15.ゴブリンキング(3)
ゴブリンキングは、ゆっくりとティシアへ歩み寄る。
その足取りに、迷いはない。
ティシアは動けない。
ただ、自分より遥かに巨大な怪物が近づいてくるのを見ていた。
「こっちに来るな……!」
ティシアは左手を伸ばす。
近くに転がっていた小石を掴み、力の限り投げつけた。
石はゴブリンキングの身体に当たる。
――しかし。
カツン、と音を立てて地面へ落ちた。
ゴブリンキングは止まらない。
「……無駄ダ」
次の瞬間。
巨大な手が、ティシアの首を掴んだ。
「ぐっ……!」
身体が持ち上げられる。足が地面から離れた。
首を締めつける力が、少しずつ強くなっていく。
息ができない。
視界が、徐々に暗くなる。
(……力が……違いすぎる)
抵抗しようにも、右手は使えない。
左手だけでは、この腕を振りほどくことすらできない。
その時。
霞む視界の端に、何かが映った。
壁に掛けられた松明。
揺れる炎を見つめる。
(……火)
残された力で、ティシアは左手を伸ばした。
指先が松明に触れる。
掴んだ。
「……?」
ゴブリンキングが僅かに目を細める。
次の瞬間。
ティシアは、松明をゴブリンキングの腕へ押し当てた。
ジュッ――。
肉が焼ける音がした。
「ッ!」
ゴブリンキングの腕が跳ねる。
反射的に、ティシアの身体が投げ飛ばされた。
「ぐっ……!」
背中から地面に叩きつけられる。
ゴブリンキングは、自分の腕を見る。
そこには、僅かに炎が残っていた。
しかし――
「……」
ゴブリンキングは腕を振った。
炎は、あっという間に消える。
焼け跡すら、ほとんど残っていない。
「コノ程度ノ火……スグニ消セル」
ゴブリンキングは、何事もなかったかのようにティシアを見る。
「ソノ程度デ、ワレヲ倒セルナド思ッタカ」
ゴブリンキングは、倒れたティシアを見下ろす。
「貴様モ……弱キ者ダッタナ」
ゆっくりと、足を上げる。
狙いは――
ティシアの胸。
ドンッ――。
巨大な足が、ティシアの胸を踏み抜いた。
骨が砕ける。
肺から空気が押し出される。
ティシアの身体から、力が抜けた。
動かない。
呼吸もない。
ゴブリンキングは、しばらくティシアを見下ろしていた。
やがて興味を失ったように背を向ける。
「弱キ者ハ……死ヌ」
「ソレガ自然ダ」
ゴブリンキングは玉座へ戻ろうと歩き出した。
だが――
その時。
「……待て」
ゴブリンキングの足が止まった。
ありえない。
聞こえるはずのない声だった。ゆっくりと振り返る。
そこには――
本来なら死んでいるはずの人間が、立っていた。
「……」
ゴブリンキングの目が見開かれる。
「ナゼ……生キテイル」
今まで、理解できないことなどなかった。
強者は生き残る。弱者は死ぬ。
それが世界の理だった。
だが――
目の前の人間は違う。
一度死んだはずなのに、傷ついた身体を引きずりながら、また立っている。
ゴブリンキングの目に、初めて恐怖が浮かぶ。
「アリエナイ……」
ゴブリンキングは、ティシアへ襲いかかった。
「死ネ!」
拳が振り下ろされる。
ティシアの身体が床へ叩きつけられた。
動かない。
だが――
やがて、ティシアの指が動く。
「……」
ゴブリンキングの表情が歪む。
再び拳を振り下ろす。
一度。
二度。
三度。
それでも、ティシアは立ち上がる。
「ナゼ……」
ゴブリンキングの声が震えた。
理解できない。
自分の力なら、人間など一撃で殺せる。
なのに。
目の前の人間だけは、死んでも終わらない。
ティシアの瞳が開く。
まただ。
また、生きている。
ゴブリンキングの拳が止まった。
「ナゼ……」
初めてだった。
自分の力が通じない相手を見るのは。
ティシアは、まだ不完全な身体を起こす。
ゴブリンキングが一歩下がった。
その一瞬。
ティシアは、初めて気づいた。
こいつは強い。
自分とは比べものにならない。
だが――
(こいつは……自分が死ぬことを知らない)
死を恐れている。
だからこそ、死なない相手を前にして怯えている。
ティシアは、自分の身体を見る。
傷だらけだった。
痛い。
怖い。
何度死んでも、その感覚だけは消えない。
それでも。
(俺は……死なない)
そして、壁に掛けられた松明へ手を伸ばした。
「……」
炎が揺れている。
先ほど、この火をゴブリンキングの腕へ押し当てた。
だが、傷をつけることすらできなかった。
(小さな火じゃ……意味がない)
ティシアは、松明を握り締める。
炎が、指先を焼く。
「……っ」
痛い。
それでも手を離さない。
(なら――)
ティシアは、炎を見つめる。
(火を……大きくすればいい)
その瞳に、決意が宿った。




