25.アギアの塔
崩落した洞窟の前。
ヴァレンは静かに洞窟の入り口を見つめていた。
「洞窟内に残る魔力反応を見る限り、ゴブリンキングが存在していたことは間違いありません。」
騎士が報告する。
「なるほど。」
ヴァレンは頷く。
「では、ゴブリンキングの魔石の反応は?」
騎士は持っていた水晶を確認する。
「……ありません。」
「洞窟の崩落によって破壊された可能性は?」
「否定はできません。しかし……。」
騎士は少し迷って続ける。
「ゴブリンキング級の魔石が完全に消えるほどの崩落なら、内部の魔力反応にも大きな変化が出るはずです。」
ヴァレンは黙って洞窟を見る。
「……なるほど。」
「もしくは――」
ヴァレンは後ろにいるアストへ視線を向ける。
「誰かが持ち去った可能性もありますね。」
眼鏡の奥の瞳が、アストを捉える。
────────
「余計なことを知る必要はない。」
その声に、ティシアは動かなかった。
首を斬られた瞬間、本来なら叫び声を上げるはずだった。
しかし――。
(今、起き上がれば……。この力を見られる。)
ティシアは気配を殺す。自分が生きていることを、絶対に悟らせないために。
騎士は怯えながら頭を下げる。
「聖騎士デルト様……申し訳ありません。この者に忠告をしたところ、怪しまれてしまいました。」
デルトは騎士を一瞥する。
「……余計なことをするな。」
騎士の顔が青ざめる。
しかし、デルトはすぐに視線をティシアへ戻した。
「今回のことは水に流そう。ここで騒ぎを起こせば、逆に人が集まる。」
「死体が見つかれば、騎士団も動く。今はそれを望む時ではない。」
デルトは剣を収める。
「離れるぞ。」
デルトと騎士の足音が完全に聞こえなくなった。ティシアはゆっくりと目を開く。
「……っ。」
首を斬られた激痛が全身を駆け巡る。
歯を食いしばりながら、地面に転がった自分の頭へと手を伸ばした。
震える手で頭を抱え、胴体へ押し当てる。
骨が軋み、肉が繋がり、やがて元の姿へ戻っていく。
「はぁ……はぁ……。」
ティシアは大きく息をついた。
「聖騎士が関わるなんて……。」
ノアの笑顔が脳裏に浮かぶ。
「ノアさん……いったい何者なんだ。」
ティシアは自分の血で汚れた服を見下ろし、小さくため息をつく。
(……服、買わないとな。)
────────────
翌朝。
ティシアは魔物を狩るため、城壁の門へ向かった。
そこには、いつも通り門番が立っている。
「おっ、修道女さんじゃないか。」
門番はティシアの姿を見るなり笑った。
「顔を隠してるから最初は分からなかったぞ。ちゃんと修道服を買ったんだな。」
ティシアは肩をすくめる。
「安い服がこれしかなかったんだ。それでも全財産が飛んだけどね。」
門番はティシアの顔を覆うフードをじっと見る。
「でも、なんで顔まで隠してるんだ?」
ニヤリと笑いながら続けた。
「まさか……指名手配でもされてたりしてな?」
ティシアも苦笑する。
「面倒ごとが嫌いなら、聞かない方がいいよ。」
門番は一瞬きょとんとした後、大きく笑った。
「はっ、違いねぇ。俺は面倒ごとだけは御免だからな。」
ティシアは小さく笑うと、北の平原へ向かった。
ホーンラビットを狩り終えた頃には、太陽は西へ傾き始めていた。
城壁をくぐり街へ戻る。
(……さて。次は情報収集だ。)
ティシアは再び、聖人の儀が行われるアギアの塔へ足を向けた。
(聖人の儀まで、あと四日。)
(そろそろ、本格的に動かないと。)
(前は、過激派のせいで情報を得る時間がなかった。)
そう考えながら歩いていた、その時。
突然、腕を掴まれた。
「またっ!?」
ティシアが振り返る間もなく、そのまま強引に引っ張られる。
「ちょ、ちょっと!」
連れて行かれる先は――アギアの塔だった。
ティシアは腕を掴んでいた人物を見る。そこにいたのは、四十代ほどの修道女だった。
「ちょっと!」
修道女は呆れたように眉をひそめる。
「そんなところで油を売ってないで、聖人の儀の準備を手伝ってちょうだい。」
ティシアは目をぱちくりさせる。
「……え?」
「え?じゃないわよ!」
修道女はティシアの腕を引っ張る。
「その修道服を着てるなら、手伝いに来た子でしょ! 今日は聖人の儀の準備で大忙しなの!」
(違うって言えば済む話だけど……いや、内部を見られるなら都合がいいか。)
「分かりました。」
返事をすると、修道女は満足そうに頷いた。
「いい返事ね。それじゃ、これお願い。」
ティシアは掃除道具を手渡される。
「あなたは塔へ続く階段の掃除を担当してちょうだい。」
ティシアは箒を片手に、アギアの塔の階段を上り始めた。
掃除をしながら、周囲の会話へそっと耳を澄ます。
「ねぇ、『神翼の羽』って見たことある?」
若い修道女が隣の年上の修道女へ尋ねる。
「ないわ。私も話で聞いたことしかないけど……。」
「三枚の羽を封じた赤い水晶が先端についている、黄金の杖らしいわ。」
「へぇ……。」
若い修道女は目を輝かせる。
「一度くらい見てみたいなぁ。」
「それは私もよ。」
年上の修道女は苦笑する。
「でも、神翼の羽は塔の最上階に安置されているらしいわ。」
「聖騎士様や聖女様でもなければ、そこまで入れないの。」
「そんなに厳重なんだ……。」
(なるほど、神翼の羽は最上階にあるのか。でも、聖騎士や聖女しか入れない……。)
ティシアはデルト聖騎士のことを思い出す。
(あの男も、最上階まで入れるのか。)
(とりあえず、掃除しながら行けるところまで行こう。)
ティシアは階段を掃きながら、修道女たちの会話へ耳を傾ける。
「今の聖女様って、八年前に聖女になったらしいわね。」
「ええ。私たちと年齢もあまり変わらないのに、本当にすごいわ。」
「そういえば、聖女様っていつも手袋をしてるじゃない?」
「あれはね、手のひらに刻まれた特別な魔法陣を傷つけないためらしいわ。」
「へぇ……だから一年中手袋を外さないんだ。」
(手袋……。)
ティシアの脳裏に、ノアの姿が浮かぶ。
(ノアさんも、ずっと手袋をしていた。)
同時に、裏路地で見た光景も思い出す。
過激派の一人の手のひらに刻まれていた、蛇の印。
(ノアさんの手にも……。)
(あれは聖女の魔法陣なのか。それとも――蛇の印なのか。)
ティシアは無意識に箒を握る手へ力を込めた。
気づけば、塔の中腹まで登っていた。
(あと半分か……。)
ティシアは階段の先を見上げる。
(外から見た時も思ったけど、この塔、高すぎる……。)
その時、上の階から修道女の大きな声が響いた。
「今日はこれで終わりよー!」
「掃除道具を返したら、明後日までお休みだからね!」
(次は聖人の儀の前日か……その時まで待つしかないな。)
ティシアは窓の外へ目を向ける。
いつの間にか太陽は西の空へ沈み、街は夕焼けに染まっていた。
(思ったより時間が経ってたな。)
ティシアは掃除道具を返し、ゆっくりと塔を下りた。
(そうだ。ホーンラビットを売らないと。)
夕暮れの街を歩き、ティシアは魔素材商会アルカへ向かった。
店の前まで来ると、一度立ち止まる。
周囲を見回した。
(デルトは……いない。)
あの聖騎士の姿は、どこにもない。
ティシアは小さく息を吐く。
そして、静かに扉を開いた。
「いらっしゃいませ。」
入口に立っていたノアが、ティシアへ顔を向ける。
その瞬間――
ノアの表情が変わった。
「本日は、どのようなご用件でしょうか。」
落ち着いた声。
丁寧な言葉遣い。
昼間、食卓を囲んでいた時の少女とは、まるで別人だった。
ティシアは思わず足を止める。
(……まただ。)
あの時と同じ。
店の中で男と話していた時に見せた、あの雰囲気。
(この人……やっぱり何か隠してる。)
ノアは微笑む。
しかし、その笑顔には昼間の無邪気さがなかった。
「魔素材の買取でしょうか?」
「……はい。」
ティシアは警戒しながら頷く。
「ホーンラビットの素材を売りたいです。」
「かしこまりました。」
ノアは丁寧に頭を下げる。
そして、何事もなかったかのように店の奥へ歩いていった。
ティシアはその背中を見つめる。
(……ノアさん。)
(あなたは、一体何者なんだ。)




