30.人殺し
ノアは階段を駆け下りる。
背後から、ゆっくりと足音が響く。
(アギアの塔の中心には、定期的に部屋がある。)
(誰かいるなら……。騎士を呼ばないと。)
しかし、どの部屋からも返事はない。
「誰か……!」
ノアは扉を叩く。
「助けてください!」
扉が開く。
ノアの表情が凍る。
そこに立っていたのは――アルファだった。
「……どうして。」
アルファは周囲を見る。
「階段を探す必要はありませんでした。」
「少し壊して、近道をしただけです。」
部屋の天井には、大きく崩れた穴が開いていた。
「では――。」
アルファは剣を振り上げる。
「諦めて、死になさい。」
重い剣がノアへ振り下ろされる。
まさにその時――。
キィンッ!
鋭い金属音が部屋に響いた。
「──聖女様!」
アルファの剣が弾き返される。
ノアの前に、一人の男が立っていた。
「……デルト。」
デルトは剣を構えたまま、ノアをかばう。
「ご無事ですか。聖女様早く避難を、」
ノアは頷き、階段を下りる。
「おとなしく投降しろ。」
「私は異端の聖女を殺す。神に誓って、この使命だけは必ず果たします。」
────────
外では過激派と騎士が争っていた。
ティシアは冷静に状況を見る。
(明らかに過激派の人数が多い。これだけの人数を、一つの集団だけで動かせるとは思えない。)
次の刹那――。
「上だ!」
騎士の叫び声が響く。ティシアが見上げる。
風魔法をまとった過激派たちが、空を滑るように飛び、アギアの塔の窓へ向かっていた。
(まずい……!ノアさんも、塔の中にいる。)
(急がないと。)
ティシアは階段を駆け上がる。
その途中、一人の過激派が立ち塞がった。
「異端には死を!」
剣が振り下ろされる。
「……退いてください。」
ティシアは相手の剣筋を見切る。
半歩だけ身をずらし、そのまま剣の腹で相手の膝を打ち抜いた。
「がっ!」
過激派は体勢を崩し、階段へ倒れ込む。
ティシアは立ち止まらず、その横を駆け抜けた。
部屋の前を通るたびに、次々と扉を開けていく。
(……ここだ。)
(人の気配がする。)
ティシアが扉に手をかけた。
ドォンッ!
扉が内側から吹き飛び、凄まじい衝撃がティシアを壁際まで弾き飛ばした。
崩れた壁の向こうには、青空が広がっている。
ここは塔の高層階。
(落ちれば……。体は砕ける。)
(再生はできる。でも、一日は動けない。)
ティシアはゆっくりと顔を上げる。
扉の奥へ視線を向けた。
そこには、一人の女が立っていた。
見覚えのある姿。
(あいつは……。)
裏路地で戦った、音魔法の使い手だった。
女はティシアを見るなり、口元を歪める。
「……あの時のガキか。」
「アルジャ様を侮辱した罪、ここで償ってもらうわ。」
ティシアは剣を構える。裏路地での戦いが脳裏をよぎる。
音。
あの不快な振動。
意識を奪われれば終わりだ。
(……このままでは、ノアさんのところへ行けない。)
(この人を倒さなければならない。)
(……違う。)
(倒すだけじゃない。)
(殺す。)
ティシアはその言葉を、心の中で何度も繰り返した。
今まで、そんなことを考えたことすらなかった。
それでも――。
(ごめん。)
ティシアは剣を握った。
守りたい人がいる。
その人を守るためなら、自分の手が血で染まることも受け入れる。
――人殺しになる覚悟を、ティシアは決めた。
ティシアは走り出す。詠唱が終わる前に切るために。
女は詠唱をしながら、短剣を持つ。
ティシアの剣が短剣で防がれる。
もう一度斬る。それはいなされてしまう。
女は詠唱を終え、ゆっくりと息を吸う。
ティシアは咄嗟に両耳を塞いだ。
(来る――!)
しかし、直後、――。
ゴッ!!
石の弾丸がティシアの腹へ直撃した。
(土魔法も使えるのか……。)
ティシアの腹部に痣が浮かぶ。
しかし、その痣はゆっくりと消えていく。
(焦るな。こいつはゴブリンキングほど強くない。)
ティシアは剣を下げる。
「僕の目的は、あなたじゃない。」
そう言い残し、階段へ駆け出した。
「待て、ガキ!」
女も舌打ちをして追いかける。
ティシアは階段を駆け上がり、途中の部屋へ飛び込んだ。
(追ってくるなら――。)
女が遅れて部屋へ飛び込む。
しかし、そこにティシアの姿はなかった。
女は口元を歪める。
「隠れたつもり?」
「中級の魔法使いは、魔力の流れで相手の居場所くらい分かるのよ。」
女は詠唱を続けながら、一直線にクローゼットへ向かう。
(そこね。)
詠唱が終わる。
「さようなら。」
女がクローゼットを吹き飛ばした。
中には、魔石だけが残されていた。
「……え?」
背後から、ティシアの剣が女の胸を貫いた。
女の目が大きく見開かれる。
「……あ……。」
力なく剣が床へ落ちる。
女はそのまま崩れ落ち、二度と動くことはなかった。
「ゴブリンキングの魔石……。あれほど強い魔力なら、そっちを探知すると思った。」
ティシアは剣を抜く。
女の亡骸を見つめた。
(……人を、殺してしまった。)
ティシアの手は、わずかに震えていた。だが、その震えを握り潰すように剣を握り直す。
(……守るためだ。)
ティシアは魔石を懐に収め、再び階段を駆け上がった。
その時、上の階から、誰かが階段を駆け下りてくる足音が響く。
(誰だ……!)
ティシアは咄嗟に剣を構える。
やがて姿を現したのは――。
「ノアさん!」
聖女の衣をまとったノアだった。聖女の衣はところどころ汚れ、息も乱れていた。
「ティシアさん?また止めに来たんで……いや、早く逃げてください!」
ティシアの視線が、ノアの手にある神翼の羽へ吸い寄せられる。
その瞬間――。
胸の奥で、何かが脈打った。魂が震える。
(……これは。)
理由は分からない。
だが、直感が告げていた。
(サーナトスの力の……破片。)
「ティシアさん?」
ノアが困惑する。
「あ、ごめん。早く逃げよう。」
ティシアはノアの手を掴む。
――ドォォンッ!!
天井が砕け散る。
衝撃でティシアの手が、ノアの手から離れる。
舞い散る瓦礫の中へ、二つの影が落ちてきた。
アルファとデルトだった。
アルファは全身傷だらけだった。
その胸には、デルトの剣が深々と突き刺さっていた。
デルトも肩で荒く息をつき、全身には無数の切り傷が走っていた。
それでも剣を離さず、ノアへ視線を向ける。
「聖女様、ご無事ですか?」
デルトがノアへ向かって足を踏み出した、ほぼ同時に――。
ドゴォォン!!
凄まじい衝撃が、アギアの塔全体を揺らした。
「何だ!?」
ノアは衝撃で体勢を崩し、デルトの方へ倒れ込む。
「聖女様! 早くこちらへ!」
下を見下ろす。
塔の根元で、凄まじい爆発が巻き起こっていた。
爆炎と土煙が噴き上がる。焦げた匂いが鼻を刺す。
その衝撃で、アギアの塔は大きく傾き始めた。
ノアは何とか立ち上がる。
ティシアは手を伸ばした。
「ノアさん。こっちに来てください。聖女をやめて一緒に行きましょう。」
ノアは怒る。
「今はそんなこと言ってる場合じゃないですよ!」
「違います。今だからこそ、伝えたいことがあるんです。」
「一緒に夕食を食べた時、お母さんの話をしましたよね。」
「僕の母は、誰にでも優しい人でした。」
「でも最後は、僕を助けるために世界を危険にさらした。」
「結局……親にとって一番大切なのは、自分の子どもなんです。」
「ノアさんのお母さんも、きっと同じだった。」
「そうじゃなかったら、自分の食べる分を減らしてまで、あなたにお腹いっぱい食べさせたりしません。」
ティシアはノアをまっすぐ見つめる。
「お母さんは、あなたに幸せになってほしかったはずです。」
「だから、もっと自分の幸せを願っていいんです。」
「もっと……わがままになっていいんです。」
デルトがティシアを睨む。
「聖女様。この者の言葉に惑わされてはいけません。こちらへ来てください。」
ティシアはノアへ再び手を差し伸べる。
「ノアさん。」
「あなたが心から笑っていたのは、聖女様じゃなくて……魔素材商会アルカの店員だった時です。」
「僕は、あの時のノアさんの笑顔が好きです。」
「もう一度、一緒に笑いましょう。」




