桐島エリスの秘密⑥:氷の姫君、図書館を作る
ぼくたちは、蒼嶺高校へと向かうことになった。
そこの旧部室棟にある文藝部の本を運び出すためだ。
しかし、ここで問題が発生した。
「悪いね、凪太。この軽トラは2人用なんだ」
桐島先輩は、突然スネ夫のようなことを言いだした。
まぁ、軽トラに乗れるのは法律上二人までだ。
先輩の言っていることは正しい。
「分かりました。それでは、先に行ってください」
「……はい、分かりました」
先輩は、クールな態度を崩すことなく返事をした。
だけど、ほんの少しだけ、その表情に影が差したような気がする。
もしかして、今のってツッコミを入れるべきだったのだろうか。
そう思ったが、最早手遅れだ。
今から「スネ夫ですか!」と言っても、先輩に恥をかかせるだけだ。
いや、恥じらう先輩を見られるなら、敢えて言うべきだろうか。
羞恥心を取り繕おうとする先輩は、それはそれは可愛らしいのだ。
だが、そう考えているうちに、先輩は軽トラに乗り込んでしまった。
こちらを見ることなく、すまし顔をしている。
判断が遅い! 覚悟が甘かった!
そのせいで、羞恥に悶える先輩の姿を逃してしまった。
先輩を乗せた軽トラは、ぼくを置いて出発した。
ぼくは駐輪場へ向かい、自転車に飛び乗った。
そして、先輩を待たせずに済むよう、必死になってペダルをこぎはじめた。
×××
学校に到着した時、ぼくは汗をかいていた。
シャツが肌に張り付いて、少し気持ち悪い。
初夏の陽気は、暗くなっても蒸し暑さを残している。
校門付近には、先程の軽トラが停まっていた。
近寄ってみると、先輩が軽トラから降りてきた。
どうやら、先輩の到着とほぼ同時だったらしい。
丁度渋滞が多い時間帯だ。
軽トラも渋滞に嵌ったりしていたのだろう。
あたりは薄暗くなっており、校庭は閑散としていた。
大半の部活動は、既に活動を終えているのだろう。
校庭にいる生徒の数は少ない。
そんな中、職員室には煌々と明かりがついていた。
高校なだけに――いや、何でもない。
職員室の中には、多くの教師たちが残っていた。
考えてみれば、教師というのは大変な仕事だ。
生徒が来るよりも早く学校に来て、生徒たちが帰った後も仕事を続ける。
その間、授業やら雑務やらが詰め込まれており、気の休まる暇もないだろう。
――絶対に教師にはなるまい。
ぼくはそう心に誓った。
さて、そんな職員室だけど――何やら、異様な光景が広がっていた。
職員室の周り――。
丁度窓から死角になりそうなところに、生徒たちがたむろしているのだ。
ほぼ全員がスマホを手に持ち、暗い中でその光が輝いている。
まるで水辺に集まるホタルのようだった。
――でも、なんであんなところに?
集まるなら、職員室の周りは避けたいところだろう。
少なくとも、ぼくは近寄りたいとは思わない。
「あの人たちは、職員室の周りで何をやっていのでしょうか?」
ぼくの問いに、桐島先輩が答える。
「職員室にはwi-fiがあります。ですから、それにつなげたい人が職員室の周りに集まっているようです」
「ああ、そういうことですか」
集まっている人たちは、全員がスマホの画面を見ていた。
スマホをwi-fiにつなげて、何か作業をしているのだろう。
「でも、パスワードを設定したりしないのですか?」
「設定はされていますが、生徒に対しては公開されているはずです」
初めて知った。
そんな説明を受けた記憶がない。
おそらく、学校側も積極的に伝達しようとはしていないのだろう。
――これはいいことを聞いた。
そう思っていると、先輩は職員室に向かって歩き出した。
「それでは、行きましょう」
「どこにいくんですか?」
「勿論、職員室です。旧部室棟の鍵は、顧問の先生が管理していますから」
×××
ぼくたちが職員室に入ると、教師たちがこちらを見た。
職員室には、まだたくさんの教師が残っていた。
そこで顧問に声をかけて鍵を受け取るのだが――。
文藝部の顧問は、ぼくのクラスの担任だった。
名前は『桜井こはる』――二十代半ばの若い女教師だ。
ゆるくてふわふわした雰囲気を纏っている。
だが、性格はサバサバしており親しみやすいようで、生徒たちからは人気がある。
生徒は、本人のいないところで『こはるちゃん』と呼んでいる。
「文藝部の荷物、運び出してくれるんだって? 助かるわ~」
先生はそう言って、桐島先輩に鍵を渡した。
新しい校舎には、文藝部が入れるようなスペースはない。
取り壊しが決まっている旧部室棟にある荷物は邪魔なのだろう。
それを桐島先輩が引き取ることになっているらしい。
先生は、机の引き出しから『古びた鍵』を取り出すと、先輩に渡した。
その上でぼくを見て――。
「……、……、……佐藤?」
ぼくの名前を思い出すのに、多少のロード時間がかかったらしい。
しかも、最後に疑問符がついていたような気がする。
「なんだ、ウチのクラスの佐藤じゃないか。どうして桐島と一緒にいるんだ?」
「ちょっと、手伝いを仰せつかりまして」
「へぇ」
先生は意味ありげな笑みを浮かべる。
ぼくと桐島先輩の関係を怪しんでいるのだろうか。
まったく、疚しいことなど何もないというのに。
ぼくと先輩は、極めて健全な関係だ。
関係自体に疚しいところは無い。
詳細とか経緯とかを聞かれると困るけど。
「ま、何でもいいや。しっかり桐島の手伝いをしてやってくれ」
「……はい」
先生は、それ以上深堀りしなかった。
こういう対応は、陰キャにとってありがたい。
無理矢理会話を続けられても困るんだよなー。
こちらは当たり障りのない対応しかできないのに。
陰キャにとって、会話というのは交わすものではない。
躱すものなのだ。
会話とは、キャッチボールではない。
ドッジボールなのだ。
「それじゃあ、よろしくな。軽トラは建物に横付けしてもらっていいから。ああ、そうだ。鍵は返さなくていいぞ」
「いいんですか?」
「夏には解体の予定だからな。今後、あそこは誰も使わないし」
先生は、変わらず緩い調子で言った。
本当にいいのか、これ。
×××
旧部室棟は、学校の隅にある古い建物だ。
その風格たるや、ホラー映画の撮影に使われてもおかしくないほどだ。
入学当初は、物珍しさから中に入ってみる生徒もいたらしい。
だが、あまりの老朽化ぶりに、今では誰一人として足を向けない。
桐島先輩に先導され、ぼくはその建物に足を踏み入れた。
床は歩くたびにギシギシ鳴るし、隙間風が不気味な音を奏で続けている。
レトロという言葉で誤魔化すことが出来ないほどのボロ建物だ。
文藝部の部室は、階段を登ってすぐのところにあった。
桐島先輩が鍵を開ける。
ドアを開けると、閉じ込められていた熱気が漂って来た。
それと一緒に、古本特有の匂いが漏れ出てくる。
部屋の中には、年季の入った本棚が並べられていた。
そのどれもに、大量の本がびっしりと詰め込まれている。
中に足を踏み入れる、一層古木の匂いが強くなった。
それに鼻を慣らしつつ、並んだ本棚を見ていく。
そこに収められている本は、日に焼けて変色したものばかり。
文藝部の浅からぬ歴史を感じさせる。
だけど――。
一見して『先輩好み』の漫画などは見当たらなかった。
「先輩の本は、ここにあるんですか?」
「一応、ここでも隠してあります」
そう言って、先輩は本棚から数冊の本を抜き取った。
すると、奥から桃々しい漫画やラノベが出てきた。
文藝部の古本で隠していたらしい。
あまりに単純なやり方だが、人が来ないのだから厳重に隠しても仕方がない。
「それでは、作業を開始します。私がダンボールに詰め込んでいくので、アキさんと佐藤さんは、それを軽トラに積み込んでください」
ぼくたちは、先輩の指示通りに動いた。
ダンボールに次々と詰められる桃色図書を持って、軽トラへと向かう。
荷台に積むと、また部室に戻ってくる。
それを何度も繰り返し――。
一時間後に、ようやく積み込みを終わらせた。
――出来るモノだな。
部室にあった書籍類は、全て軽トラへと積まれた。
学校と家を何度も往復する必要はなかったようだ。
安堵と共に、爽やかな達成感がぼくの中を満たしていた。
いやー、やっと終わったぜ。
終わった、終わった。めでたし、めでたし。
うん、ちょっと現実逃避をしていただけだ。
当然のことながら、これで終わりではない。
積み込んだ荷物は、降ろさねばならないのだ。
そりゃそうだ。
×××
アパートに戻ると、ぼくたちは軽トラから荷物を下ろした。
荷下ろしが終わると、秋山さんは軽トラに乗って、どこかに行ってしまった。
まさか、この荷物をぼくと先輩だけで運べというのだろうか。
「それでは、佐藤さん。もうひと踏ん張り、頑張りましょう」
先輩は、むんと気合を入れながら言った。
どうやら、そのまさかだったらしい。
あまりやる気は出ないが、ここに放置しておくわけにも行かない。
特に、先輩好みのブツについては。
ぼくと先輩はそれを三階まで運んだ。
玄関の横に使っていない部屋があるので、そこに運び込む。
こちらも何往復したのかは覚えていない。
文藝部の部室は二階だったけれど、ぼくの部屋は三階だ。
ちなみに、エレベーターなし。
運び込んでいるうちに、足が棒のようになってしまった。
それでも何とか作業を進めていき――。
「やっと終わった」
ぼくたちは、三十分かけてダンボールを全て運びこんだ。
その数、何と二十五個。
よく今まで旧部室棟の床が抜けなかったものだ。
だが、まだ終わりではなかった。
むしろ、ここからが始まりだった。
本はダンボールから出さなければ読むことが出来ない。
そして、この部屋には本を収納するため本棚がない。
「とりあえず、本棚は後で用意しますか」
「え?」
ぼくの言葉に、先輩は疑問の声を上げた。
もしかしたら、箱に入れたまま保存しておくつもりだったのだろうか。
そう考えたが――それは的外れだった。
部屋の中のダンボール箱を眺めていると、玄関チャイムが鳴った。
外には、荷物を抱えた秋山さんがいた。
ダンボールに入った平べったい板状の荷物。
「まだ、あと九個あります。搬入を手伝っていただけますか?」
「……はい」
秋山さんに言われ、ぼくはその荷物も運びこんだ。
秋山さんが用意したのは、大型の本棚だった。
自分で組み立てるタイプのものなのだが――。
――これ、誰が組み立てるの?
秋山さんはやってくれるのだろうか。
使用人というのは、そこまでやってくれるものなのだろうか。
そう考えていると、秋山さんは「他にも、お持ちするものがございますので」と言って、部屋を出ていった。
あー、はいはい。そういう感じね。まだ、あるんだね。
床、抜けないかな? 大丈夫だよね?
「佐藤さん、一緒に作りましょう」
先輩は、楽しそうに言った。
お嬢様にとって、こういう作業は新鮮なのかもしれない。
正直面倒くさかったのだが――。
「初めての共同作業ですね」
そう言われたとたん、断るという選択肢は消えた。
説明書を取り出し、二人で本棚を組み立てていく。
最初はたどたどしかったけれど、次第に作業にも慣れていく。
今日中に全部作ることが出来るかもしれない。
それにしても――。
こういうのを沢山作っていくと、六角レンチばかり集まることになる。
この家には、おそらくニ十個以上の六角レンチが溜まっている。
使わないだろうけれど、勿体ないから捨てられないんだよな。
本棚づくりに慣れてきたぼくは、一人で作業を進めることになった。
その間、秋山さんは家具類を運び込んできた。
座り心地の良さそうなソファーや長机。
これらを一人で三階まで持ってきた。
――いや、この人、力持ちすぎるだろう。
次々と運び込まれる家具類を見ながら、ぼくはドン引きしていた。
そんな中で、桐島先輩は小物類を持ち込んでいた。
紅茶や菓子類、コップや皿。
何故かハンガー掛けまで持ち込んでいる。
完全にやりたい放題だ。
ぼくの家なのに。
そして、二時間が経過し――。
ぼくの家に『桐島図書館』が完成した。
桐島漫画喫茶と言ってもいいかもしれない。
壁は天井近くまでの高さのある本棚が埋め尽くしている。
本棚には、隙間なく大量の本が収められていた。
内訳は、一般的な少年漫画や少女漫画が多い。
他方で、過激な十八禁小説も多くある。
他にも、フィギュアが飾られたアクリルの棚が三つ。
壁には、美少女キャラが描かれたポスターが複数貼られていた。
しかも肌を大きく露出している――というか、ほぼ全裸。
自宅には絶対に飾りたくないタイプのもの。
ここ、ぼくの自宅なんですけどね。
これは誰にも見せられない。
この部屋には、先輩と秋山さん以外誰も入れるわけにはいかない。
魔法学校でもないのに『秘密の部屋』が出来てしまった。
「……先輩」
「何でしょうか」
「これ、完全にオタク部屋ですよね」
先輩は目を背けた。
頼まれたのは、本を預かることだったはずだ。
これは明らかにそれを超えている。
本の数は想定をはるかに超えていた。
それに、本以外のものも大量に持ち込まれている。
うん、途中で止めるべきだったね。
でも、先輩が楽しそうで止められなかったんだ。
「……一度やってみたかったのです。私の家では、どうしても出来なくて」
「まぁ、一発でバレますからね」
「ダメ、だったでしょうか?」
先輩は上目遣いで尋ねた。
この人は、自分の武器を分かっている。
そして、それを十全に使いこなしている。
この人は天然の悪女だ。
不束ではない、完全なる悪女だ。
「勿論、この部屋は佐藤さんにも使っていただくことになります」
「いいんですか?」
「勿論です。私がいない時も、是非使ってください。私はただ、この部屋に荷物を置かせていただいているだけ。私が持ち込んだものについても、ご自由に――いえ、是非読んでみていただきたいです!」
両手を握り締め、熱のこもった声で先輩は言う。
この時になって、ようやく気付いた。
ここに本を持ち込んだのは、勿論隠すためではあるのだろう。
だけど、同時にぼくへの『布教』も兼ねていたのだ。
先輩は、ぼくを18禁小説の沼に沈めようとしているのだ。
この部屋には、あまり近寄らないように――。
「ああ、そうだ。部屋を使わせてもらうのですから、お茶とお菓子は私が用意させていただきます。一緒に、ここで素敵な時間を過ごしましょう」
それは、悪くない提案だった。
誰もが憧れる素敵な先輩。
そんな人と二人で過ごす部屋が出来たのだ。
内装に文句があるにしても、それ以上に得るものがあった。
だが、ぼくは分かっていなかった。
先輩の『やりたい放題』がまだ序の口だったことを。
この時の先輩には、まだ自制心があったのだ。
学校の制服をしっかり着用。
ソファーにも奇麗な姿勢で座っていた。
上品で優雅なお嬢様であり続けた。
令嬢としての矜持が、まだ残っていた。
それが変わるのは――。
先輩がある『事件』に巻き込まれてからのことになる。




