4.不死身への一歩
「アネスティセ・クサナ。」
その言葉が祭壇に響いた瞬間――
ゴゴゴゴゴ……!!
大地が激しく揺れ始めた。
天井から砂埃が舞い落ち、巨大な像に無数の亀裂が走る。
「……サーナトス。」
アルジャが呆然と、その名を呟いた。
突然の揺れにイロアスは壁に手をつき、必死に体勢を保った。
ティシアを押さえつけていた重力魔法が、一瞬だけ緩んだ。
(今なら――!)
ティシアは腹部に突き刺さった白銀の短刀を、自ら引き抜いた。
「ぐっ……!」
激痛が全身を駆け巡る。
それでも歯を食いしばり、目の前にいたアノスの胸へ短刀を突き立てた。
「ガァ……ッ!」
アノスは苦悶の声を上げ、その場によろめく。
ティシアはすぐに踵を返した。
その時、崩れ始めた巨大な像の奥に、不自然な闇が見えた。
(あれは……空洞?)
祭壇の出口にはイロアスが立っている。
(出口は塞がれている……。)
(なら、一か八かだ!)
ティシアは巨大な像の奥に広がる暗い空洞へ向かって駆け出した。
「アノス!」
イロアスは倒れたアノスのもとへ駆け寄る。
「しっかりしろ!」
その隙に、ティシアは空洞まであと数歩というところまで迫っていた。
「待て、生贄よ。」
アルジャがゆっくりと右手を掲げる。
次の瞬間、黄金に輝く植物が腕へ絡みつき、一本の巨大な鞭へと姿を変えた。
ビシィッ!
空気を裂く音とともに、黄金の鞭がティシアへ襲いかかる。
(間に合わない――!)
ティシアが覚悟した、その瞬間。
ドォンッ!!
ティシアの傷口から噴き出した深い闇が、黄金の鞭を弾き飛ばした。
「サーナトスが目覚めたか。」
アルジャは険しい表情で呟いた。
「王よ。早く生贄を我のもとへ連れてこい。」
ティシアは突然現れた黒い力に驚きながらも、巨大な像の奥に広がる空洞をひたすら駆けた。
しかし、腹部の傷は深い。
溢れる血が床を赤く染め、一歩踏み出すたびに激痛が全身を駆け巡る。
息は乱れ、視界も徐々に霞み始めていた。
それでも、立ち止まるわけにはいかない。
(……水の音?)
微かに、滝が流れ落ちる音が聞こえた。
(もしかしたら、外へ続いているのかもしれない。)
希望を胸に、ティシアは最後の力を振り絞って走る。
だが、空洞を抜けた先に広がっていたのは――
切り立った断崖だった。
はるか眼下では、轟音を立てながら滝が流れ落ちている。
落ちれば、助かる見込みはない。
「諦めろ、ティシア。」
背後からイロアスの低い声が響く。
ティシアはゆっくりと振り返った。
「断る。」
「私には、まだやりたいことがある。」
「……ノミアのように、多くの者を幸せにすることか。」
「そうだ。」
「お母様のような、立派な人になる。」
イロアスは一瞬だけ目を伏せ、小さく息を吐いた。
「ならば、一つ聞こう。」
「もしノミアが、この儀式で何の罪もない実の妹をその手で殺めていたとしても――」
「それでも、お前はあれを尊敬できるのか。」
その言葉に、ティシアの息が詰まる。
(……もしかしたら。)
(お母様は、本当に妹を……。)
アルジャの言葉が脳裏をよぎる。
『前回は、姉が妹を連れて来ていたな。』
胸が締めつけられる。
それでも――。
ティシアはまっすぐイロアスを見据えた。
「それでも、お母様は貴族も平民も分け隔てなく、多くの人を幸せにしました。」
「私には分かりません。お母様がどんな思いで妹を手にかけたのか。」
「でも、お母様は最後まで優しい人でした。」
「だから、私はお母様を信じます。」
イロアスは何も答えない。
ティシアは静かに踵を返した。
眼下には轟々と流れる滝。
生き延びられる保証など、どこにもない。
それでも、ここで運命に従うつもりはなかった。
「さようなら。」
ティシアは崖から身を躍らせた。
イロアスの魔法が私を捕らえようとする。
しかし、その手はあとわずか届かなかった。
(王の魔法にも……限界があるのか。)
(なら、もしかしたら――)
ドォンッ。
凄まじい衝撃が全身を貫く。
激流は容赦なくティシアの身体を飲み込み、深くへと沈んでいった




