黒灯台の店
すっきりとした晴れ空の下、キャロルは呆然としたまま白い街の中を歩いていた。
夜が空け、一度は家に戻ろうかとも考えたが、昨夜の『レニ』と『ハルト』の事を考えると、どうしても家路への道が重く、足が進まない。
「喉…痛い……」
毛皮のマフラーで隠した喉にはくっきりと禍禍しい痕が残っている。声帯も少し傷付いたのか、声も心なしか枯れている様に感じる。
ハルトからの警告は聞いていたが、まさか、『排除』という言葉をあれ程までに忠実に実行するとは思ってもいなかった。
(私、考えが甘過ぎたんだ。守るって言ったのに、私がレニに守られてちゃどうしようもない)
初めて出会った時のレニの言葉が頭を過ぎる。
レニの中のもう一人の人格はとても残酷で自分自身でも止められないと言っていた。
その『ハルト』からレニを守るために特S級狩人のサポーターになる事を決意したのにも関わらず、昨日、キャロルがした事は、レニを突き放し、悲しませ、危険に巻き込んだ挙句の果て、『死』の恐怖に駆られ、逃げ出しただけだ。
ふと何気なしにコートの内ポケットを探るとキャロルは「あ……」と声を上げた。
「はは、カード捨てちゃったままだ」
そして深い溜息を付くと首を横に振った。
「私だめだ。本当、アイツの言う通り。レニには釣り合えないな」
冷たい風を頬に受けながらキャロルが辿りついた先はヴラドが店主を務める黒灯台の店前だった。
「頼る所なんて私にも全然なかったんだ」
今思えば小さい頃から憧れ続けた外からの夜空を見るために十六でこの場所に出てきてから五年、頼れる知り合いは誰一人として居ない。
唯一、レニという妹のような存在が出来たが、今はその家にも帰れず行き場を失った状態だ。
白い息を吐くとキャロルは目の前の店の扉を開いた。
カウンターに大きな暖炉。客も居ない部屋の中は静かな静寂に包まれていた。窓から注ぎ込む朝日に照らされた塵や埃がキラキラと光り輝いている。
「おや、キャロル。どうしました?」
心を和ませる男の声に振り向くと、店の奥の住居スペースから、ドアに備え付けられた来客を伝える鈴の音でヴラドが顔を出していた。
「えっ! あっ、あの……」
にこにこと微笑みながら出てきた背の高い狩人を見るなり、キャロルの目から必死で堪えていた涙がポタポタと零れ落ちる。
「キャロル?」
「あの…私、行く所がなくて…」
急いで袖で涙を拭うとキャロルは精一杯の笑顔をヴラドに向けた。
「行く所? あなたはブラックホースと一緒の家に住んでいらっしゃるのでしょう?」
「えっ? 何でそれ……」
「ほら、あのブラックカード。アレを持つには狩人と補助士が一つ屋根の下で暮らしている事も条件の一つですから……」
「あっ……そう……だったんですか」
改めて自分の勉強不足を思い知らされる。
「あまりブラックホースと離れ離れになってしまうと許可証剥奪されちゃいますよ。あのカードの取得には結構苦労しましたでしょう? 結構難題な条件も含まれていますからね」
「アイツ、そんな常識ないから。役人脅してごり押しって感じだったから……」
「彼らしい」と微笑むヴラドの顔にどっと押し寄せた安堵感でキャロルの瞳から再び涙が零れた。必死で押し留めようとしても次々と流れ出る雫は止まる事がない。
「おやおや。どうしました? そんなに泣かれては困ってしまいますよ」
「ごめ……なさい。安心して……。本当に……怖くて……」
不意に肩が優しく叩かれ、キャロルは顔を上げた。目の前には穏やかに微笑む男の顔がある。
「取り合えず、ここは寒いですから暖炉の側に行きましょうか。暖かいホットチョコレートでも飲めば落ち着きますよ」
落ち着いた物腰の大人のオーラに心が少しずつ和らいでいくのを感じながらキャロルは赤々と燃える暖炉の前のテーブルに座る。
「今持ってきますからね」
そう伝え、奥の部屋に消える事数分で、ヴラドは暖かな湯気が揺らぐホットチョコレートを彼女の前に置いた。
「そのマフラー、お預かりしましょうか。外と同じ格好だと風邪をひいてしまいます」
紳士的にマフラーに手を掛けた瞬間ヴラドの手が止まり、キャロルはハッとして首に巻くマフラーを両手で押さえた。
「…………」
「その痣は?」
「はは、私、アイツに…あの、その、娘に酷い事言って…アイツと喧嘩して……自業自得なんですけど………」
作り笑いでキャロルは背を丸めた。
「ブラックホースの娘ですか? 噂では聞いてますけど…本当に子供が?」
マフラーを締め直しながらホットチョコレートを一口啜り、キャロルは頷いた。
「すごく素直で純粋な子なんです。本当に今まで生きて来た中で見た事がないほど可愛くて……死んでしまいたい程辛い過去があってもずっと笑顔を絶やさないいい子なのに、私、その子を突き放すような事言っちゃって」
昨日見たレニの顔が忘れられずにキャロルは再び声を震わせた。
「その子に謝るために家に帰っても……もし、またハルト怒らせたら、あの子が傷付いちゃうし……私本当にどうしたら……」
「キャロル」
「えっ? あっ」
対面する椅子に座ったヴラドに震える手を握られ、キャロルの肩が小さく跳ねた。
大きな手の暖かい温もりが鼓動を早くさせる。
「時が解決してくれるのを待ってみたらどうですか? そうすれば彼の心もいずれは落ち着きを取り戻すでしょう」
「あのっ…でも、」
「噂の域を出ませんが、ブラックホースは何よりも娘を大切にしていると聞きます。彼がその子を守るためにした行動ならば……あなたはしばらく彼の前に現れない方がいい。彼の娘への執着は……あなたが一番知っていることでしょう?」
その答えに違和感を覚えキャロルは顔を上げた。
(何…だろう…ちょっと意外な言葉だった気がするけど……)
しかし、眼鏡の奥の優しい瞳がすぐにその違和感を一瞬で掻き消してしまう。
「そう…ですね。時間が解決してくれるでしょうか?」
「最善の方法を考える時間は必要でしょう?」
そう言うとヴラドは「そうそう」と続けた。
「あなたが、よろしければ空いている部屋をお貸ししますよ」
「えっ! いやっ! そんな! 悪いですよ! そんな…ホテルを借り………」
しかし、キャロルはそこで気付いた。
前からの癖で彼女の財布の中はいつもスカスカだという事に。
五百万という給料も貰ったには貰ったが財布の中には一万ちょいしか入れていない。それでも今までの自分に比べるとかなりの金額だが、その半分は昨晩の宿代で消費してしまった。
ブラックカードでもあれば金には不自由しなかっただろうが、今はカードも無く、またあったとしても『ハルト』の口座から断り無しに勝手に金を下ろす気もない。
「大丈夫ですよ。あなたをどうこうする気はありません。少し私を手伝って下さればそれなりの報酬も………」
「報酬なんていりませんよ! そんな! お世話になるのに…」
不意に何かに気付いたのかキャロルは顔を真っ赤にした。
「ふふ、決まりですね。大丈夫。私はあなたのようなか弱い女性を狩りに連れ出す気はありませんから。そうですね。とりあえず受け付け嬢でもしていただきましょうか」
「は、はい。私でよければ喜んでやらせていただきます」
反射的に席を立ち上がるとキャロルは勢いよく一礼をした。
「いいんですよ。あなたにお世話になるのは私の方ですから」
そう微笑むと彼は小さく「あなたの価値にね」と呟いた。
「え?」
「いいえ、万能のブラックホースも、女性の価値は見出せないんだな。と思いまして」
初めて触れた男性の優しさにキャロルの顔は再び真っ赤に染まった。




