第七話 非日常の始まり
―――――翌日。
「…お世話になりました」
薫は迎えに来た両親と共に、病院の玄関口で見送ってくれた看護師に、丁寧に頭を下げた。
しかし、自分を見つめる三人は、浮かない表情をしていた。
「…薫、アンタ、大丈夫?」
「…平気、だよ」
母の心配そうな問いかけに、薫は力なく笑みを浮かべるが、あまり説得力はないと、自分でも解っていた。
何故なら、その両目の下には、昨日の父より濃い隈が、くっきりと浮かんでいたからだ。
ゆきを引き取り、面倒を見る覚悟と決意をしたものの、本当に自分なんかにできるのかという、尽きるこのない不安と緊張感から、昨夜は殆んど眠ることができなかった。
目を覚ましたゆきからも、大層心配されてしまった。
そのゆきは今、右手首の腕輪の中に収まっている。
腕輪の事について、両親から何か言われるかと思ったが、二人は特に何も言ってこなかった。
看護師に別れを告げ、父の車に乗って病院を後にする。
道中、父に頼んで近くのファッションセンターに寄ってもらった後、四日ぶり自宅へと帰宅した。
あの怪物に破壊された大窓は修復され、すっかり元通りになっていた。
しかし、ソファーとテーブルは流石に廃棄せざるをえず、今度の土日に新しい物を購入すると、父から聞いた。
薫の顔色が悪いのもあり、今日は一日自宅でゆっくり休む事になった。
両親は、何かあったら、すぐに連絡するように念を押してから、仕事へ出かけていった。
両親を見送った後、薫はゆきと共に脱衣所へ行き、浴室で軽くシャワーを浴びて、髪を乾かした後、部屋へと戻る。
店で買った物を、袋から出す前に、薫は自室のベッドで少し仮眠をとることにした。
首にかけていた指輪を外して、勉強机の上に置いてから、ベッドへ横になる。
枕元には、ゆきがちょこんと座っている。
『薫おねえちゃん、大丈夫…?』
「あー、うん、ちょっと眠いだけ…ごめん…ちょっと、寝かせてくれ…」
『うん…』
“ちょっと”どころか、かなり眠そうだ。
ゆきは、薫の安眠を妨げないよう、細心の注意を払いながら、体勢を変えつつ、室内を見渡す。
白い壁をバックに、ライラックや水色など、寒色系の小物や戸棚で構成された室内は、生活感がありながらも、よく整理整頓されて、清潔感がある。
ふと、ゆきは右側の壁に沿って配置された、ベッドから見て斜め上の壁に、取り付けられた、小さな棚に目が止まった。
浴衣を着て庭で花火をする、幼少期の薫と、二人の幼なじみ。
青空と海をバックに、ビーチボールを両手に持った水着姿の薫。
誕生日ケーキを後ろで、はにかんだ笑顔を浮かべた薫。
桜吹雪が散る小学校の校門の前で、千奈都と大和に挟まれて、卒業証書を手に持ってピースサインをする薫。
薫が歩んできた人生の記憶の欠片達が、大きさも形も様々な写真立ての中で、鮮明に浮かび上がっていた
自分にはない思い出への羨望と、控えめだが、幸せそうな薫の笑顔の微笑ましさに、ゆきは表情を緩めながら、それらを目で辿っていると、不意に隅に設置された、木製の写真立てに目が止まった。
その中の写真は、他に比べて少し色褪せて古びており、写っているのは、黒いセーラー服を着た、可愛らしい笑顔が印象的な、黒髪をセミロングにした一人の少女。
(………だれ?)
ゆきは首を傾げる。
品の良い整った顔立ちと、澄んだ黒い瞳は薫とよく似ていたが、誰で、一体どういう関係の人なのか、まったく解らない。
「…私の、お母さんなんだ。その人」
振り返ると、眠ったと思ってた薫が、枕に頬を押しつける形で、ゆきを見つめていた。
『…薫おねえちゃんの?』
薫の母親の若い頃の写真…という事だろうか?
ゆきの知る薫の母と、写真の少女は確かに似ている。
…が、上手くは言えないが、雰囲気というか、何処かが違う気がした。
ゆきの戸惑いを察してか、薫は困ったような笑みを浮かべた。
「…私…生みの親と、育ての親…がいて……写真の人…紗綾母さんは、私を産んで、すぐに亡くなった…その後…紗綾母さんのお姉さんと、その旦那さん……詩織母さんと重雄父さんが、私を育ててくれた……本当の父さんは、何処にいるのか…どんな人なのか、私も知らない……」
ゆきの表情が曇る前に、「でもね」と薫は微笑みながら、ゆきの小さな頭を撫でた。
「私、は幸せ…だよ。皆が、いて、くれるから…」
その言葉を最後に、薫は目を閉じて、眠りに落ちた。
数秒後、すぅすぅと、寝息が聞こえ始める。
「………」
ゆきは薫の頬に、そっと小さな手を乗せる。
柔らかな質感と共に、温もりが伝わってくる。
薫の「幸せ」という言葉は、嘘ではないだろう。
並べられた写真の中の薫はみんな笑顔で、病院に駆けつけた、両親や友達は、心から薫の身を案じ、無事を喜んでいた。
それを見れば、彼女が周囲から愛されて育ってきたのが解る。
――――だが…。
「自分は元々、普通じゃない」
薫は病室で、そう言っていた。
彼女が常に纏う雰囲気は何処か空虚で、優しい笑顔には陰りがあった。
生まれた直後に、実の母は亡くなり、父は顔も解らない。
記憶がない自分とは違う…しかし、どこか似ている孤独を彼女も抱えているのだと、ゆきは幼いながらに理解していた。
(…薫おねえちゃんも、さびしいの……?)
ゆきは、そっと薫に頬を寄せて、目を閉じる。
その胸の奥に抱えた冷たい孤独を、少しでも寄り添い温めようとするかのように。
暫くの間、ゆきは眠る薫に、無言で寄り添い続けていた。
「ちょっと、寝すぎた…ごめんな、ゆき」
『ううん…ゆきもねてたから』
正午の鐘が鳴る頃に、薫は目を覚まし、枕元で眠っていたゆきを起こし、母が用意してくれた昼食を、一緒に食べた後自室へ戻り、部屋の隅の壁に立てかけた、購入した品が入った袋を、ようやく手にとる。
『薫おねえちゃん、それは…?』
ゆきの問いかけに、薫は振り返り、口元に笑みを浮かべた。
「ゆきの服と靴だよ。ずっと、Tシャツ一枚ってわけにもいかないだろ?」
薫の答えに、ゆきはオッドアイの瞳を丸く見開いた。
『ゆきの…?』
「うん…、まあ、私が選んだ服だから、センスとか、あまり期待できないけど…」
薫は、苦笑いしながら、袋から衣服を取り出し、値札の紐をハサミで切って並べる。
中から出てきたのは、ネックラインをフリルが縁取る、胸元に小さな白いリボンがついた、黒のキャミソールブラウスと、紺色のショートパンツ。
薄手の白いロングジップパーカーと、黒いショートのレインブーツ。そして、下着と靴下が数点。
可愛らしさより、動きやすさを基準にして選んだものだから、気に入らないかもしれない…と、薫は思っていたが、並べられた衣類を見つめるゆきの表情に、不満はない。
「じゃあ、着てもらう前に、大きく…いや、元の姿に、戻る事はできないか?」
『…ん、やってみる』
その言葉の後、ゆきは机の上に置かれた腕輪の中に、雪の結晶を想わせる白色の粒子となって、吸い込まれた。
数秒後、画面から飛び出してきた、野球ボール程の白い発光体が、空中で広がって形を変え、人型のシルエットとなって、音もなく床に着地しする。
光がシャボン玉のように弾け、中から現れたのは、元の大きさに戻ったゆき。
しかし、ゆきの姿は、薫の知るものとは少し違った。
踵付近まで伸びた、毛先が緩く波打つ純白の髪も、真紅と空色の澄んだオッドアイの瞳は変わらない。
――――しかし、白竜の尾と白い鳥の翼、獣の耳は影も形も無くなっている。
……いや、よく見ると髪の間から、顔の両端に…人と似た――――否、大きさも形も、人間とまったく同じ耳が覗いていた。
綺麗に生えそろった指先の爪も、先端が丸くなっている。
…そう、現在のゆきは、人の姿になっていた。
ゆきも自身も戸惑ったように、全身を見回している事から、彼女の意思でそうなった訳ではないようだ。
「ゆき…その、身体は大丈夫なのか…?」
『うん、だいじょうぶ…』
薫の問いかけに、ゆきは驚きが抜けきらない表情で、コクリと頷く。
薫はチラリと、腕輪に視線を向ける。
ゆき自身の意思でないとすれば、あの腕輪の力としか考えられない。
一体、あと幾つ、自分の知らない能力が備わっているのだろう?
そもそも、この腕輪は何なのだ?
今後の為にも、じっくり調べてみる必要があるだろうが、今はそれをする時ではない。
思わぬ形ではあったが、元の大きさに戻る事は出来たし、人間の姿なら尻尾や翼を気にせず、すんなりと試着出来る。
今のところ、これは、好意的に捉えるべきだろう。
「じゃあ、早速…」
口を開きかけ、薫はじっとゆきの顔を見つめた。
「…その前に、ちょっと前髪、切っていいか?それじゃ、見えにくいだろ」
薫は密かに、ゆきの目にかかる長い前髪を気にしていた。
ヘアピンで止める事方法もあるが、やはり短く切ってしまった方が、スッキリするし手間も省けるだろうと思った。
『うん…』
ゆきの了承を得た後、薫は部屋のサイドテーブルの前にゆきを座らせ、テーブルの上にゆきの顔が映る位置に鏡を置く。
スマホで、自分で前髪を切る方法を検索。
前髪は濡らさず、ヘアピンで髪を留めてから、ハサミで毛先から少しずつ切る…というのが一番失敗しにくいやり方らしい。
櫛を軽く通してから、ゆきの髪をピンで固定。
髪が床に散らばらないよう、ゴミ箱をゆきに手で抱えてもらう。
手順を頭の中で復唱しながら、薫は母の部屋から拝借した、ヘアカット用のハサミを手に持つ。
幼稚園の頃は、これでよく母に髪を切って貰ったなと、懐かしい思い出が蘇った。
「じゃあ、切るぞ。すぐ終わるから、ちょっと、下見で目閉じてて」
『はい』
薫は、ゆきの白い前髪を慎重に指で摘み、毛先にハサミを入れる。
ジャキリと音を立てて、切り落とされた毛束がハラハラと落ちていく。
お洒落にあまり関心はないとはいえ、薫も女の端くれである。
髪がどれだけ大切なものなのか、十分に理解している。
特に、前髪は容姿の中で最も目につく場所だ。
故に、少しずつ少しずつ、細心の注意を払って、ハサミを動かし、髪を切り揃えていく。
眉毛の位置まで、短くする程度なので、大して時間はかからず、カットは終わった。
「どう、だ…?」
ハサミを止め、左手で髪を払い、薫はゆきの顔を覗きこみ、無言になる。
『…どうしたの?ゆき、へん?』
何も言わない薫に不安になり、ゆきは不安そうに、見上げてきた。
失敗したという訳ではない……むしろ。
「…ゆきって、可愛いな」
『えっ?』
薫が、無意識に漏らした一言に、ゆきの頬が、ぽっと赤くなる。
元から人間離れした(そもそも人間ではないが)容姿を持つゆきだが、前髪を切ったことで、儚くも可憐な、ビスクドールのように整った顔立ちが、はっきりと露わになった。
しかし、ほんのり桜色に染まった頬や、豊かな表情は、人形には決して表現できない、生命の温かみがある。
うっかり漏らした言動に、薫も気恥ずかしくなり、小さく咳払いをする。
「っ、ごめん…じゃあ、その…次は着替えて…もらても、いいか?」
『う、うん』
幼く、同性とはいえ、着替えを見られるのは嫌だろうと、薫は一旦自室を出て、ドアの前で待つ。
暫く中で、ゴソゴソと布が擦れる音が微かに聞こえ、止まった。
『…着れたよ』
脳裏に響くゆきの声。
薫はゆっくり扉を開き、再び部屋の中へ。
『ど、どう?薫おねえちゃん…』
「…うん、すごく、似合ってる」
気の利いた感想ではなかったが、薫の心からの賛辞だった。
黒のブラウスと紺のデニムのショートパンツの組み合わせは、ゆきの華奢な身体にピッタリと合い、白い肌によく映え、子供らしいあどけなさが自然に強調されている。
その上に羽織った、薄手の白いジップパーカーは、少し大きめのサイズを選んだ為、袖が余り指先が見える程度だが、それがゆきの小柄さを強調し、とても可愛らしい印象を与える。
下に履いているのは、子供用の黒いショートのレインブーツ。
シンプルな装いだが、モデルが良いと、ここまで輝くのかと、薫は驚きと感心が入り混じった気持ちで、ゆきを見つめていた。
「可愛いよ、ゆき」
『えへへ…』
薫の褒め言葉に、ゆきは照れくさそうに、しかし嬉しそうにはにかむ。
…が、ゆきは悲しげにゆっくりと俯く。
「どうしたの?」
『…ゆき、薫おねえちゃんから、いっぱい優しくしてもらって…お洋服までもらったのに、ゆきは薫おねえちゃんに何もできない……』
世話を焼いてもらって、何も返せない自分に、罪悪感を感じているらしい。
本当に、この子は他者の事ばっかりだな…と薫は苦笑する。
そこに、好意を抱いているのだが。
薫はゆきの頭にポンッと手を置き、優しく撫でる
「じゃあ、私がなにか困った事があったら、できる範囲で良いから助けてくれ。お返しはそれで」
無論、薫は見返りなど欲しいとは思っていない。
それでも「気にしてない」と言ったくらいでは、ゆきは納得しないと思ったのだ。
『ゆきが…?』
「ああ、その時は頼むよ」
薫が優しく微笑むと、ゆきは何かを決意したように両手を固く握りしめ、強く頷いた。
『…うんっ!ゆき、薫おねえちゃんたすけるっ!』
「うん、ありがとうな」
薫が優しく、ゆきの頭を撫でた直後だった。
―――――ピンポーン
玄関の方から響く、インターホンの音。
『―――すみませーん、小鳥遊さんの担任の田村ですが、小鳥遊さんは、おられますか?』
マイクを通して聞こえたのは、薫のクラスを受け持っている男性教師の声だった。
「っえ?あ、はーい」
来訪者に驚きつつ、薫は振り返り、玄関に向かって返事をする。
ゆきは、状況を察し、光の粒子となって腕輪の中に戻った。
薫は、腕輪を右手首につけ、玄関へ小走りで向かい鍵を開けると、担任の田村と大和、千奈都が立っていた。
薫は挨拶もそこそこに、三人を自室へ招く。
「いやあ、元気そうで良かった。クラスのみんなも、小鳥遊の事、待ってるぞぉっ!」
「あ、はい。明日は、ちゃんと学校へ行くつもりです」
がっはっはっは、と豪快に笑う田村に、薫は幼なじみ二人と顔を見合わせ、苦笑いを浮かべる。
悪い人間では無い事は、解ってはいるが、普段の声量が大きく、距離が少し近いのもあって、薫は嫌ってはいないが、田村は少々苦手であった。
今日の学校や、生徒達の様子を話し終え、薫にクラスで配られた、プリントを挟んだクリアファイルを手渡すと、田村はどっこいしょと、重たげに腰を上げる。
「じゃ、俺ぁ帰るわ。高橋も渡辺も暗くなる前に、帰れよ?最近、物騒だからな」
「うぅっす」
「はぁーい」
大和と千奈都の返事を聞き、田村は帰っていった。
担任の背を見送り、千奈都はカバンからノートを取り出して、薫に差し出した。
「はい、休んでた間の授業内容を纏めたノート。解らないとこあったら、いつでも訊いてね」
「うん、ありがとう、千奈都ちゃん」
「…薫、ほんとに、もう平気なのか?」
大和が探るような目で、薫の目ををじっと見つめながら訊ねた。
「そんなに心配しなくても、もう大丈夫だよ。怪我だって、大した事ないし」
「解ってるけどさ、お前、調子悪いのに、隠して無理し過ぎる所あるだろ。だからさ…」
大和の言葉に、千奈都も心配そうに視線を向ける。
「本当に、大丈夫だよ。学校だって、いつまでも休む訳にはいかないだろ?」
千奈都と大和を見ながら、薫は困ったような笑顔を浮かべた。
「大丈夫」という言葉自体は嘘ではないが、正直、笑うのはあまり得意ではない。
それでも、二人を少しでも安心させたくて、笑顔を作る。
「…なら、いいけど。なんかあったら、ちゃんとあたし達に言ってね?」
「うん、解ってるよ」
答えつつ、薫の内心は複雑だった。
自分は二人に…両親にすら、話せていない秘密を抱えている。
些細な事でも、相談するという約束を、結ぶ前から反故にしている事実に、胸の奥がチクチクと痛んだ。
薫は無意識に、右手首の腕輪に触れた。
「…ねぇ、ずっと気になってたんだけど、その右腕の…玩具?どうしたの?」
千奈都の言葉に、大和も薫の右腕に目を向ける。
「俺も気になってた。薫がチョーカー以外で、アクセ着けてんの珍しいなって」
「えっと…これは」
薫は右手首の腕輪を、咄嗟に左手で隠した。
「これは…ちょっと、あるイベントで…偶然手に入れたっていうか…」
「ふーん…よく分かんないけど、なんかの景品みたいな?」
「…そう、だね…」
事実とも嘘とも言えない、微妙で曖昧な説明に、それでも二人は納得してくれた。
千奈都は、部屋の壁に立てかけられた時計を見上げ、時刻を確認する。
「あ…もう、こんな時間。そろそろ帰らなきゃ」
「おう、そうだな。じゃあな、薫。また明日学校でな」
「うん、二人ともありがとう。また明日」
玄関まで見送ろうと、立ち上がりかけた薫を「病み上がりなんだから」と大和が制し、二人はそのまま部屋を後にする。
その背を見送った後、腕輪に淡い光が灯り、ピンポン玉程の光の玉が飛び出す。
それは、薫の差し出した両手にふわりと着地し、玉が弾けて、手の平の上に、ペタンと座ったゆきが現れる。
小さくなったゆきは、狼の耳と鳥の翼、竜の尾を持つ、本来の姿へと戻っていた。
服を突き破っている訳ではなく、根元にピッタリと合ったサイズの穴が、まるで最初からあったかのように空いており、そこから翼や尾が生えていた。
しかし、それより気になるのは、俯いていて、見るからに元気のないゆきだった。
「どうした?ゆき」
薫が心配して話しかけると、俯いていたゆきが顔を上げ、悲しげに眉を下げで薫を見上げる。
『…ゆきのせいで…薫おねえちゃん、おともだちに嘘、ついちゃった……』
ゆきも、腕輪の中で薫達の会話を聞いていた。
自分の存在を隠す為、薫に嘘を吐かせている事実に、自罰意識の強いゆきは、責任を感じているのだ。
「…ゆきのせいなんて、思ってない」
薫は宥めるようにそう言って、優しく、左手でゆきの頭を撫でる。
「―――なに、一人でぶつぶつ言ってんの?」
「ふにゃあっっ!!?」
突然、背後から話しかけられ、薫は胡瓜を蛇と間違えた、猫のような奇声を発しながら飛び上がった。
咄嗟に肩越しに振り返ると、帰った筈の千奈都が、自室の入り口の前で、怪訝な表情で立っていた。
「ち、千奈都ちゃん…か、帰ったんじゃ…」
「帰ろうとしたら、鞄につけてた、お気に入りのキーホルダーが無くなってたから、薫の部屋で落としたのかと思って…てか、薫、なんか手に持ってる?」
一向に、こちらに正面を向けない薫に、何かを察した千奈都は、部屋に入ると肩から薫の手元を覗きこんでくる。
「な、何でもないよっ、それより…」
千奈都の視線から逃れるように、慌てて体勢を入れ替え、入り口の方を見ると、今度は大和と目が合って、一瞬心臓が止まりかけた。
「お前ら、なにやってんだ?てか薫、何持ってんだお前?」
大和まで近くまで来て、千奈都と二人に挟まれる形で、手元を覗きこまれる。
結果的に逃げ場を失い、薫の心臓は早鐘を打ち、冷や汗が全身の毛穴から噴き出す。
薫の手の中で、ゆきは薫のシャツにしがみつき、石のように固まっている。
ぱっと見ただけなら、人形だと思うだろう。
…が、それも長く見続ければ、細かな動きに気付く。
「マスコット?…え、ちょっと待って…この子、震えてない?」
「まさか…生きてる?薫、なんなんだよこいつっ!?」
遂に、ゆきの存在がバレてしまった。
もう隠す事は出来ないと、観念と諦観のため息を吐いた後、薫は重い口を開いた。
「…隠していて、ごめん。実は――――」




