3.アルジャ
神を名乗る者は、伝承に描かれる英雄そのものだった。
長い白銀の髪。彫刻のように整った顔立ち。背には純白の翼。
だが、その瞳だけは違う。
生者の熱も、慈愛も、怒りさえも宿していない。
まるで何百年も動きを止めた人形が、こちらを見下ろしているようだった。
「……執行者はまだ来ぬのか。」
「執行者……?」
「其方を捧げる者だ。」
「捧げる……?」
「王族は代々そうしてきた。兄が弟を、姉が妹を。」
「……前回は、姉が妹を連れて来ていたな。」
「人間にとっては十数年前だったか。」
「その役目を執行者と呼ぶ。」
私はアルジャに膝をつく。
「私はティシア・バシレウスです。兄上……アノスに、ここへ来れば助かるかもしれないと言われました。」
アルジャは一瞬だけ目を細めた。
「……そうか。」
そして、ほんの僅かに口元が歪んだ。
「くくっ。」
「そうか、そうか。今回の執行者は、随分と悪趣味な者らしい。」
「え……?」
困惑する私をよそに、アルジャは肩をすくめた。
「ここは生贄を捧げる祭壇だ。」
「つまり、兄上は……」
「そういうことだ。」
「其方はアノスとやらに、まんまと騙されたようだな。」
その言葉が終わるのと同時に、背後で重い扉が軋む音が響いた。
ギィィ――。
私は弾かれたように振り返る。
そこには豪奢な礼装に身を包んだ兄アノスと、その隣には王冠を戴く国王イロアス・バシレウスが立っていた。
「……父上。」
思わず声が漏れる。
国王は私を見ることなく、祭壇の奥に立つアルジャへ向かって静かに一礼した。
「初めてお目にかかります、神よ。」
「現ウラノス王国国王、イロアス・バシレウスにございます。」
そして隣に立つアノスへ視線を向ける。
「こちらは、今回の執行者。」
アノスが一歩前へ出て、胸に手を当てた。
「アノス・バシレウスです。」
「初めてお目にかかります、神よ。」
アノスは私に視線を向けて言った
「最近のお前、俺に何をされても無表情だったよな。」
「だから気になったんだ。」
「希望を見せてから叩き落としたら、どんな顔をするのかって。」
アノスの顔が再び、不気味な笑みへと変わっていった。
震えていた拳に、爪が食い込む。
胸の奥に押し込めていた感情が、一気に溢れ出した。
「――アノスッ!!」
私はアノスに向かって飛び掛かった。
その瞬間、全身に凄まじい重圧がのしかかった。
「ぐっ……!」
床へ膝をつき、指一本すら動かせない。
「無駄だ。」
低い声が響く。
国王イロアスが、冷ややかな視線を私へ向けていた。
「王族に伝わる重力魔法だ。今のお前では抗えん。」
「アノス。いくら生贄でも遊び過ぎるなと言っただろう。」
「申し訳ありません、お父様。」
アルジャは退屈そうに、王族たちのやり取りを見下ろしていた。
「失礼を致しました。では、この生贄をあなたに捧げます。」
イロアスの言葉を聞きアノスは懐から白銀の装飾が施された短刀を出した。
(死にたくない。)
(まだ、何もしていない。)
その時、不意に幼い頃の記憶が鮮明によみがえった。
***
十年前――
「ティシア、おいで。」
母は優しく微笑んでいた。
「ぼくね! おっきくなったら、お母様みたいにみんなを幸せにできる王様になる!」
母は一瞬だけ、胸が締めつけられるような表情を浮かべた。
けれど、それはすぐに優しい笑顔へと変わる。
「それなら、お母様がティシアに、とっておきの魔法の呪文を教えてあげる。」
母はしゃがみ込み、私と目線を合わせる。
そして、そっと私のおでこへ額を重ねた。
「一回しか言わないから、よく聞いてね。」
「それは――」
***
カチリ。
白銀の短刀が鞘から抜かれる音が響く。
ティシアはゆっくりと目を開けた。
目の前ではアノスが短刀を構え、今にも振り下ろそうとしていた。
(そうだ……。)
(お母様が教えてくれた、あの言葉。)
ティシアは震える唇をゆっくりと開いた。
「――オ・サーナトス・トゥ・ゼウー……。」
その瞬間だった。
アルジャの無表情が初めて崩れる。
「……その言葉は。」
黄金の瞳が大きく見開かれた。
「やめろ。」
声には初めて焦りが滲んでいた。
「早くその者を捧げろ!!」
アノスは咄嗟に短刀を振り下ろす。
狙いは心臓だった。
しかし、突然の怒号に体勢が乱れ、白銀の刃は胸を外れてティシアの腹を深く貫いた。
「がっ……!」
激痛が全身を駆け巡る。
それでもティシアは唇を止めなかった。
「…アネスティセ・クサナ。」




