第三話 少女との出会い
その後、大きなトラブルもなく、時間はいつも通り過ぎていき、最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、放課後の時刻を迎えた。
帰りの挨拶が終わり、学業から解放された生徒達は、緩みきった表情を浮かべ、思い思いに談笑しながら、教室の出入り口へと向かって歩き出した。
薫が鞄を肩にかけると、千奈都が傍らにやって来た。
「薫〜、部室途中まで一緒に行こ?」
「うん。あ、けど、今日は先輩に急用が出来たとかで、今日軽音部は休みになった」
「そっか、じゃあ玄関まで一緒に」
千奈都が答えた直後、不意に教室の隅から、クラスの女子生徒の話し声が聞こえてきた。
「この後どーする?カラオケとか行く?」
「んー、行きたいけど…あそこ、ちょっと遠いでしょ?うち、門限厳しいんだよねぇ。最近物騒だし…」
「ああ、例の連続失踪事件でしょ?今朝も男の子が、一人いなくなったって」
「そうそう、私もニュース観た。まだ、一人も見つかってないんだよね…」
「それで思い出したんだけど…」
普段ならクラスメイトの会話など気にも留めない薫だが、気がつけば足を止めていた。
「同級生の中に、身内が神隠しにあったって子、いなかったっけ?」
次の瞬間、二人のクラスメイトの顔から、笑顔が消えた。
「っちょ、おま…っ!」
「馬鹿…っ!」
慌てて話しを遮り、二人は一瞬薫に目を向けた後、戸惑っている女子に顔を寄せ、小声で事情を説明し始めた。
「鮎美は、小学校違うから知らないんだ…」
「そのいなくなった人って、小鳥遊さんのお母さん…」
「えっ」
事情を聞いた女子生徒は、自分が口にした言葉の意味を理解したのか、血相を変えた。
すぐに血相を変えて、薫の前に飛んでくると、深々と頭を下げた。
「薫、ごめんなさいっ!」
「大丈夫だ。気にしてない」
「薫…」
傍らの千奈都が心配そうな表情で、気遣うように、そっと声をかけてきた。
「私は、本当に気にしていない。行こう」
薫は千奈都を穏やかに促し、教室の外へ出た。
『大丈夫だ』と口にはしたが、本当は何が大丈夫なのか、自分でも解らなかった。
それでも、千奈都や友人達に余計な心配をかけたくなかった為、そう言うしかなかった。
薫は無意識に、胸元に手を伸ばす。
制服越しに返ってくる固い感触は、チェーンで通して、首から下げている、龍の指輪のものだ。
触れた直後、自身の生い立ちが、脳裏を走馬灯のように流れ始める。
――――今から、十六年前。
当時、高校一年生の少女、如月紗綾は、ある日の冬の朝に、登校する為に自宅を出たのを最後に、行方が分からなくなった。
家族や友人達との関係も至って良好で、何か悩みを抱えていた様子も無かった。
前兆などなく、いつもと変わらない明るく元気な挨拶と共に、自宅を出た。
学校が終われば、いつもと同じように帰ってくるだろうと、誰もが疑わない程に。
家族は、警察などあらゆる機関を通し、四方八方手を尽くしてを捜したが、何一つ手がかかりを得られなかった。
―――神隠しにあった。
―――海外へ拉致された。
―――男と駆け落ちした。
根も葉もない噂話を、陰で囁く者も少なくなかった。
そして、数年の時が過ぎ去った、二月中旬の名残雪の降るとある夜。
路上で倒れていた、一人の若い女性が保護され、近くの病院へ救急搬送されてきた。
診察の結果、その女性は、数年前に姿を消した如月紗綾本人だと判明した。
さらに驚くべき事実が判明する。彼女は子供を身籠っていたのだ。
病院に搬送された紗綾は、二十四時間近くの難産の末に、一人の赤子を産み落とす。
五体満足の健やかな女の子。
しかし、赤子を産み落とした紗綾は、意識が戻らず、眠るように息を引き取った。
数年越しに再会した家族と言葉を交わす事も、生まれたばかりの娘を抱く事も、叶わぬまま。
葬儀の後、遺された赤子は、子供に恵まれなかった紗綾の姉夫婦に、養女として引き取られた。
―――――その赤子こそ、薫である。
――――自身の生い立ちが、不幸だと思った事はない。
実の娘同然に、有り余る程の愛情を注いでくれる叔母夫婦に、孫として可愛がってくれる祖父母。
兄姉同然の、気心を許せる二人の幼なじみ。
疎まれても、おかしくない出自を考えれば、恵まれ過ぎている方だと思っている。
―――それでも、父親が何処の誰かも解らず、自分の誕生と引き換えに、母親は生命を落とした。
その事実が、薫の心に決して薄くはない影を落としていた。
―――――過去の回想に一区切りを打ち、一息を吐いて、胸元から指を離す。
この指輪は、母が死の間際まで、手に握っていた物だ。
いなくなった当初、母はこれを身につけていなかった為、恐らくは父に関係する品なのだろう。
記憶が無い事もあり、両親の存在をどう感じているのか、薫自身でも解らない。
それでも、薫にとってこの指輪は、顔も知らない父、そして亡き母との唯一の繋がりだった。
(…まぁ、今さら父親が何処の誰かなんて、知りたいとは思わないけどな…)
この身体に流れているのが誰の血であれ、現在の自分は小鳥遊重雄と詩織の娘―――小鳥遊薫だ。
その事実は変わらないと、薫は最後に制服の奥の指輪をそっと指先で一撫でする。
傍らでは、千奈都が身ぶり手ぶりで、様々な話題を薫へ振ってくる。
気を遣っているのは明らかで、やはり心配をかけてしまったと、薫は申し訳なく思った。
「今日は無理だけど、久しぶりにワルド食べに行きたいな。エンゼルベリークリームと、シュガーホワイトマウンテン、私大好きなんだよね」
「太りそうなやつばっかだな…」
「若いし、運動してるから、全て消費されますぅ」
振り返りざま、不意打ちで変顔する千奈都に、思わず吹き出してしまう薫。
薫の笑顔を見て、千奈都も内心ほっと息を吐いた。
そんな話しをしているうちに、二人は玄関前まで辿り着いていた。
「じゃあ、私はこの辺で。また明日」
「うんっ、じゃあね薫、また明日っ」
体育館に向かって、元気よく廊下を駆けていく千奈都に手を振り、薫は玄関で靴を履き替えて外に出た。
グラウンドでは、運動部が練習に励み、その中の一つである、サッカー部の中に、ユニフォームを着て、汗を流す大和の姿もあった。
その姿を少しの間見つめた後、駐輪場に向かい、自分の自転車を見つけてロックを解除し、荷物を籠に入れて、自転車を引いて屋根の外へ出て自転車に跨り、漕いで校門を出た。
脇目も振らず、来た道を真っ直ぐ自転車を漕いで、下っていく。
全身に初夏の薫風を受けながら、薫は頭の中で帰宅後の計画を組み立てながら、自宅に向かって自転車を走らせていた、その時だった。
「うわっ、キモッ、コイツ草食ってるぞ」
「しかも汚ねぇ。ホームレスか?」
悪意を含んだ不穏な声に、薫は思わず自転車を漕ぐ足を止め、右側へ視線を向ける。
見ると、薫が走っている道の右手側にある、小さな公園。
園内の隅に設置された、滑り台の傍で、三人の少年達が、誰かを囲んでいるのが見えた。
それは、灰色めいた長い髪をした、少年達より小さな女の子のようだった。
囲まれているその子は、高圧的な少年達の言動と態度に、心なしか震えているように見えた。
「黙ってないで、なんとか言えよっ!」
「喋れねぇーんじゃねぇの?こんな見た目だし」
「汚ねぇし、臭ぇし、さっさとどっか行けよっ!」
不意に、少年の一人が、いきなり蹴飛ばし、子供は悲鳴も上げず地面に倒れる。
「なにこいつ、よぇー」
ゲラゲラと、意地の悪い耳障りな笑い声が、鼓膜に届いた瞬間、薫の全身の血液が、一気に沸騰した。
「おいっ、止めろっ!」
薫が張り上げた声が、周囲に響き渡り、少年達はビクリッと肩を震わせこちらを振り返った。
自転車をかなぐり捨てるように飛び降りた薫はズンズンと園内の少年達の輪に近づき、その迫力に圧されたように、少年達は道を開ける。
薫が目の前に立つと、芝生の上に蹲るように膝をついた、少女が顔を上げた。
ボロボロの服を纏った、少年達より小さな少女。顔の大半が前髪に隠れ、茫然と薫を見上げている。
少女の守るように背を向け、少年達と向き合う。
「な、何だよお前っ!」
少年の一人が、我に返ったように薫に吠えるが、若干腰が引けている。
対して薫は堂々と言い返す。
「そっちこそ、何だよ。小さな女の子を大勢で囲んでいじめて、恥ずかしいとは思わないのか?」
「部外者のくせに、偉そうに説教すんなっ!」
「こんな事、黙って見過ごす方がおかしいだろ。お前たち、自分がされて嫌な事は人にしちゃいけないって、教わらなかったのか?」
静かだが、その言葉には刃物のような鋭さと、有無を言わせぬ迫力が込められていた。
まるで猛獣と対峙したように、少年達は無意識に出入り口へと後ずさっていく。
「な、なんだよ、うぜぇーな」
「もう行こうぜ」
少年達は悔しそうに顔を見合わせると、踵を返し、小走りで出入り口へ向かって駆け出す。
途中、負け惜しみか、一人が薫に向かってあっかんべーをするが、あまり効果はない。
少年達の姿が見えなくなり、静寂が戻った公園で、薫はふぅと張り詰めた息を吐き、振り返ると腰を落とし、打って変わって優しく穏やかに話しかける。
「大丈夫か?恐かったな、もう…」
大丈夫だ…と言いかけ、薫は息を呑んだ。
ボサボサのネズミ色の長い髪に、到底服とは呼べない使い古された雑巾のようなボロ布。
頼りないほど細い首には、黒革のシンプルなチョーカーベルトが着けられていた。
惨憺たる姿に、言葉が出なかったというのもある。
…が、それ以上に目を引きつけたのは、少女の頭部にある部位だった。
(…耳?)
最初は毛の塊だと思っていたそれは、獣の…狼のそれを想わせる獣の耳だと気づいた。
一見、よく出来たアクセサリに見えるが、留め具らしき物は見えず、そこにあるのが当然のように、自然に馴染んでいた。
作り物でない事を示すように、一瞬だが、耳の先端が微かに動くのを、薫は見逃さなかった。
不意に、少女の背中にかかった髪がモゾモゾと動き、間から何かが覗く。
(…翼?)
紛うことなく、それはくすんだ白い羽毛で覆われた、鳥の翼だった。
一瞬天使の姿が頭を過るが、少なくとも、薫の知っている天使には獣の耳など生えておらず、尻尾もない。
…そう、今気づいたが、少女の腰のつけ根からは、真珠のような乳白色の鱗を持つ、長くしなやかな竜を想わせる尾が生えていた。
白い獣の耳、白い翼、そして、竜を想わせる長くなやかな尾。
―――――キメラ。
脳裏に思い浮かんだのは、一つの身体に、異なる種族の特徴を持つ、生物を表す単語だった。
どういう存在なのかは解らない。
…ただ、一つだけ解るのは、この少女は人間ではないということだけだった。
普段、滅多に表情を変えない薫でも、驚きのあまり、開いた口が塞がらなかった。
他者とは違う出自を抱えながらも、平凡な人生を歩んできた薫にとって、目の前に現れた、この少女はあまりにも衝撃的過ぎた。
「…君は、一体…」
何者なのか、何処から来たのか。
どちらに対する問いかけだったのか、薫自身も解らない。
対して、問われた女の子は、何も答えない。
彼女自身、自分が何者か、解らないのかもしれない。
ふと、前髪の隙間から、女の子の瞳が覗く。
対照的な真紅と空色の瞳が、ただ虚ろに薫を見上げて




