花散る冥府にて
「はぁ……はぁ……」
荒い息を吐き、膝をついたリィンが眼前に立つ女性を見る。
淡い藍色の装束をきた女性、イシス。
青い瞳の中に、リィンが映る。
「もう終わりですか?」
なんの感情も籠っていない、ただの確認。
「こ、の……!」
悔しさに、ぐっと奥歯に力をこめて立ち上がる。
イシスはまだ全く力を見せていない。
ほんの少し、魔力を解放させただけ。
ただそれだけで、黒い波紋が空間を伝って迫ってきた。
咄嗟に展開した障壁は、簡単に割れて衝撃が全身を揺らし、吹き飛ばされた。
「あなたの魔力操作は大したものです。ほとんど独学、いや感覚頼りだというのに。でも、残念ながら私には届きません」
二撃目がきた。
さきほどと同じような黒の衝撃波が、今度は三方向から同時に。
リィンは横に跳んで一つを躱し、残りの二つを相殺するために炎球を叩きこんだ。
炎はイシスの魔法に触れた瞬間に、爆発を起こすこともなく消えた。
燃え尽きたのではなく、存在ごと消去されたように。
まずい。
差がわかった。
ただの魔法じゃない。でも、どういう魔法なのかもわからない。
多分なにか、根本的に違う。
障壁を張ってもすぐに割られるし、攻撃してもなぜか消される。
こんなの……どうしようもないじゃない……!
だがそれでも、諦めるわけにはいかない。
止まるわけにはいかなかった。
リィンは詠唱を始めた。
長く、複雑な――
イシスは詠唱を聞き、リィンがなにを発動させるのかがわかって初めて眉をわずかに動かした。
「あなたは本当に……ですが、だからこそ残念で仕方がありません」
「残念?」
イシスは答えなかった。
代わりに、両手を大きく広げる。
その瞬間、空気が変わった。
闇の色が深くなり、イシスの周囲に無数の黒い光の粒が集まっていく。
「冥術――」
「くっ、させないから!――純光よ、悪しきものを浄化し給え。純なる浄化の光!」
冥府という深い深い闇の中に、柔らかな光が降り注ぐ。
一粒一粒に浄化の力が込められた、上位の神聖魔法。
浄化の光が、イシスを呑み込まんとより白く輝く。
「冥夢界域」
静かなイシスの声が冥界に響く。
リィンの魔法が、止まった。
雨のように降っていた光の粒がすべて静止している。
イシスを中心に黒い光の奔流が舞い上がり、光の粒を一つずつ消していく。
術式が解体されていく。
ただ壊されているのではなく、術式そのものを削り取っていくような。
こんなの、どうしょうもないじゃない……。
黒い光の奔流がリィンにも迫る。
咄嗟に、障壁を展開するがなんの障害にもなっていない。
光の粒と同じように、消されていく。
黒い光が、リィンの体に触れた。
冷たくはない。熱くもなかった。
指先が、消えていく。
痛みはない。
感覚が消えるのではなく、存在していたという事実が薄くなっていくような感じだった。
右手が見えなくなった。
そのまま左腕が。足が。
身体が消えていく。
最後まで残ったのは視界だけ。
イシスが見えた。
青色の瞳が、最後の瞬間までリィンを見ていた。
やがて視界も、黒に染まり―――
リィンは光と共に塵となり消えていった。
―――同時刻
金属と金属のぶつかり合う音が闇に響く。
最初の激突は、挨拶のようなものだった。
フリーは後ろに跳んで距離を取り、二本の刃を構え直した。
手のひらに、痺れが残っている。
重い。
紅い装束をきた女性、ネフティスがゆっくりと歩いてくる。
その双剣の刃に、橙色の炎が這い始めた。
ちりちりと、生き物のように。
熱気がここまで届いた。
乾いた、焦げるような匂いが周囲に立ち込める。
「ふふ、逃げないの?」
ネフティスがいった。
遊んでいるような、楽しそうな声色で。
「逃げてどこへ?」
「だよねー。じゃあ、まだまだ遊ぼうね」
踏み込みは、見えなかった。
気づいたときには目の前に炎があった。
フリーは咄嗟に右の刃で弾いた。
火花が散り、熱が顔を焦がす。
続けて、左から薙ぎが来る。
右足を軸に回転して躱し、すれ違いざまに逆袈裟を叩きこんだ。
手ごたえはあった。
だが、ネフティスは止まらなかった。
軽く体を傾けて刃を逃がし、振り向きざまに横薙ぎ。
フリーは両刃を交差させてうけた。
炎が腕をかすめていく。
焦げた匂いが鼻につく。
速い……。そして、重い。
しばらく2人は動き続けた。
フリーを身体強化を全力で発動させ、足を使い、距離を取り、かと思えば一気に踏み込みリズムを崩そうとする。
だがネフティスは悉くそれを避ける。受ける。
動きが激しくなるたびにじりじりとネフティスが纏う炎の温度も上がっていく。
最初は橙色だった炎が、白に近い黄色になっていた。
剣を受けるたびに、腕への負荷が増した。
炎が刃を伝ってくる。
柄を握る手が熱い。
じかに触れたわけではないのに、皮膚が引き攣るような感覚があった。
「いいねいいね!どんどんよくなってるよ!」
全く息が乱れていないネフティスが、楽しそうにいう。
「ほめ言葉として受け取っておく」
努めてぶっきらぼうに答えたつもりだったが、息が荒い。
呼吸するたびに熱された空気が肺を焼く。
「そのつもりで言ったよ!」
身体強化を全力で発動させた自分よりも速い、超速の踏み込み。
炎が、まるで翼のようにネフティスの背中から噴き出している。
今度は連撃だった。
右、左、右右、左―――リズムが読めない。速すぎる。
ほとんど勘で弾き、躱し、刃と刃の隙間をぬって何度か反撃を差し込んだ。
二度、三度は確かに当たったはずだ。
だがネフティスはひるまない。止まらない。
逆に押し返された。
足が流れ、体勢が崩れた。
その瞬間を、ネフティスは見逃さなかった。
炎の刃が、フリーの左腕を切り飛ばした。
切られた瞬間から焼けた。
声がでそうになるのを、奥歯を噛んで堪えた。
まずい……!
両刃そろっていてようやく防げていた連撃。
片腕だけで防げるはずがない。
ネフティスはそれがわかっているように、フリーの左側を攻めたてる。
防ぐために腕が悲鳴を上げる。
躱すたびに体の反応が遅れていく。
躱せない……!
そう判断したフリーは、残っていた一本の刃で迫る炎剣を受け止める。
だが、刃は粉々に砕け散りフリーの肩から左わき腹にかけて大きく切り裂かれる。
襲ってくる痛みと焼ける熱にたまらず膝をつく。
炎が正面に立つ。
ネフティスが、双剣を下ろして立っていた。
炎はまだ刃に残っていたが、穏やかな橙色に戻っていた。
「楽しめたよ、フリーちゃん。まだまだ私には及ばないけどね!」
ネフティスが笑顔で刃を振りかざす。
「次は……負けないから」
返答はなく。
笑顔のネフティスは刃を振り下ろす。
フリーの持っていた刃が落ち、乾いた音がした。
炎が静かに消えた時、黒い煤が闇の中に舞い上がっていった。
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