第八話 白き悪意と紅の来訪者
薫は再び、サイドテーブルに大和、千奈都と向かい合って座り、三日前に、自身の身に起きた出来事全てを話した。
――――ゆきと出会い、彼女を自宅に連れて帰った事。
――――見たこともない怪物に襲撃され、謎の声に導かれるまま、ゆきと『契約』を交わした事。
――――出現した薙刀を手に、死に物狂いで怪物を倒した後、気を失った事。
――――目を覚ました後、腕輪から小さくなったゆきが出てきた事。記憶を持たない彼女に名前をつけた事。
薫はゆきを撫でながら、解らない事以外、話せる部分は全て言葉にして、二人に伝えた。
それこそ、ラノベのような現実離れした体験談に、大和と千奈都は、半信半疑といった表情で、それでも黙って聞いていた。
しかし、薫の手に抱かれているゆきと、腕輪の存在が、彼女の言葉が全て現実に起きた出来事である事を裏付ける、決定的な証拠となっていた。
「マジかよ…真実は小説よりも…えっと…キウイ?とか何とか言うけどよ…」
「大和、それを言うなら“奇なり”だよ」
大和の言い間違いを、呆れ顔で訂正する千奈都。
「まぁ、それはそれとして、こんな漫画かアニメみたいな事、実際あんのかよ…」
大和は、まじまじと、薫の服に顔を埋めるゆきと、右手首の腕輪を交互に見つめた。
「まぁ、実際あったから、こうなったんだけどね…」
苦笑いを浮かべる薫に、千奈都がジロリと視線を向ける。
「薫…そんな大変な事があったのに、何で黙ってたの?」
「ごめん…こんな事、言っても信じてもらえないと思ったし…」
「それだけじゃないでしょ?」
千奈都は、じっと薫の瞳を見つめた。
「薫の事だから、ゆきちゃんの事とか、全部一人でどうにかするつもりだったんでしょ?」
ぐっ、と言葉に詰まり、何も言えなくなる薫に、やっぱりと、溜息を吐く千奈都。
すると、薫の手の中で、固まっていたゆきが、おずおずと顔を上げて、千奈都を見た。
『…薫おねえちゃんを、怒らないで…ください……』
「ゆき…」
ゆきの『声』が届いたのか、千奈都と大和が、僅かに目を見開いて、ゆきに視線を向ける。
『…薫おねえちゃん…ゆきを助けてくれた……薫おねえちゃんは……悪くないの……』
まだ、薫以外の人間と、話すのは恐いのだろう。
脳裏に響く声と、小さな身体は僅かに震えている。
それでも、ゆきは拙いながらも、必死に弁護の言葉を紡いだ。
千奈都は、ふっと表情を和らげ、姿勢を低くして、薫の手の中のゆきを見つめた。
「ごめんね…責めてる訳じゃないの。あたし達はただ、薫に、一言相談してほしかっただけ。薫は昔から、一人で頑張り過ぎちゃう所があるから……ゆきちゃんは、優しいね」
千奈都の優しく、柔らかな声音に、少しだけ緊張が解れたのか、ゆきも薫の手の中から、千奈都を見上げる。
「あたしは、高橋千奈都。千奈都って呼んでね。薫から、聞いてるかも知れないけど、この子とは小さい頃から友達なの」
千奈都は、そっとゆきの前に人差し指を差し出す。
「今すぐにとは言わないけれど、あたし達とも仲良くしてくれたら、嬉しいな」
「………」
ゆきは何も言わず、じっと千奈都を見上げている。
やがて、恐る恐る小枝のように細く小さな腕を上げ、手の平を千奈都の上に置いた。
「俺は、渡辺大和。俺も薫の幼なじみだよ。よろしくな、ゆき」
千奈都の傍らから、大和がにっと、白い歯を見せて挨拶する。
薫は戸惑いに満ちた表情で、幼なじみ達をを交互に見つめた。
ゆきの…そして、今の存在を、あっさりと簡単に受け入れる二人に対し、安堵より困惑の方が強かった。
「あの…二人とも……」
薫は、慎重に言葉を選びながら、二人に声をかけた。
「ゆきの事…その…恐くないのか…?私だって、今どんな状態か解らないんだぞ…」
薫の言葉に、千奈都と大和は「何言ってるんだ?」とでも言いたげな顔で、薫を見つめた。
「ゆきは、薫の友達なんだろ?それに、その“契約”ってやつを交わしたって、薫は薫だろ?何も恐くねぇよ」
「そーだよ。例え、どんな力を貰ったって、薫が悪い事に使うような子じゃないって、うちら知ってるし。ゆきちゃんだって、こんなに可愛くて、大人しい子のどこに、恐がる要素があるっての?」
至極当然の事のように、二人の返答には一切の迷いも、躊躇いもなかった。
二人の言葉と表情に、千奈都も大和も、今の自分とゆきの存在を、心から受け入れてくれているのだと、薫は理解した。
―――同時に、気付いた。
自分が、本当の事を話せなかったのは、ゆきの事だけではない。
あの日、何も解らないまま、“契約”を結んだ事により、何かが変わってしまった自分を、二人がこれまでの様に接してくれる自信が無かった。
ゆき同様、自分も忌避されたり、拒絶されるのが恐かった。
二人、そんな事はしないと言い聞かせても、心の何処かで、二人を疑いの気持ちがあった。
―――結局は、信じていなかったのだ。千奈都と大
和を。
昔から、陰で自分の噂を囁く者達の、心ない言葉に落ち込む度に、「あんな奴らは気にするな」と笑って励ましてくれた、二人の幼なじみを。
安堵と喜び、それ以上に罪悪感と羞恥で胸が一杯になり、薫は俯く。
「ごめん…ありがとう、二人とも」
「解ればよろしい」
湿っぽい気配を察してか、千奈都は敢えて偉ぶった口調で、薫の頭頂部を平手でポンポンと叩く。
『薫おねえちゃん…』
両手の中で、心配そうに見上げるゆきに、これ以上、自分の表情を見られたくなくて、急いで目尻を拭い「大丈夫だ」とゆきの頭を撫でた。
「薫…」
不意に、大和が珍しく、暗く固く強張った表情で、薫の前までくると、ガバッ、と頭を床に叩きつける勢いで、頭を下げた。
「ごめんっ、ごめんなっ!薫が、そんな大変な思いしてたのに、すぐに気付いてやれなくて…っ!」
「っや、大和君達は、悪くない…私が黙ってたから…」
頭を下げる大和に、薫は慌てて手を振って、頭を上げさせた。
「薫っ」
大和はガバッ、と顔を上げると、薫の両肩を掴んで、ズイッ、と鼻先まで、自分の顔面を近づけ、薫の呼吸が止まった。
「あの、ちょ…」
「けど、もう大丈夫だっ!これからは、俺達がついてるっ!!化けもんだろうが、何だろうが、薫とゆきにちょっかい出す奴は、俺が片っ端から―――」
「離れろ暑苦しいっ!そんな色々言われたって、薫が困るでしょっ!ゆきちゃんも恐がってるからっ!!」
「ぐぇっ」
見かねた千奈都が、大和の襟首を掴んで強引に、薫から引き離す。
一瞬、気道が絞まった大和は、潰れたカエルのようなうめき声を上げ、大和と距離が開いた薫は、ようやく息を吐いた。
顔全体が熱く火照り、荒ぶった脈をなんとか鎮めようと、息を整えていると。手の中で震えているゆきに気づき「っゆき、大丈夫?」と、覗きこむ。
喉を抑えて、小さく咳をした大和もそれに気づき、千奈都もほら見たことか、と言わんばかりに、大和をジト目で睨む。
「あ…ゆ、ゆき…ごめんな、びっくりさせて…つい、熱くなっちまって…」
大和がゆきに向かって、真摯に頭を下げる。
謝罪を受け、薫の服に顔を埋め、震えていたゆきは、ゆっくりと振り返り、大和を見た。
「まったく…」
千奈都は、ふぅと息を吐いてから、薫と真っ直ぐ向き合った。
「薫、色々言ったけど、これだけは、約束して」
千奈都は、静かだが、真剣な眼差しで薫の瞳を見つめ、両肩に手を置いた。
「今度こそ、約束して。ゆきちゃんや腕輪の事とか、些細でも、突拍子のない事でも隠さないで、あたし達にちゃんと相談する事。良い?」
抑えつけるような威圧感はないが、千奈都の瞳の奥には、厳のように、揺るがぬ覚悟が宿っていた。
「…っ」
薫は、即答できなかった。
何があっても、千奈都と大和が味方でいてくれる事は、先程の会話で再認識した。
それ故に、そんな二人の優しさに甘えてしまって本当に良いのかと、躊躇が生まれていた。
「言っとくけど、危ないからとか、忘れろとかは無しだぜ?まぁ、言われても、俺は関わる気満々だけどな」
そんな薫を後押しするように、千奈都の後ろで、大和がふてぶてしく笑ってみせる。
その笑みが、薫の心を縛っていた躊躇いを断ち切った。
「―――うん、解った」
薫の頷きに、千奈都と大和は、顔を見合わせて満足そうに笑った。
「ゆきも、それでいいか?」
薫が胸元のゆきに、優しく問いかけると、ゆきは黙って、コクリと頷いた。
ゆきも、千奈都達に心を開き始めているし、自分以外の人間の交流は、この子の心の安定や、外の世界に興味を示す、きっかけになる筈だ。
――――言い訳になるかもしれないが、何が起きるか解らない現状だからこそ、幼なじみ二人が傍にいてくれるのは、非常にありがたかった。
自分のそんな子供じみた意地など、千奈都と大和には、とっくに見透かされていたのだろう。
「…二人には、敵わないな……」
舌の上で転がすように呟いた、小さな独り言が、耳ざとい千奈都には届いていたようだ。
すぐさま、にぱっと向日葵のように、明るく天真爛漫な笑顔が返ってきた。
「フフッ、あたしは薫のお姉さんだからねっ、妹の事は全部把握済みなんだからっ!」
「姉貴っ、つうより、ストーカーみたいだなお前…」
「ちょっとっ!その言い方は酷くないっ!?」
大和がボソッ、と漏らした余計な一言に、千奈都が聞き捨てならぬとばかりに、頬を膨らませて大和を睨む。
不意に、千奈都は部屋の隅に転がっていたある物を見つけ、ぱっと怒りの表情を引っ込めた。
「あっ、あたしのストラップッ!」
素っ頓狂な声に、そもそも千奈都が部屋に戻ってきたのは、落としたストラップを探しに来たのだと、薫は思い出した。
部屋の隅に、小走りで駆け寄った千奈都が拾い上げたのは、可愛らしい白い丸々とした小鳥のマスコットだった。
薫と大和も、千奈都の元へ歩み寄る。
「おー、見つかって良かったなっ」
「それ、シマエナガ?可愛い…っ」
普段、人より表情の変化の乏しい薫が、マスコットが目に入った途端、幼子のようにあどけない笑みを浮かべ、その瞳が、キラキラと瞬き始めた。
初めて見る薫の表情に、ゆきは驚いて目を見開く。
「お前、寒いとこ動物、大好きだもんな…どうしたんだよ、それ」
薫に苦笑しつつ、大和が千奈都に訊ねる。
「この間、叔父さんが、家族で北海道旅行に行ってきた時のお土産。ゆきちゃん、ほら、シマエナガっていうの。可愛いでしょ?」
「北海道っていう、埼玉より北の寒い地域にしかいなくて、滅多に姿を現さない、珍しい鳥なんだよっ」
マスコットを手で摘んで見えやすいよう、ゆきの目の前に差し出す千奈都に、薫がやや弾んだ声で説明する。
『まんまるの…しろい鳥さん…かわいい…』
ゆきも、その丸っこく愛らしい容姿に、頬を緩めた。
薫の手の中で、手を伸ばして、マスコットを撫で始める。
ぬいぐるみの生地は、ふわふわとして柔らかく、触り心地が良い。
黒いビーズで作られた、つぶらな瞳。
艶のある漆黒の中に、映ったゆきの姿は、微笑ましさの中に、何とも言い難い不穏な気配を感じさせた………。
―――――黄昏に沈んだ、住宅街。
目が焼けそうな程、鮮やかな夕焼けの空に、白い布が翻る。
路地の両脇に建てられた、電柱の中の一つ。
そのてっぺんに、白い人影が佇んでいた。
頭から足元まで、白い布で全身を覆い隠し、年齢も性別も解らない。
何もかもが、白く覆い隠されているその何者かは、嵐の前の静けさに似た、不気味で不穏な気配を全身に纏っていた。
頭部に空いた隙間から覗く、凶星のように暗い光が灯った真紅の瞳が向けられているのは、現代式の平屋――――小鳥遊薫の自宅である。
「――――……契約し、奏獣師を得たとしても、あれに戦闘能力はまだない……すぐに、確保できると踏みましたが…まさか、創成武具を扱える人間が現れるとは……しかも、あんな子供が……」
白衣の下から漏れたのは、くぐもった、若い男性の声だった。
独白の中に、常人には理解し得ぬ単語が幾つか混じっていたが、元から他者に聞かせる為のものではない為、気に留める必要はない。
―――――不意に、独り言が止まる。
…直後、白衣の下から漏れた、くくく…という小さな忍び笑い。
「面白い…面白いなぁ…」
忌々しい邪魔者が現れて、苛立っている…どころか、遊戯に興じる子供のように、想定外の事態を楽しんでいるように見える。
その様が逆に不気味で、狂気じみて気色が悪かった。
ひとしきり忍び笑いをした後、やや冷静を取り戻したのか、男は白衣の下から何かを取り出す。
「…本音を言えば、もう少し、楽しみたいのですが…」
男が懐から取り出したのは、五百円玉程の大きさの、コインの形をした、赤みがかかった宝石。
それが、夕陽を弾いてキラリと光る。
「…邪魔な芽は、早めに摘んでおかないと…それに、あれは、私の夢を叶える為に必要な鍵……」
フードの奥に潜んだ暗闇の中、狂気を孕んだ紅い瞳が三日月の形に細められる。
「―――――返して貰いますよ」
―――――一方、その頃。
山近くにある、人気のない広い敷地を持つ自然公園。
微かなうめき声と共に、近くの茂みから、木にもたれ掛かるように、長身の人影がふらりと現れた。
黒みがかった真紅の髪に、浅黒い肌を持つ、炎に似た装飾が印象的な、赤い軍服を着た二十歳前後の青年だった。
その端正な顔立ちは苦痛に歪み、額には冷や汗が浮かんでいる。
右手が押さえる左の脇腹は、赤黒く染まり、指の間からは、今尚鮮血が溢れ、彼の手を赤く濡らしている。
荒い息を吐きつつ、青年は近くの木に右半身を預ける形で寄りかかりながら、金色の瞳で辺りを見回す。
(―――何処だ、ここ……)
見たことが無い場所だった…否、場所だけではない。
視界に立ち並ぶ木々や、木の遊具、周囲の空気さえも、彼が知るものとは、何かが違っていた。
ふと、公園がある高台の下に拡がる、街並みが視界に飛び込んできた。
並び立つ、建物の大きさや形は、彼が今まで訪れた、どの国にもないものばかりだった。
それを見て、彼は自分の予想が当たっていた事を、直感する。
(…ここ、人間の世界か…っ!?何でこんなとこ――――)
「っぁぐ…うっ!」
青年の思考は、脇腹の深く裂かれた傷から迸った、雷のような激痛に断ち切られた。
青年は右肩を幹に押しつけるように、ズルズルとその場に崩れ落ち、そのまま座り込む。
草むらに飛び散った赤黒い血液が、葉っぱの上でぬらぬらと光る。
(…ックソ…一先ず…今、は…傷、を…治さねぇと…っ)
天を仰ぎ、自身を落ち着かせるように、はぁ…と大きく息を吐いた青年は、そのまま目を閉じる。
夕陽とは違う、真紅の光が一瞬閃き、静寂が落ちる。
それを最後に、静寂が戻り、周囲に響くのは風が草木を揺らす音だけ。
やがて日が落ち、夜の帳がかかり始めても、青年は姿を表す事はなかった。
―――――新たな波乱が、人知れず幕を開けた………。




