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昼食を食べている間も二人は何となく相手に話しかけることができなかったのだが、それでも昼食前の沈黙よりはいくぶんましだった。目の前に並ぶ食べ物を口に入れ、咀嚼し、飲み込むというするべき作業があったからだ。
食後のお茶を飲みながら、とうとうラザールが沈黙を破った。
「アリーヌはこの後何をするんだ?」
彼のほうから話してくれて、アリーヌはほっとした。
「特に考えてないけど……」
「じゃあ、また読書の続き?」
「……そうね」
他にすることもないので、そうするのが無難だろう。
「ラザールは?」
とアリーヌは訊き返した。
「う~ん、俺も本を読もうかな。少し前まで試験期間だったから、読みたい本を読む時間がなかったんだ」
「そう」
アリーヌは相槌を打ちながら、ラザールにとっての読みたい本とは一体何なのだろうと考えた。きっとアリーヌには理解できないいかにも高尚で難解そうで真面目くさった、法律とか経済に関する本だろう。
そんなことを考えたアリーヌは、ますます今自分が読んでいる小説の内容をラザールに話して聞かせることなどできないと思った。
ラザールはカップを傾けてお茶を飲み干すと立ち上がった。
アリーヌはふと、彼は自分の部屋に戻って本を読むのだと思った。別に根拠があってそう思ったわけではない。ただ何となくそう感じたのだ。何かを一緒にするのならともかく、本を読むのなら、二人が同じ空間に留まる理由はないからだ。
アリーヌとしては彼と一緒でもそうでなくてもどちらでも構わない。彼が隣にいると気になってなかなか本に集中できないというわけでもない。
ただ、心のどこかで、ラザールもここにいてくれたらいいのに……、と思う気持ちはあった。アリーヌはラザールに会うためにローゲに来たのだし、婚約者とのせっかくの時間なのだし、せっかく同じ場所にいるのだから。なのに別々の場所で読書だなんて、ちょっと味気ない気がした。
しかし、これはアリーヌの気持ちであって、彼もそう思ってくれる保証はどこにもない。むしろ、自分とラザールの気持ちが同じである可能性なんて限りなく低いだろうとアリーヌは推測した。本を読むならラザールは一人になりたいのではないかと思った。ラザールが神経質だとは思わないが、何となく彼の性格からして、彼はアリーヌがいると気が散るとか思っていそうだ。
「じゃあ、俺も部屋に戻って自分の本を取ってくるよ」
ラザールはアリーヌの反応を待たずにさっと背を向け、屋敷のほうへ歩き出した。
だから、アリーヌが思わず
「…………え?」
ともらしてしまった声は、彼の耳には入らなかっただろう。
ええっ!?
『取ってくる』……、ラザールは『取ってくる』って言ったわよね?
ということは、ここに戻ってきてくれるの?
アリーヌが自問していると、ラザールに命じられたのだろうか、三人の侍女がやって来て、テーブルの片づけを始めた。
アリーヌは彼女たちの邪魔にならないよう椅子から立ち上がり、食事前まで座っていたカウチへと移動した。
ふかふかのクッションをぎゅっと抱きしめながら、もしラザールもここで本を読むなら、ラザールもクッションを使いたがるかも……? と思ったアリーヌは、三人の侍女のうちの一人にどこかからもう一つクッションを持ってくるよう頼んだ。
テーブルを片づけていた二人の侍女はてきぱきと仕事を終え、ラザールとアリーヌが使った食器を重ね、テーブルの表面をきれいに拭き、屋敷の中へと消えていった。彼女たちと入れ替わるようにもう一人の侍女がアリーヌの依頼どおりクッションを持ってきてくれた。
アリーヌが礼を言ってそれを受け取っていた時に、ラザールが戻ってきた。
侍女がアリーヌとラザールにお辞儀をし、下がると、アリーヌはクッションを自分の横に置いた。
アリーヌはそのクッションと自分が今使っているクッションとの間を少し離すことを忘れなかった。きっと彼はこの隔たりを必要とするのだろう、アリーヌはそれを必要としないけれど。
本当は何気ないふりをして自分のクッションのすぐ横に少しの隙間なく彼のクッションを並べることができたならいいのだが、アリーヌがそうした後で彼がわざわざ彼のそれを引っ張って二つのクッションを引き離すのを見たら、きっとアリーヌはもやもやしてしまう。自分が拒否されているように感じるだろうし、少なからず傷つくだろう。そんなに私とはくっつきたくないの!? などと彼に対して感情的になってしまうかもしれない。
そんな自分をラザールに見せるのは嫌だとアリーヌは思った。自分のほうが年が上なのだから、自分のそんなみっともないところを年下の彼に見せてしまうなんて情けないことだ。
だからアリーヌはあえて自分と彼のクッションを初めから離して置いた。
ラザールはアリーヌの予想どおり何も考えていない様子で
「ありがとう」
と言ってからカウチに座り、さっそくクッションにもたれかかった。
「何についての本?」
「歴史書だよ、オリヴィール一世に関する」
「そう」
ああ、そういえば、ラザールは昨日もこの本を読んでいたわね。
法律とか経済に関する本というアリーヌの予想は外れたが、娯楽というよりは真面目な本という点では当たらずも遠からずといったところだろうか。
やっぱり私が読む小説の内容なんて、彼に話さないほうがいいわ。
アリーヌは心の中でそう呟き、先ほど彼に小説のあらすじを話さなかったことは正しかったと思った。
ラザールはさっそく本を読み始めたので、アリーヌもひじかけに立てかけておいた読みかけの本を手に取った。
余計なことは何も考えずに、今は本の世界に浸りたいわ。
このお話のお姫様がどちらの王子を選ぶのか、そのことだけを考えたい。
そう思ったものの、昼食前とは違って、アリーヌはなかなかうまく読書に集中することができなかった。どうしてもラザールとの距離のことが気にかかって、そのもやもやが頭から離れてくれないのだ。
アリーヌがそっと物憂いため息を逃すと、まるでそれを遠くへ運んでくれるかのようにふわりと風が吹いた。熱くも冷たくもない、心地いいそよ風だった。
今は秋だ。アリーヌは秋が好きだった。夏は暑すぎるからあまり好きではないし、冬は寒いから苦手だ。けれど秋はほどほどに暖かく、時に涼しく、収穫の季節で食べ物もおいしいから、アリーヌは花が咲き乱れる春と同じくらい秋が好きだ。
アリーヌは夏に対して暑いとか明るいとか楽しいといった印象を持っている。
冬に対しては、寒いのはもちろんのこと、寂しさとか孤独を思い浮かべてしまう。
今のアリーヌの心境は、まさに真逆の性質を持つ夏と冬を取り持つ秋のようだった。
ラザールとこうして近くにいられることはほんわかと嬉しいけれど、アリーヌと彼にはシルヴィとニコラス、イヴェットとスヴェンのようなうだるような熱はない。だからアリーヌの心は、真夏の太陽のように明るく輝くことはない。
かといって冬のように完全に冷えきっているわけでもない、それは救いなのかもしれないが。
けれど秋の夕方のような、心がざわざわざするような何とも言えない物悲しさはやはり存在している。
日の入りが近付く時間帯の秋風は急に温度が下がって、そんな風に吹かれると、アリーヌはぶるっと震える。そんな時、彼女は自然から警告されているような気分になるのだ、もうすぐ冬が来るから寒さに備えなさい、と。
冬へと向かっていく秋のピリッとした冷たい空気は、アリーヌがラザールとの関係において抱く感覚とどこか似ている。
気をつけて。きっとあなたの望みはかなわないから、彼に期待しすぎてはいけない。彼に期待するとあなたの失望を招くことになるかもしれない。そうなったら、つらいのはあなたなのよ。
誰かにそう注意されているような、あるいは自分が自分に言い聞かせているような、普段は楽観的なアリーヌでさえ忘れることができない緊張感がいつも彼女の胸の中心に陣取っている。
今はまだ太陽が空を支配しているおかげで、アリーヌの髪をそっと揺らす風は優しい。しかしこれから数時間後には、彼女の心の一番こわばった部分とよく似た冷たい空気がローゲの街中を包み込むのだ。
それを知っているからこそ、アリーヌは目を閉じた。自分が今感じる穏やかな風を堪能したかった。
アリーヌは手に持っていた本を自分のひざの上に置き、全体重を背中のクッションにかけ、心地よい風の感覚をつかまえることだけに集中した。




