42.命を喰らう感覚
ティシアは真っ暗で何もない空間で目覚める。
「ここは……?」
この空間には見覚えがあった。
「確かサーナトスと会った空間だ。てことはここは僕の精神空間?」
ティシアが考えてると、草を踏む感覚が来る。
「何が起こって──」
次に強烈な草の匂い、獣臭が襲う。
「───ッ」
だんだん意識がはっきりしてくる、ティシアは自分の身体を見下ろした。
「……え?」
人間の手ではない。
鋭い爪。
灰色の毛。
四本の脚。
「……僕が……ウルフに?」
そう呟いた瞬間――
「グルル……。」
自分の口から、低い唸り声が漏れた。
「……っ!」
ティシアは慌てて口元を押さえる。
しかし、そこに人間の手はなかった。
目の前にはウサギがいる。ティシアに嫌な予感が走る。
ティシアはウサギに飛び掛かる。ウサギを捕まえそして────
「やめろ!」
ティシアの意思に反して牙が肉に食い込む。
「――っ!」
ティシアは吐き気を覚えた。
なのに――
美味しい。
「……違う。」
ティシアは必死に否定する。
「僕は……こんなものを……。」
だが、身体は止まらない。
噛み千切る。
飲み込む。
また噛み千切る。
「やめろ……!」
それでも止まらない。
食べ終わったころ、視界が歪んだ。
「……また……?」
景色が崩れていく。
次に目を開けたとき――
森の中だった。
目の前には、一頭のシカがいる。
「……。」
ティシアは後ずさる。
「もう……やめてくれ。」
しかし、身体は止まらない。
足が地面を蹴る。
「やめろ!」
シカへ飛び掛かる。
角を避け、首へ牙を突き立てる。
「――っ!」
温かい血の感触。
シカの身体が震える。
それでも、牙は離れない。
「違う……!」
ティシアは叫ぶ。
「僕は食べたくない!」
それでも――
身体はシカの肉を食い千切った。
気がつけば、再びシカが目の前にいた。
「……まだ続くのか……」
ティシアは目を逸らそうとする。
しかし、身体は言うことを聞かない。
再び地面を蹴った。
シカへ飛び掛かる。
その瞬間――
「――ッ!」
腹部に、焼けるような痛みが走った。
ティシアの身体が地面へ転がる。
「……え?」
腹を見る。
そこには一本の矢が深々と突き刺さっていた。
「矢……?」
遠くから、人間の声が聞こえる。
『当たったぞ!』
『追え!』
ティシアの身体が、本能的に動き始めた。
逃げなければ。
殺される。
ティシアは必死に地面を蹴った。
足が重い。腹から血が流れている。
それでも走る。
木々の間を抜ける。
後ろから足音が近づいてくる。
「……来るな……。」
ティシアは息を荒くしながら呟く。
「僕は……何もしてない……。」
しかし、その言葉とは裏腹に――
身体は知っていた。
自分は今まで、何匹もの動物を食べてきた。
生きるために。
ただ、生きるために。
やがて、一軒の古びた建物が見えた。
ティシアはそこへ逃げ込む。扉の隙間から外を見る。
人間たちが通り過ぎていく。
『どこへ行った?』
『血は続いている。近くにいるはずだ』
ティシアは息を殺した。
身体が震えている。
「……怖い。」
ティシアは理解した。
影狼も、こうやって生きていたのだ。
影狼は血を流しながら建物の奥へと進んだ。その道に見覚えがあった。
「ここは、影狼がいた遺跡?」
遺跡の奥につく。そこは以前みた礼拝堂だった。違うのは前より苔が生えていないのと台座の上に1つの羽があることだった。
影狼は台座の前で立ち止まった。
その上には、一枚の羽が置かれている。
「……あれは。」
ティシアには分かった。
「サーナトスの力……。」
影狼は、その羽へゆっくりと近づいていく。
「やめろ……。」
まるで何かに引き寄せられるように、影狼は羽を口にした。
「――ッ!」
その瞬間、影狼の身体が大きく震えた。
黒い影が身体中を駆け巡る。
「グルァァァ……!」
傷ついていた身体が、急速に変化していく。
ティシアもその感覚を感じる。
「……あの力を、取り込んだのか。」
また、視界が歪む。
次にティシアが目にしたのは――人間だった。
影狼は、その人間を見た瞬間、激しく唸った。
「グルルルル……!」
そして、考えるより先に地面を蹴った。
人間へ飛び掛かる。
「――っ!」
ティシアの胸に、凄まじい怒りが込み上げてきた。
憎い。
殺したい。
目の前の人間を、今すぐ引き裂きたい。
「……やめろ。」
これは自分の感情じゃない。
そう分かっているのに、怒りが消えない。
全身の毛が逆立つ。
血が沸騰するような熱が、身体中を駆け巡る。
「……なんだよ、これ……。」
影狼はその人間に飛び掛かった。
爪が肉を裂く。
牙が食い込む。
『助けて』
声が聞こえる。
それでも、影狼は止まらない。
ティシアには分かってしまった。
恐怖も。
苦痛も。
そして――空腹も。
「やめろ……!」
ティシアが叫ぶ。
だが、身体は止まらない。
むしろ――
美味い。
「……っ!」
ティシアは吐き気を覚える。
それなのに、身体の奥では別の感情が湧き上がっていた。
もっと食べたい。
もっと肉を。
もっと血を。
「違う……!」
ティシアは必死に否定する。
「僕は……そんなこと思ってない……!」
だが、その感情は確かに自分の中にあった。
影狼が感じているものなのか。
それとも、自分自身が感じているものなのか。
「もう、分からない……。」
ティシアは目を閉じた。
それでも、記憶は終わらない。
一人。
また一人。
何人もの人間を喰った。
何十人もの人間を喰った。
そのたびに、牙が肉に食い込み、血の味が口の中に広がった。体には腐敗臭が強く残る。
『助けて』
『嫌だ』
『誰か……』
何度も聞いた。
それでも、影狼は止まらなかった。
そして――
「……っ」
ティシアは目を開いた。
「……ここは……?」
いつの間にか、目の前には何もなかった。
ただ、暗闇だけが広がっている。
「……何人……?」
自分でも分からない。
「僕は……何人の人間を……。」
ティシアは口元を押さえる。
そこに血はついていない。
それなのに――
口の中には、まだ血の味が残っている気がした。
ティシアはその場に膝をついた。
「……うっ……。」
何度も吐き気を覚える。
目を閉じても、さっきまでの光景が頭から離れない。
牙に食い込む肉。
口の中に広がる血の味。
そして――
『助けて』
あの声。
「……もう、嫌だ……。」
そのとき。
「大丈夫か」
「……?」
ティシアはゆっくりと顔を上げた。
そこには、一人の青年が立っていた。
「……サーナトス様。」
サーナトスは、いつものようにティシアを見下ろしている。
しかし――
以前とは、どこか違って見えた。
「随分と苦しそうだな。」
「……あなたは、平気なんですか。」
ティシアは震える声で尋ねる。
「あれは其方の感じたものだ。我には何もなかった。」
「僕は……何十人もの人間を食べました。」
「正確にはあの狼だ。」
「それでも……私は感じたんです。」
ティシアは自分の手を見る。
「痛みも、恐怖も……血の味も臭いも。」
「……そうか。」
サーナトスはしばらく黙っていた。
そして、ほんの少しだけ目を細める。
「ならば、其方が苦しむのも無理はない。」
「……。」
ティシアは顔を上げる。
「サーナトス様……。」
「何だ。」
「あなたがもし、私と同じ経験をしたら……どう思いますか?」」
サーナトスは答えなかった。
ただ、ティシアを見つめていた。
「……我には、人間の感情など理解できぬ。」
そう言いながらも――
その声には、以前にはなかった僅かな戸惑いがあった。
空間に亀裂が入る。
「……もう時間か。」
サーナトスが呟く。
「ティシア、其方はよくやった。よく休め。」
ティシアは代償のことを聞こうとしたが段々意識は沈んでいった。




