断片的な脅迫②:氷の姫君、約束する
時刻は午後十時。
先輩は家に帰らず、未だぼくの部屋にいた。
勿論、いてもらって構わない。
何なら、このまま泊って行ってくれてもいい。
いや、泊って行ってほしい。
そう思えるほどに、ぼくは現状を気に入っていた。
だから、考える。
この生活の根底には、先輩の『秘密』がある。
そうでなかったとしても、先輩の秘密は守られなければならない。
そのために、気をつけなければならないことがある。
このことに、先輩は気づいているのだろうか。
割と天然じみたところのある人だ。
気づいていない可能性もある。
でも、もしかしたら――。
気づいていながら、敢えて言葉にしていないのかもしれない。
ぼくを傷つけないために。
だったら――それは、ぼくから言及するべきだ。
「先輩、ちょっといいですか?」
ぼくが呼びかけると、先輩は手元の本から視線を外し、こちらを見た。
読書に夢中になっているのを邪魔してしまったようだ。
それでも、ぼくは言葉を続ける。
「少し、話しておきたいことがあるのですが」
「……分かりました。うかがいます」
先輩は、文庫本を閉じてソファーの上に置いた。
そして、身体ごとこちらを向く。
これから真面目な話をしようとしていることに気づいたのだろう。
「先輩にお願いがあります」
「はい、なんでしょう?」
「学校では、ぼくに話しかけないでほしいのです」
「……え?」
先輩は、一瞬だけ眉根を寄せた。
言葉の意図が伝わっていないようだ。
まぁ、それは想定内――というより、予想通り。
ぼくは説明をする。
「これは、先輩の秘密を守るために必要なことなのです」
「どういうことですか?」
「ぼくたちの関係は、なんでしょうか?」
「……友達?」
あれ、この人、ぼくのことを友達だと思ってくれているの?
てっきり、部屋を使わせてくれる便利な他人程度にしか思われていないと思っていたのに。
「客観的に見れば、ぼくたちは『学校の先輩後輩』という関係です。更に言えば『学校のスター』と『地味な陰キャ』です」
「陰キャ……」
「意味は分かりますか?」
「ええ」
そう言えば、秘密の部屋には、ライトノベルも沢山ある。
そこには『陰キャ』について扱ったものも多い。
当然知識としては知っているのだろう。
「つまり、ぼくたちは正反対と言っていい。そんな二人が親しげにしていたら、怪しまれることになります。そして、どうしてそうなったのか――その『原因』を探られることになります」
それは、秘密の露見につながりかねない。
先輩にとって、もっとも避けなければならない事態だ。
「だから、学校では極力、接触しないようにして欲しいのです」
「……分かりました」
ぼくの提案に、先輩は応じた。
そして、申し訳なさそうに言葉を続ける。
「あの、佐藤さん。ご迷惑おかけしてしまい――」
「気にしないでください」
「でも――」
「そう思うのでしたら、この家でもパリッとしていてもらえませんか?」
「パリッと?」
先輩は、小首をかしげる。
この人、仕草がイチイチ可愛いなオイ。
「何だか、優雅なお嬢様のイメージが崩れそうになっていて……」
「それは崩壊させてしまってください」
「いいんですか?」
「はい。アナタには、本当の私をさらけ出すことが出来ます」
先輩は、軽く微笑みながらそう言った。
氷の女王の微笑み――破壊力は抜群だった。
危ない、危ない。
危うく、心を奪われそうになるところだったぜ。
「それと、気を使っていただいて、ありがとうございます。私が気にしていたから、話題を変えてくださったのですよね?」
お見通しだったらしい。
だが、分かっているなら、黙っていてほしかった。
面と向かって言われると、なんだか恥ずかしくなってくる。
「それよりも! 学校では適切な距離を取る。それを忘れないようにしてください」
「は、任せください」
先輩は、敬礼のポーズをとった。
少しおどけたような態度に、ぼくは少しだけ驚いた。
なんだか、少しだけ先輩との距離が近づいた気がして――。
ぼくが反応に困っていると、先輩はゆっくりと手を下ろした。
こちらから目をそらし、白い肌には少しだけ朱が混じっている。
しまった! 何か、洒落た応答をするべきだった!
とはいっても、陰キャにはハードルが高い。
今に至っても、どう返せばいいのか皆目見当がつかない。
――とりあえず、誤魔化そう!
何とも言えない空気を払拭すべく、ぼくは言葉を続けた。
「……先輩、出来ますか?」
「出来ます」
「本当ですか?」
「流石に失礼では!?
先輩は頬を膨らませた。
「なんだか、佐藤さんは私のことを見くびっているように思えます」
「そんなことはありませんよ」
「でしたら、私のことをどう思っているのですか?」
そう言って、先輩はぼくを見つめてくる。
何だこれ!? 美人の先輩が可愛らしい表情をこちらに向けている。
しかも上目遣いで、頬を紅潮させながら「私のこと、どう思ってる?」なんて聞いてくるのだ。
そういう意図ではないことは分かっているのだけれど――。
なんだか、めちゃくちゃ照れてしまう。
ぼくは、それを誤魔化すように告げる。
「不審な格好で18禁小説を階に言ったあげく、それを人前で落としてしまううっかりさんです」
「う……」
「先輩は、自分が思っている以上のうっかりさんです。超ド級のうっかりさんです。ですから、ぼく以外の人にもバレてしまうのではないかと心配になってしまうのです」
「……ありがとう、ございます」
どこか納得がいかないように、桐島先輩は言った。
「ですが、ご安心ください! 学校では必要以上に近づかないようにします! これだけ言われていれば、接近を避けることくらいは出来ます! 絶対に!」
先輩は、ムンと気合を入れるように両腕を構えながら言った。
その様子は、とても自信がありげで――。
この時のぼくは、こう考えていた。
――これ、フラグだな。




