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蟲愛でる姫君と蟲の王子  作者: たま
第二章
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王女の求婚

(4)


 アレクサンドルの最もふるい記憶は小さな小屋の中に集約されている。窓は少なく、家具も少ない部屋の中にはひとつの戸棚と机、それに小さなベッドが二つ並んでおいてあるばかりだった。

しかし細々としたものは戸棚にぎゅうぎゅうに並べられていた。白い布に包帯、小瓶に詰められたたくさんの薬に干された薬草。それらはすべて魔女が持ち込んだものだった。

魔女は、この小屋に居るアレクサンドル以外の唯一の人だった。ちいさなアレクサンドルが痛みやかゆみに泣き喚くとすぐに抱きしめてあやしてくれた。その頃のアレクサンドルの感覚は常に痛みと痒みと不快感で覆われていた。今にして思うとそれは「蟲の病」に蝕まれていたからなのだが、その頃の自分は常に襲い来るそれらに泣き喚くことしかできなかった。さぞかし五月蠅く、煩わしい子供であったろう。全ての皮膚は蟲の殻が幾重にも折り重なったような気味の悪い有様だったが、それが出来る過程には強い痒みが伴う。我慢できずにかきむしるとそこからは腐臭のする液体が流れだし、他の皮膚をさらにかぶれさせる。

腐臭のするアレクサンドルをなんの躊躇もなく抱きしめ、頭を撫で、辛抱強く皮膚を洗い、薬を塗り続けたのは南の魔女ただ一人だった。アレクサンドルの記憶の中の南の魔女は少しも嫌な表情などみせなかった。ただ、時折悲し気な顔を見せることはあった。どうしたのかと問うと、私に魔法が使えればそのご病気を治してあげられたでしょうにとぽつりとこぼした。そうして言った。南の魔女は名ばかりで、私に魔法なんてひとつも使えないのですよ、と。

しかしアレクサンドルは南の魔女がひとつだけ不思議な力を持っていることを知っていた。痒みのあまり眠れずに泣きじゃくりながら南の魔女の膝にすがっていた時のことだ。泣き疲れ、痒みに眠りを邪魔されながらもうつらうつらと夢のふちを彷徨っているとちいさな、ちいさな歌が聞こえてきたのだった。いつも歌ってくれている子守唄とは違う、言葉ではない唯の音。瞳をあげると、南の魔女がアレクサンドルの頭を優しく撫でながらも外に向けて何かを歌っていた。

わずかな月の光に魔女の新緑の髪が、白い肌が青みをおびてひどく神聖なものにみえる。ぼうっとそれを眺めていると、きちきちと妙な音のする生き物が窓から飛び込んできた。つるりとした丸い殻に透明の羽が4枚生えた蟲だった。魔女は安堵した風に微笑みアレクサンドルを撫でていない方の手を差し出すと、手のひらほどにも大きな羽の生えた蟲は羽を収めて大人しくその手におさまった。

それは何かと問うと、魔女は驚いたように青い瞳を見開いた。そうしていくらか言いよどんだ後、この蟲の出す粘液が「蟲の病」の唯一の薬であることを教えてくれた。魔女はどこか怯えたようにアレクサンドルを見ていた。何故かはわからない。アレクサンドルは不思議に思いながらもその蟲の名はなんというのかとか、自分も蟲に触ってみたいとか駄々をこねた。その様子に魔女は安堵したようすだったのも何故だかはわからなかった。


 ふとそのようなことを思い出したのは、かすかに聞こえてきた歌の所為だった。アレクサンドルは窓の外に瞳を向ける。小さな小さな言葉のない旋律。風に紛れてしまいそうなその歌い方には覚えがあった。

 アレクサンドルはかすかに宝石色の瞳を細める。しかし。


「アレクサンドル様?」


 眼前からの声に視線を戻すと、そこには深紅のドレスを美しく着こなした黒髪の少女の姿がある。ソファに浅く腰掛けた少女はかすかに首を傾け、そうして凛とした声を出した。


「どうかなさいまして?」

「いや」


 アレクサンドルは先ほどの疑念を悟られぬように唇を笑みの形にして両手の指を組んだ。


「シャルロット王女、貴殿の申し出にいささか驚いてな」

「ええ、ええ、そうですとも!」


 それに答えたのはアレクサンドルの背後に立つ宰相であった。宰相は丸い顔に喜色を浮かべてシャルロットとアレクサンドルを交互にみやった。


「まさかアレクサンドル王子にランゴバルトの王女殿下から求婚だなんて!」

「驚くことではありませんわ。アレクサンドル様が大変素敵な殿方であられることはもう多くの国に知れ渡っておりますもの」


 それに、と軍事国家の王女殿下は愛らしく微笑んで敵対する王国の王子の瞳をうっとりとみつめた。


「まさか私の国を打ち負かしたアレクサンドル殿下が噂以上にお美しいかただなんて思いもしませんでしたわ」


 慣れきった賛辞の言葉にアレクサンドルは黙って笑みで答えた。人間は骨と肉と、その上に被さった皮で出来ている。「蟲の病」を克服し完治したあとの皮は周りのものに非常に評判が良いことをアレクサンドルは熟知していた。

 微笑んだままテーブルの上に広げられた羊皮紙を手に取る。それは目の前の少女が持参したもので、まぎれもなくランゴバルト国王の調印がなされていた。これにより目の前の姫君は単なるお客人でなく外交の意図を持っていることが示されたのだ。

 宰相がきらきらとした瞳で自身を見ていることを感じながら、アレクサンドルは右手で銀糸の前髪を軽く払った。その拍子にアレクサンドライトをはめ込んだ耳飾りがしゃらりと揺れる。


「シャルロット王女」

「はい」


 素直に答える少女に蕩けそうな笑顔のままアレクサンドルは続けた。


「わざわざ足を運んでもらって悪いのだが、私は大変忙しい身でね。なにせ貴国との戦後処理が山のように残っている。故に、回りくどい賛辞は抜きにして話をさせてもらおう」

「……ええ」


 あまりもの直球の言葉に宰相が顔の色を無くしているのを感じながら、アレクサンドルは羊皮紙をひらりと示してみせた。


「この話はランゴバルト王国からの休戦協定と受け取ってもよいのだろうか」

「ええ」

「国王からの」

「はい」

「では、貴殿の兄王子の意志はそこにあるか伺いたい」

 

 アレクサンドルの言葉に、少女の美貌が一瞬硬さが走る。それは本当に瞬きもの間の変化だったが、アレクサンドルには十分な答えであったし、またシャルロットにとっても重大な失策であった。


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