9.ゴブリン
アストの横に座ったティシアは、少し離れた場所にある小さな墓に気づいた。
「あの墓は……?」
ティシアが尋ねると、アストは手を止めずに答えた。
「俺の妻リナのものだ。」
アストはティシアの斧を直しながら、静かに話し始める。
「まさか……ゴブリンに……。」
アストはゆっくりと首を横に振った。
「8年前だ。グレンが生まれたばかりの頃だった。盗賊に襲われたんだ。」
アストの手が一瞬止まる。
「そいつらは腕に蛇の印を刻んでいた。……ただ金を奪うだけじゃない。人を傷つけることを楽しむような奴らだった。」
「俺や、今ここにいる村のみんなは、この山に隠れてどうにか生き残った。」
「だが……。」
アストの手が止まる。
「リナは……守れなかった。」
「あいつは、俺たちを逃がすために……。」
アストは拳を強く握る。
「気づいた時には、もう……。」
「だから、俺は誓ったんだ。
「二度と同じ思いをする人間を出さない。この村を、命に代えても守るってな。」
「アストさん……。」
ティシアは何も言えなかった。
自分もまた、大切な人を失った痛みを知っていたからだ。
ノミアのことを思い出し、胸の奥が締め付けられる。
しばらく沈黙が続いた後、アストは直した斧をティシアへ差し出した。
「斧は糸がほつれていただけだった。これならもう使える。
明日にでも直し方を教えてやる。」
ティシアは斧を受け取る。
「ありがとうござ――」
その瞬間。
「アストさん!!」
山の下から、切羽詰まった声が響いた。
声の方向を見ると、そこには息を切らしたグレンが立っていた。
「どうした!」
「ゴブリンが……30匹も! 村に!
いつもは3匹くらいなのに……!」
「何だと……。」
アストの表情が険しくなる。
「グレン、ティシアはここにいろ!
俺は村の様子を見てくる。」
「待ってください。」
ティシアが立ち上がる。
「僕も行きます。」
「ティシア、お前は……。」
「これでも、幼い頃から騎士の訓練を受けてきました。
剣の扱いや、身を守るための戦い方くらいは身につけています。」
「少なくとも、足手まといにはなりません。」
アストは少し考え込む。
「……分かった。」
「ティシア、お前は村に着いたらすぐ門の中へ入れ。
俺は門の周りにいるゴブリンを食い止める。」
「ですが……。」
「門の中にゴブリンが入ってるかもしれない、お前に守ってほしい」
アストは真剣な目でティシアを見る。
「俺はもう、大切なものを失うのはごめんなんだ。」
「だから、無茶はするな。」
ティシアとアストは、急いで村へ向かって走り出した。
村へ近づくにつれて、嫌な光景が目に入る。
木の柵の前には、すでに大量のゴブリンが集まっていた。
「邪魔だ!!」
アストは勢いを落とさず、門前に群がるゴブリンへ突っ込む。
巨大な体から繰り出される一撃で、数匹のゴブリンがまとめて吹き飛んだ。
「門番! アストだ! 早く門を開けろ!!」
声を聞いた門番は、慌てて木の門を開ける。
「ティシア、先に入れ!」
「アストさん!?」
次の瞬間、アストはティシアの体を軽々と持ち上げ、村の中へ投げ込んだ。
「ぐっ……!」
ティシアは転がりながらも立ち上がる。
「アストさん!!」
「お前は村を守れ!」
その瞬間、重い音を立てて門が閉じる。
ティシアは門の向こうにいるアストを見る。
「……30匹?いや、それ以上いる。」
アストは森の方へ視線を向ける。
「森からまだ来てやがる……。
ティシア、村のことは任せるぞ。」
そう言うと、アストは再びゴブリンの群れへ向き直った。
ティシアは周囲を警戒する。
その時だった。
「……っ!」
5メートルほどある木の柵の上に、何匹ものゴブリンがよじ登っているのが見えた。
本来なら簡単には越えられないはずの壁を、奴らは数で押し破ろうとしていた。
「村の中に……!」
ティシアは息を飲んだ。
ゴブリン。
知能は人間の子どもほどで、身体能力も少し高い程度。
単体であれば、訓練を受けた者なら脅威になる相手ではない。
しかし――。
ゴブリンは群れることで、その本当の恐ろしさを発揮する。
数で押し寄せ、周囲を囲み、弱い者から狙う。
一匹では敵ではなくても、数十匹集まれば村一つを滅ぼす脅威になる。
「子どもたちや村の人たちを……。」
ティシアの脳裏に、母ノミアの姿が浮かぶ。
『皆を幸せにできる人になるんだ。』
幼い頃に交わした約束。
それは今でも、ティシアの心に残り続けていた。
「……僕は。」
ティシアは斧を強く握り直す。
「この村を守る。」




