28.ティシアは覚悟を決める。
ヴァレンはグレンの肩を掴む。
「その者は王家の人間、ティシア・バシレウスですか?」
静寂が流れる。グレンは拳を握った。
「……ちがう。」
その瞬間。
ヴァレンの指輪が青く光った。ヴァレンはしばらく、その光を見つめる。
「……そうですか。あなたの言葉は真実のようですね。」
(審判晶は嘘を判別する。)
(しかし、回答者がそれを知っているかどうかで、答えの意味は変わる。)
「一応、アストさん。あなたにも聞きましょう。」
ヴァレンは、倒れたアストの頭を掴み上げる。
「その者は、ティシア・バシレウスですか?」
「……知らない。」
ヴァレンは静かに指輪を見る。
しかし、赤にも青にも光らない。
「……なるほど。」
ヴァレンは小さく呟く。
「魔力切れですか。」
ヴァレンは立ち上がる。
そして騎士団へ向き直った。
「私は西のアルカディア神聖国家へ向かいます。」
騎士たちがざわめく。
「なぜですか?」
ヴァレンは眼鏡を押し上げる。
「ティシアという人物は西へ向かった。そして、時期は聖人の儀の直前。」
「恐らく、ティシアさんの目的は聖人の儀です。」
騎士の一人が口を開く。
「しかし、聖人の儀までは一日しかありません。」
ヴァレンは眼鏡を押し上げる。
「問題ありません。通常ならば四日はかかる距離です。しかし――」
ヴァレンは自分の手を見る。
「私なら間に合います。私が全力で身体強化を使えば、聖人の儀が始まる頃には到着できるでしょう。」
騎士たちが息を呑む。
「この調査報告は任せました。」
────────────
ティシアは魔素材商会アルカの前に着いた。
いつものように店へ入る。
「ティシアさん。」
そこにいたのは――。
いつもの店員姿の少女ではなかった。
白い聖女の衣装を身にまとったノアが、そこに立っていた。
「……ノアさんが、聖女だったんですね。」
ティシアの言葉に、ノアの目元が少しだけ下がる。
「そうです。」
「ご存知かもしれませんが、私は9歳の時に聖女になりました。それから8年間、この役目を続けています。」
ティシアは黙ってノアを見る。
「アギアの塔で、私の姿を見た時……驚きましたよね。」
ノアは自分の聖女服へ視線を落とす。
「正直に言うと……この姿を、ティシアさんには見てほしくありませんでした。」
「店を畳むのは……あなたが聖女だからですか。」
ノアは少し間を置いて頷く。
「そうですね。今までは、私のわがままで続けさせてもらいました。」
「でも……もう終わりにしようと思います。」
「なぜですか?」
ティシアはノアを見る。
「店にいる時のあなたは、とても明るくて……楽しそうでした。」
ノアは静かに笑う。
「ティシアさんは、お母さんの想いを継いで、誰にでも分け隔てなく接する優しさを持っていました。」
「……あなたを見て、思ったんです。私も、そんな優しさを持とうって。」
「……もう、会うことはないでしょう。」
「ティシアさんと過ごした時間は、聖女として生きてきた中で……初めて心から楽しいと思えた時間でした。」
ノアはティシアを見て優しく微笑む。
「だからこそ、これでよかったんです。」
「待ってください。」
ティシアが言葉を遮る。
「僕はノアさんに借りがあります。」
「昨日みたいに……心から笑っていたあなたを、僕は知っています。」
「聖女だからって、その時間を全部諦める必要なんですか?」
「今からでも遅くない!」
「聖女をやめて、一緒に行きましょう。」
ノアは少し俯く。
「……ティシアさんは、みんなの幸せを願っているんですよね。」
「私がいなくなれば、不幸になる人がいます。」
少しの沈黙。
「……だから、もう遅いです。」
ノアはそう言い残し、店の奥へ消えていく。
「ノアさん!」
ティシアは追いかけようとする。
その瞬間――。
ティシアの視界を、何かが横切った。
「……っ!」
気づいた時には、足に激痛が走っていた。
見ると、足から血が流れている。
「……斬られた?」
何が起きたのか、理解できなかった。
目の前では、デルトがすでに剣を構え終えている。
(……いつ、振った?)
ティシアは息を呑む。
剣を抜いた瞬間すら見えなかった。
これまで何度も戦ってきたティシアでさえ、反応することができなかった。
「聖女様の命だ。命までは取らない」
デルトは淡々と言う。
「だから――消えろ。」
(……デルト聖騎士には勝てない。)
ティシアは剣を握る手に力を込める。
(いや、仮に勝てたとしても……。)
(勝ったところで、ノアさんが聖女をやめるわけじゃない。)
ティシアは静かに剣を下ろした。
そして、その場を離れる。
宿へ戻る頃には、足の傷はすでに塞がっていた。いつもなら気にすることもない傷。
けれど――。
「……。」
ティシアの胸の奥に残った痛みだけは、消えることがなかった。
────────────
翌日。
聖人の儀まで、あと一日。
ティシアは宿を出た。目的地は決まっていない。
ただ、歩いた。
いつもなら迷わず進む道も、今日は足取りが重い。
気づけば――。
「……ここ。」
魔素材商会アルカの前に立っていた。
自分でも、なぜここへ来たのか分からない。
ティシアはゆっくりと扉を開ける。
「……。」
店の中には、いつもの笑顔の少女はいなかった。ノアの姿は、どこにもない。
(商品も……何もない。)
(もう、店を閉めたのか。)
ティシアはゆっくりと店の奥へ進む。そして、カウンターの前で足を止めた。
いつも、ホーンラビットを買い取ってもらった場所。
ここで、何度もノアと話した。まだ、清潔な香りがする。
『さあさあ、魔石の買取ですね!』
『見せてくださいです!』
明るい声。楽しそうな笑顔。
店の奥に入る。
ティシアは目を閉じる。。
(ここでご飯を一緒に作ったんだ。)
ティシアは目を閉じる。ノアの声が蘇る。
『私がやりたいことを話した時は、いつも応援してくれました。』
『お父さんが亡くなってからも、自分のことより、私のことを優先してくれて。』
ティシアは静かに目を開く。
(ノアさんのお母さんは……聖女になることを望んだんじゃない。)
(自分の娘が、幸せになることを願っていたんだ。)
ティシアは、覚悟を決める。
ティシアは静かに店を見渡す。もう、ここにノアはいない。
(今、ノアさんがどこにいるか分からない。)
(だから、聖人の儀の日に───すべてを決める。)
ティシアは魔物を狩るため、街の外へ向かった。
しかし――。
「止まれ。」
門の前で、新しい門番に呼び止められる。
「見ない顔だな。身分を確認する。」
ティシアは無言で審判晶に手を触れる。
すると――。
水晶は青く光った。
門番は少し驚く。
「……審判晶が反応したか。問題ない。通っていい。」
ティシアはホーンラビットと向き合う。
(相手はホーンラビットしかいない。)
(だからこそ、できなければ意味がない。)
いつものように攻撃を避けるのではない。
相手が何をするのか、その動きを読む。
しかし、角が腹を貫く。
視界が揺れる。口の中に、鉄のような味が広がった。
それでも。
「……もう一回。」
傷が塞がる。
「もう一回。」
また失敗する。
何度も。
何度も。
夕日が沈む頃。
ようやくティシアは剣を下ろした。
夕日が沈み、辺りは静寂に包まれていた。
宿へ戻ったティシアは、まず武器の手入れを始める。
刃を磨く。
傷を確認する。
いつもと変わらない作業。
しかし、頭の中では別のことを考えていた。
(アギアの塔……。)
ティシアは目を閉じる。
あの日、掃除をしながら覚えた塔の構造。
階段の位置。
警備の配置。
侵入できる場所。
(聖人の儀の日……そこで決める。)
ティシアは静かに侵入経路を組み立てていった。




