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燃ゆる華は、灰に還らず

フリーの過去話です。


下水道から飛び出した時、


森の樹の上から世界を見た時、


はじめて陽の光が当たる場所にいると感じた。


地平線の先まで広がっている大森林。

世界は、こんなにも広くて、そして―――綺麗で。



あたしが今まで知っていた世界とは全然違っていて。


こんな世界があると知れたのは、あたしの中ではしゃいでいるもう1人の私のおかげ。


自由に生きようと言ってくれた私。

名前がなかったあたしに、自由という名前をつけてくれた私。


私がいてくれたから、いまのあたしがある。


私がいなかったら、あたしはきっと、あの日とっくに死んでいただろう。



―――この世界に産まれた時から、あたしは奴隷だった。



奴隷である母親から産まれ。

産まれてすぐに母親から引き離されて、暗い牢の中に入れられた。


あたしの世界は、暗く、狭い牢屋だけ。

最初に覚えているのは、石の匂い。

冷たくて、湿っていて、生き物の気配がない場所の匂い。


それが、あたしの世界のはじまり。


温かいものに触れた記憶がない。

柔らかいものに包まれた記憶もない。


どれだけ泣いても、叫んでも、誰もこない。


たまに誰かがきて、舌打ちをしながら牢の掃除をしてあたしのミルクを置いていったのを少しだけ覚えている。


すぐに、あたしは泣くことをやめた。

泣いても誰もこない。

来たとしても、耳を引っ張られたりするだけ。


冷たい石の床で静かに過ごす毎日。


自分が獣人じゃなかったらとっくに死んでいただろう。

いや、獣人だからこそ産まされたのだろう。


獣人は成長が早いから。

すぐに利用できるから。


現にあたしは、生まれて1年ほどでもう働かされていた。


最初にやらされたのは、排水溝の掃除。

狭かったが、まだまだ小さいあたしはなんとか隙間に入っていくことができた。

腹這いで進みながら詰まった泥や汚物を素手でこすり落とし流していく。

狼人で、爪が丈夫だからと素手でやらされていたが、何度も爪が割れた。

痛みはあったけど、ここでやめるともっと痛い目にあわされるのがわかっていたからそのまま続けていた。


痛みもきつかったが、臭いがきつかった。

嗅覚が優れているので、腐った臭いや、汚物の臭いが何倍にも感じられた。


狭い場所の掃除はあたしのような幼い獣人の仕事だった。

煙突の中を掃除したこともある。

細い筒の中は暗くて、煤の匂いが鼻の奥まで刺さった。


小さいブラシを握らされて、ただ上へ上へと登りながら壁を擦る。

どれだけ辛くても、止まることは許されない。

別の子供が泣き喚いた時、その子は一晩煙突の中から出してもらえなかった。


翌朝。

静かになったその子が出てきた。


あたしたちを使っている、人間の男が舌打ちをしてその子をどこかに連れていった。

その日以降、その子を見ることはなかった。


あの時は、わからなかったが、きっと死んでいたのだろう。


残されたあたしたちは、泣くこともなくただ無心で動くしかなかった。



幸か不幸か、あたしの体は頑丈にできていたみたいで、ほかの子供たちが続々といなくなっていく中、あたしは着実に成長していった。


時間の流れなどわからないが、おそらく3,4歳の頃。


しっかり体ができてきたあたしは次の仕事をさせられていた。


朝から晩まで荷物の運搬をする仕事。

朝はやくに起こされて、大量にある木箱に入った荷物を場所へと積み込んでいく。

中にはとてもじゃないが一人で運べるような重さじゃないものもあったが、それでも運ばされた。

一歩一歩、慎重に。

それでも遅いと叩かれて。痛みで落としたらまだ罰を受ける。

ただひたすらに耐えて、壁に体を預けながら一歩、一歩。


一台の馬車がいっぱいになると、またすぐに次の馬車がくる。

一日中それをやった。

やっと終わった、と牢の中に戻り倒れるように眠った直後、起こされる時もあった。


男の叫び声。

これに反応できずに、すぐに行かないとまた耳を引っ張られる。


すぐに飛び起きて、男の元へと戻る。


そんな生活を、ずっとしていた。


不思議と、嫌だとは思わなかった。


この時のあたしは、これが普通だと思っていたから。

嫌だと思うほど、あたしはまだこの世界を知っていなかった。


それからまた数年経ち。

荷物を積んだ馬車と共にいろいろな町を巡った。


馬車に乗っている間が、唯一の休息時間。

狼人としての聴覚、嗅覚で周囲の警戒をやらされているので、怠るわけにはいかない。


いち早く魔物や魔獣の気配を察知する。

遅れたら真っ先に魔物たちの前に投げ捨てられる。


あまり危険度が高くない場合、あたしと魔物を戦わせて楽しんでいた。

勝てる相手の方が少なかったが、殺されることはなかった。

その前に、ちゃんとした護衛が魔物を倒したから。


ここまで育ったあたしを処分するのは、もったいないと思っていたのだろう。


一層、このまま殺されてしまいたい。

そう思ったことは何度もあった。


でも気が付いたらあたしは爪で、牙で、抵抗していて。


本能で生きようとしていた。



―――終わりは、唐突に訪れた。


あの日、なにと戦わされたのは覚えていない。

必死だったから。

どれだけ必死になっても、手も足も出なくて。


周りの人間たちも慌てていたから、とても強い魔物だったのだろう。


気が付いたらあたしは荷台に押し込まれていた。


ぼんやりと、遠のいていく意識。


「ちっ、こいつももう終わりか」


最後に、聞きなれた男の声が聞こえて―――



あたしは、下水道に捨てられた。

ずっとあった痛みはもうなくなっていて。


冷たい石の感触。

汚物と、腐敗臭の混じった臭い。


なぜかそれがすごく懐かしくて。



あたしは、静かに目を閉じた―――。




次に目が覚めた時、あたしの世界は一変していた。


はじめは生き延びてしまったことに対する絶望。

これだけのことがあってなお、生にしがみつく自分に呆れたものだ。


でも、それだけではなかった。


まだその時はわかっていなかったけど、自分の中にぼんやりとある温かな光。

いつの間にか痛みが薄れていて。

怪我も徐々に治ってきた。


いくら獣人とはいえ、この怪我の回復速度はおかしい。

その時は気づいていなかったけど。


疲れて、寝て、起きたら違う場所にいた時もある。


ゴブリンを討伐し、スライムに押し流されて下水道から押し出された。


その時の、光の眩しさを今でも思い出す。


はじめてリィンと会話して。

名前をつけてもらった。


―――フリー。


名前。

その言葉の意味は知っていた。でも、それが自分に向けられるものだとは思っていなかった。

「おい!」でも、短い舌打ちでもない。


あたしだけの、あたしを示すもの。


「フリー!」


それから何度も何度も名前を呼ばれた。


正直いうと、いまだに名前を呼ばれるのは慣れていない。

嬉しさと、戸惑いがまじりあったような。


それがどういうものか、あたしはまだ理解できないでいる。


でも、感謝はしている。それだけは確か。


ただ、感謝の仕方を、伝え方をあたしは知らない。


いつか、ちゃんとこの感情を理解できたら伝えよう。



リィン、あなたがいてくれてよかった、って。



―――爆炎の華が咲き乱れ、冥府の闇を炎が奔る。


右からくるとわかっていた。

それでも体が追い付かない。

ネフティスの双剣が弧を描き、炎の奔流がフリーの足元を焼く。


跳ぶ。

そして着地と同時に左の剣でネフティスの軌道を逸らす。

火花が散って、冥府の空に一瞬だけ光が咲いた。


「惜しいね!」


ネフティスが笑いながら言った。

楽しそうに。

その声が、笑い方が、リィンに似てるなと毎回思う。

だからこそ、こうして剣を向けられるのだろう。


あたしは弱かった。

ずっと弱かった。


守られて、名前をもらって、それでもずっとずっと弱いままで。


それでいいとは、思っていない。


踏み込む。


右、左、右。

リズムを崩して間合いを詰める。

ネフティスの炎が迎え撃つように膨れ上がったが、フリーは止まらない。

熱が頬を焼く。

熱い。痛い。

それでも足を止めることはない。

恐怖がないことはない。

怖くて仕方がない。

それでも、進む理由があったから。


剣がぶつかった。


火花の中で、ネフティスが目を細めてにっこりと笑った。


「今のはよかったよ、フリー」


答えなかった。

よかった、だけだ。

まだまだだとわかっている。


剣を構え直して、静かに息を整えた。

胸の奥でなにかが燃えていた。

炎とは違う。

それは、静かな熱となってフリーの全身を駆け巡る。




―――すごいな。


と、純粋にいま目の前に立っている狼人族の少女をネフティスは称賛した。


まだまだ子供で。

本当は怖いし逃げ出したいだろう。

だけど、そんなことはおくびにも出さないで、静かに胸の内へしまいこむ。


かわりに激しく燃え盛る炎のような決意。

業火ではなく、あくまで静かに。


剣を交えるたびに成長する。

一閃するたびに鋭くなる。


これまでの境遇が、決意が、フリーの力を十全に引き出す。


それは、己自身も気が付いていない成長。


いや、成長というよりもはやこれは―――



進化、といった方がいいかもね。



自分の剣がフリーに止められた時。

爆炎が背後に流れていく。


間近でみるフリーの瞳は炎が揺らめいていて。


思わず、笑った。


魔獣には、その魔獣の上位種がいるように。

魔獣の血をひく獣人族には、上位種が存在する。


ただ、現世にいるほとんど獣人はその存在を知らぬまま死んでいく。


肉体を、魂を、限りなく鍛えて到達する獣人としての頂。


そこに、たった10歳前後の少女が到達しようとしている。


一体どれだけの人生を歩んできたのか。

どれだけの決意を秘めて、いま自分に挑んできているのか。


おもしろい。

本当に、おもしろいと思う。


だからこそ、私も応えないといけない。


フリーの決意に、想いに。


本当はただの気まぐれだったけど。

この子を鍛えている中で、私自身も成長できるかもしれない。


だってこの子の想いと、私の想いは同じだから。


剣を交差するように構える。

その刃に、じわりと炎が灯る。

ちいさな火が、みるみるうちに膨れ上がって双剣を包んだ。

熱波が辺りを包み込む。


それでもフリーは下がらなかった。


―――本当に、すごいよ君は。まったく怯えを感じない、強い目。その目、私は好きだよ。


だからこそ。


「ねぇ、フリー。受けてみて、私の技を」


フリーは、不敵に笑って応えてみせた。

だから私も、笑った。



―――――爆炎双華(バースト・フルール)



二つの炎が交差した瞬間、冥府の闇が白く染まった。

爆発が華のように広がって、熱波がどこまでも広がっていく。


この技を真正面からうけたフリーはただ灰を残すだけ。



「すごいね……」



それでも、ネフティスはフリーを称賛した。


本来は、灰すらも残さないこの技を受けて。

フリーは灰だけとはいえ残った。


それはまるで、フリーの決意の強さをそのまま表しているようで。


灰となり、焼けた空へと上がっていくフリーを、ネフティスは静かに見送った。

読んでくださりありがとうございます!

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