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アリーヌは昨日イヴェットから借りた三冊の本の他に、ショールやひざかけやふかふかのクッションも庭のガゼボに持ち込んだ。
自分の部屋に留まってもよかったのだが、せっかくの快晴だったし、どうせなら風を感じたかった。このローゲも彼女が生まれ育ったフォルニートもこの後徐々に、冬に向かって寒くなる。だから暑くもなく寒くもないちょうどいい空気の中で過ごすのは、今しかできないとても贅沢な時間なのだ。
アリーヌは使用人に少々わがままを言って、屋敷の廊下に置かれていたカウチをガゼボに運んでもらった。シルヴィからこのカウチは最高に座り心地がいいということを聞いていたし、眠くなったら横になって昼寝もできる。
アリーヌはさっそくカウチに腰を下ろし、本をぺらぺらとめくり始めた。借りた三冊の中でどれを読むかを決めるために、目次や各章の題などに軽く目を通した。詩集、冒険奇譚、そして恋愛小説のうち、アリーヌは恋愛小説を読むことにした。これがいいと選んだのではなく、他の二冊にあまり興味を引かれなかったのだ。
アリーヌが選んだ小説は女性向けの恋愛小説としてはありがちな設定だったため、彼女は物語の冒頭の段階からいきなり心をわしづかみにされたわけではなかったのだが、読み進めるにしたがってだんだんとこの小説の世界に引き込まれていった。
読み始めてどれくらいの時間が経ったのか夢中になって読み進めていたアリーヌには分からなかったが、第一章を読み終えた時、彼女はしおりを挟んで本を閉じ、それをわきに置いてから
「ん――――――っ」
と大きく背伸びした。
気分転換代わりにアリーヌは姿勢を変えることにした。今までは普通に背もたれに背中を預けて座っていたのだが、靴を脱ぎ、片方の端だけにあるひじかけ部分にクッションを当て、それにもたれてゆったりと足を投げ出した。
アリーヌはもう一度背伸びをしてからひざを折り曲げ、傾斜がついたふとももに本を置き、読書を再開した。
彼女はしばらくそのまま読み進めていたのだが、どこからか靴音が聞こえてきたため顔を上げた。見ると、ラザールがこのガゼボに向かって歩いてくる。
ラザールの姿を認めた時、アリーヌは気まずさからどきりとした。最終的には仲直りしたものの、昨晩彼と喧嘩してしまったし、それ以来彼と二人きりになるのはこれが最初だったからだ。ラザールとは朝食の席で一度顔を合わせたけれども、その時にはシルヴィやイヴェットや彼の二人の友人も一緒だったから、今のような気まずさは抱かなくてすんだ。
何て話しかければいいかしら……?
そのことに意識が向いてしまったアリーヌはしおりを挟むことまで気が回らず、本を閉じながら体を起こし、靴を履いた。
アリーヌがそうしている間にラザールはこのガゼボに到着し、一歩一歩ゆっくりと彼女のほうへ近付いた。
ラザールはアリーヌが見慣れた穏やかな笑みを浮かべていたから、彼女は何となくほっとした。
「お医者様の診察は終わったの?」
ラザールの顔を見上げてアリーヌは訊いた。自然な感じで彼に話しかけることができて、緊張でいつもより少しだけ硬くなっていたアリーヌの体から力が抜けた。
「ああ」
ラザールはアリーヌの前に立ち、先ほどまで彼女が足を投げ出していたひじかけがないほうの側のカウチの端をちらりと見やった。
彼は再び視線をアリーヌに戻した。その瞳が彼女の許可を求めていたので、アリーヌは
「どうぞ」
と自分の隣の空いた部分に向かって彼女の左の掌を向けた。
「ありがとう」
ラザールはそう言ってアリーヌの横に腰を下ろした。
ここまでの彼と自分のやりとりの中にはぎこちなさのようなものは見当たらなかったから、アリーヌはそっと安堵の息をもらした。
彼女は顔を横に向けて隣に座っているラザールを見た。
真面目な彼は彼と自分の間に人一人座れそうなくらいの空間を空けていた。
礼儀正しいラザールらしい行動だとアリーヌは笑みを誘われたが、同時にその距離が寂しかった。イヴェットとスヴェンのように、また、シルヴィとニコラスのように、互いの体の間に少しの距離も置きたくないというような情熱は、やはり自分たちにはないのだ。
アリーヌがラザールに手を伸ばせば、あるいは彼がアリーヌに手を伸ばせば、二人は相手の体に触れることができる。手を伸ばせば届く距離だ。
ところがアリーヌは、特別な理由がない限りラザールが自分に手を伸ばすことなどあり得ないということを知っていた。彼がそうしない以上、女であるアリーヌのほうから手を伸ばすことははばかられた。アリーヌはそういった教育を受けてきたし、ラザールにはしたない女だと思われることも避けたかった。
ああ……、私たちは一生この距離感のままなのかしら……?
結婚したらそうではないかもしれない。未来にはこの距離が縮まるということもあり得るのかもしれない。
しかし、少なくとも結婚前にこの距離が埋まることはないのだろう。
そんなことを思うと何だか急に切なくなってしまって、アリーヌの鼻の奥がつんとした。
「医者からもう普通どおりの生活を送っていいという許可が下りたよ」
嬉しそうにラザールが言ったから、アリーヌは慌ててこくこくとうなずいた。
「よかったわね」
「ああ。ところでアリーヌ、昼食はもうすませたのか?」
「ううん。もうそんな時間?」
「とっくに正午を回ったよ」
「そうなの!? 本を読むのに夢中だったから、全然気づかなかったわ」
ラザールと話しながら、アリーヌはほっとした。否応なしに自分の心情ではなく彼との会話に意識を集中させなければならないからだ。感情が湧き上がったアリーヌから彼に話しかけることはできなかっただろうから、彼のほうからいろいろと話してくれたことがアリーヌにとっては救いだった。
「昼食はここに運ばせようか?」
「いいわね」
食堂に行って食べてもいいのだが、屋外で食事をするといつもとは違った気持ちになれる。アリーヌはラザールの提案に賛成した。
「じゃあ、少し待っていてくれ」
ラザールは立ち上がり、ガゼボの外へ出て、そこで手を数回叩いて使用人を呼んだ。駆けつけた侍女に食事の用意を言付けた後で、ラザールは再びアリーヌが座るカウチへと戻った。
「何の本を読んでいたんだ?」
「えっ……」
ラザールに問われ、アリーヌは言葉に詰まった。
あのね、主人公の女の子はとある国のお姫様なんだけど、北の国の王子と南の国の王子二人から求婚されるの。どちらの王子も魅力的だから主人公のお姫様はなかなか決めることができないのだけれど、彼女がどちらを選ぶのかまだ分からないから、読んでいてとってもおもしろいの。
頭の中ではすらすらと答えることができたのだが、それを口に出すことをアリーヌは躊躇してしまった。
読んでいておもしろいのは確かだが、改めてあらすじを考えてみるとアリーヌ自身でさえも陳腐だと思ってしまったし、きっと彼はこういった女性向けに書かれたお話には興味も共感も示さないだろうと思ったのだ。
また、ただでさえアリーヌは姉に『夢見る夢子さん』だの『幼い』だの散々言われている身なので、今年14歳と13歳のラザールの妹テレーズとソレーヌならともかく、彼よりも年上の自分がこういった典型的な女性向けの小説を夢中になって読むなんて、ラザールに呆れられるのではないかと想像すると怖かった。
「あ……ありがちなお話よ」
彼女は話のあらすじをラザールに説明するのを何とか回避したかった。
アリーヌが本の内容を教えてくれないので、会話がそれ以上膨らまず、ラザールとしてもなかなか返答に困った。
「そうか。……おもしろい?」
「………うん」
この本をおもしろいと思っているのは確かだから、アリーヌは素直に肯定した。
けれどラザールは戸惑った。彼女の『ありがちなお話』という言葉から肯定的な評価ではないことを連想するのに、アリーヌはこの本をおもしろいと思っている。ラザールにはそれが矛盾しているように思えて、軽く混乱してしまった。
ぎこちない空気が二人の間に流れた。二人は敏感にそれを感じとり、互いにこの得体の知れない気まずさを払拭するための話題を必死に探したが、二人の内面での努力は空回りしてしまった。
結局、二人は昼食が運ばれてくるまで沈黙の中で過ごした。




