19.少年の帰る場所
「神聖国家アルカディアには、聖女が儀式で身につける『神翼の羽』っていう聖遺物があるらしい。」
ティシアは顔を上げる。
「神翼の羽……。」
「神アルジャから授かった羽だって言われてるが……もしかしたら、それかもしれねぇ。」
ティシアは静かに考え込む。
(もし、その羽が本当にサーナトスの翼の破片だとしたら……。)
ティシアは静かに決意する。
「行ってみる価値はありますね。」
しかし、アストは難しい顔をした。
「だが、簡単には入れねぇぞ。」
「アルカディアは神アルジャを信仰する国だ。巡礼者や関係者は、聖印を身につけている。持っていなければ、よそ者として警戒されるだろう。」
「聖印、確か十字架の形をした首飾りですよね。」
「ああ。それを持つ者だけが、正式な巡礼者や関係者として認められる。」
「ただ、聖印に関しては、何とかなる。」
アストは少し遠くを見る。
「リナは元々、アルカディアの修道女だったんだ。」
「リナさんが……。」
「だから、あいつの聖印がある。」
ティシアは驚いて顔を上げる。
「いいんですか?」
「奥さんの形見なのに……。」
アストは首を横に振る。
「確かに、俺にとって大切なものだ。」
「でもな。」
アストは聖印を握りしめる。
「リナは、誰かを救うために生きていた。」
「だったら、誰かを救おうとしているお前が使う方が、あいつも喜ぶと思う。」
アストはティシアへ聖印を差し出す。
「持っていけ。」
「……ありがとうございます。」
ティシアは聖印を両手で受け取り、大切そうに握りしめる。
しばらくその輝きを見つめた後、アストが口を開いた。
「それよりも問題がある。」
「問題ですか?」
「お前自身のことだ。」
アストは呆れたようにため息をつく。
「まさか、アルカディアに行くのに『ティシア・バシレウス』なんて、そのままの名前を名乗るつもりじゃないだろうな?」
「あ。」
ティシアは固まる。
「確かに……。」
アストは額に手を当てた。
「まったく。」
「ゴブリンキングに向かって、立ち上がった奴とは思えねぇな。」
ティシアは少し恥ずかしそうに目をそらす。
「いいか?」
アストの表情が少し真剣になる。
「アルカディアは、ウラノス王国と同盟関係にある。」
「もし、そこでお前の正体が知られたら……。」
アストは一度言葉を止める。
「その情報は、必ずウラノス王国にも届く。そうなれば、お前を追っている奴らが動く可能性がある。」
アストは真剣な表情で続ける。
「だから、偽名を考える必要がある。少なくとも、バシレウスの名は使うな。それは王族の証だ。」
「でも、ティシアという名前まで変える必要はない。」
ティシアは少し驚く。
「どうしてですか?」
「ティシアなんて名前は珍しくない。」
アストは腕を組む。
「俺がお前の正体に気づいたのは、名前じゃない。」
「王家の紋章が入った服。」
「それと第二王子の死亡報告と、お前が川で見つかった時期が重なっていたからだ。」
「それに……名前ってのは、生まれた時から持ってる大事なもんだ。」
「そう簡単に捨てられるもんじゃねぇだろ。」
ティシアは少し目を伏せる。
「はい。僕の名前は、お母様が付けてくれた大切な名前です。」
「気遣ってくれて、ありがとうございます。」
アストは一瞬、気まずそうに視線を逸らした。
「……まぁ、あれだ。」
そして、照れ隠しするようにティシアの肩を軽く叩く。
「何より、お前嘘つくの下手そうだからな!」
「えー……。」
ティシアは不満そうな顔をする。
「……そんなに分かりやすかったですか?」
アストは笑う。
「当たり前だ。お前は顔に全部出るからな。」
そう言って、アストは村の方へ歩き出す。
「じゃあ俺は、色々準備してくる。お前はベルン村で、やり残したことでもしてこい。」
「はい。」
ティシアが返事をすると、アストは手を振りながら村へ戻っていった。
その背中を見送りながら、ティシアは小さく呟く。
「やり残したこと……か。」
ティシアはリナの墓の前で静かに手を合わせた。
「リナさん。僕は、誰かを守れる人になります。」
そう誓った後、ティシアは森へ向かった。
「多分、この辺りかな。」
森の奥へ進むと、以前見逃したゴブリンがいた。その近くには、あの時と同じように幼体たちの姿もある。ゴブリンはティシアを見ると、警戒するように身を低くした。
しかし、襲いかかってくる様子はない。むしろ、自分の後ろにいる幼体を守るように立っていた。
(……この様子なら、多分ベルン村には来ないだろう。)
ティシアは静かに背を向ける。そして、そのまま森を後にした。
その後、ティシアは村の墓場へ向かった。
そこには、今回の騒動で亡くなった人たちの墓も並んでいた。
ティシアは一つ一つの墓を見つめる。
狩りを教えてくれた人。
村で声をかけてくれた人。
あの時まで笑い合っていた人たち。
(もっと早く戻れていたら。)
(もっと強ければ……誰も死なずに済んだのだろうか。)
胸の奥に、悔しさが込み上げる。
しかし、もう過去を変えることはできない。
だからこそ――。
「強くなります。」
ティシアは墓へ向かって静かに呟く。
「もう二度と、大切な人を失わないために。」
ティシアは静かに墓へ向かって頭を下げた。
そして、村へ戻る。
「みんなに、話があります。」
村人たちはティシアの表情を見て、何かを察した。
「僕は……明日、この村を出ます。」
一瞬、静寂が広がる。
「この力のこと、そして自分の目的のために行かなければなりません。」
「でも……。」
ティシアは村のみんなを見る。
「この村で過ごした時間を、僕は絶対に忘れません。」
皆の反応は様々だった。
心配させないよう笑顔で送り出そうとする人。
涙をこらえきれず、顔をくしゃくしゃにする人。
誰もが、ティシアとの別れを惜しんでいた。
その日、会話は夜遅くまで続いた。
最後の食事は、アストとグレンと三人で囲んだ。
いつもと変わらない食卓。けれど、ティシアには分かっていた。
この温かい時間を、次に過ごせるのはいつになるか分からない。
「僕、ティシア兄ちゃんと別れるの、やっぱり寂しい。」
グレンは俯きながら言う。
「本当は、ずっとここにいてほしい。」
ティシアの胸が少し痛む。
「でも……。」
グレンは顔を上げた。
「ティシア兄ちゃんが決めたことなら、僕は応援する。」
「……ありがとう、グレン。」
ティシアはグレン頭をなでて優しく笑う。
「僕が村に戻った時は、また一緒に遊ぼう。」
「うん。約束だよ。」
その夜。
食事を終えたティシアは、久しぶりに一人で部屋の中にいた。
ベッドの横にある机。そこには、アストが用意してくれたものが置かれていた。
直された服。
神聖国家アルカディアへ入るための聖印。
そして――。
村に唯一残っていた鉄の剣。
ティシアは一つ一つを手に取る。
服には、王家の印がなくさらさらで、まるで新品のようだった。
聖印には、アストとリナの想いが込められている。
剣には、村のみんなの願いが込められている。
「……僕は、一人じゃないんだな。」
ティシアは小さく呟いた。
「ありがとう。」
─────────
朝日が昇った。
ティシアは新しくなった服に袖を通す。
王家の紋章はない。そこにあるのは、ただ一人の旅人の姿だった。
聖印を懐にしまう。
腰には、ベルン村で託された一本の鉄の剣。
準備を終え、門へ向かう。
そこには、村のみんなが集まっていた。
「これ、約束してたでしょ。」
老婦人が笑いながら、採れたての野菜を渡す。野菜は質が良く、土の香りがほのかに残っている。
「向こうに着いたら、何でもいいから連絡してね。」
グレイが心配そうに言う。
そして――。
「ティシア。」
アストが真っ直ぐに彼を見る。
「辛くなったら、いつでも帰ってこい。」
「ここがお前の居場所だ。」
「……はい。必ず、また帰ってきます。」
門が開く。
その先に広がる景色は、昨日までと同じはずなのに、どこか違って見えた。
外の世界は、どこまでも広く感じる。ここから一歩踏み出せば、いつ戻れるか分からない。
それでも――。
ティシアの決意は揺らがなかった。
「行ってきます。」
小さく呟き、門の外へ足を進める。
振り返れば、きっと戻りたくなってしまう。
ここにいれば、きっと幸せに暮らせる。
それでも――。
僕には、やらなければならないことがある。
サーナトスの力。
母との約束。
そして、もう二度と大切な人を失わないために。
ティシアは前を向いた。必ずまた帰ってくるために。
ティシアは一歩、また一歩と歩き出した。
ここで第一章は終わりです。次回からは第二章神聖国家アルカディア編となります。引き続き読んでくれると嬉しいです!




