいく。
ドォォォォォン!
一本の光が、影狼へ向かって伸びる。
最初は白かった光が、次第に赤く染まっていく。
「……まだです!」
ノアは魔力を送り続ける。
天照が激しく輝く。
赤い光は、影狼の体へ撃ち込み続けた。
影狼の体が、徐々に膨れ上がっていく。
「ウォォォォォォン!」
影狼が苦しそうな叫びを上げる。
そして──。
ドゴォォォォン!
影狼の半身が、爆発した。
────────
ティシアは、暗い精神空間の中で目を覚ました。
「……ここは?」
周囲を見渡す。
何もない。
ただ、どこまでも続く暗闇だけが広がっていた。
ティシアはゆっくりと、自分に何が起きたのかを思い出す。
「確か……影狼の力が暴走して……」
「オマエの体の主導権が、オレにウツッタ。」
声が響く。
ティシアは、声のした方向を見る。
そこには。
一匹の、普通の狼が座っていた。
巨大でもない。
影に覆われてもいない。
ただの狼だった。
「……影狼。」
狼はティシアを見つめる。
「オマエが、オレの力を使うたび。」
少し間を置く。
「オレの意識が、少しずつ戻ってきた。」
「それで、僕の体を支配したのか。」
「チガウ。」
影狼は首を横に振った。
「オマエが力を暴走させた。」
「オレの意識が、オマエの体にウツッタ。」
ティシアは額を押さえる。
「つまり……お前の意思じゃないってこと?」
「ソウダ。」
「なら、体を返してくれ。」
影狼は頷いた。
「ワカッタ。」
「……え?」
あまりにもあっさりとした返事に、ティシアは呆気にとられる。
「素直だな。」
「オマエの記憶を見た。」
影狼はティシアを見つめる。
「オマエの記憶を通して。」
「オレが、どう見られているのか。」
「ニンゲンとは、何なのか。」
少しだけ間を置く。
「……少し、理解した。」
影狼はティシアを見る。
「この感情は、言葉にできない。」
「だが、少なくとも……オマエラを襲う気にはナラナカッタ。」
「……そうか。」
ティシアは小さく呟く。
そして、影狼へ歩み寄った。
「僕も、お前の記憶を見たんだ。」
影狼がティシアを見る。
「その時……僕は、最悪だと思ってしまった。」
ティシアは目を伏せる。
「お前が必死で生きてきた記憶を。」
「ウルフとオマエの生活は違う。」
影狼は静かに言う。
「そう思って、トウゼンだ。」
「それでもだ。」
ティシアは影狼を見つめた。
「申し訳なかった。」
「お前の住処に侵入したこと。」
「そして……お前が必死で生きてきた記憶を、勝手に悪いものだと思ったこと。」
影狼は、しばらく黙っていた。
「……あのトカゲの記憶が、オマエに入り込んだ。」
ティシアの表情が変わる。
「しばらくは、オレが抑えてやる。」
「本当か?」
「ソウダ。」
影狼は続けた。
「その代わり。」
「たくさん食え。」
「……は?」
「美味い物。」
「不味い物。」
「オマエが感じたものは、オレにも共有される。」
ティシアは一瞬、呆気にとられた。
そして、小さく笑う。
「……ありがとう。」
その瞬間。
精神空間に、赤い光が差し込んだ。
「……!」
次の瞬間。
赤い光が、空間そのものを破壊していく。
バキィィィン!
暗闇に、無数の亀裂が走った。
ティシアは目を見開く。
「何だ……!?」
赤い光が、すべてを飲み込んでいく。




