桐島エリスの消失⑧:氷の姫君、公開する
「……儂も、読みたいのだよ」
「え?」
「エリスが書いた小説を読みたいのだ! あれを読んでいると、胸がキュンキュンするのだ!」
権蔵は、自棄になったかのように叫んだ。
胸がキュンキュンする――だと。
昭和の極道映画に出てきそうな人が、少女漫画のようなことを言いだした。
「あのトキメキを何度でも味わいたいのだ! 貴様にも分かるだろう! 体中がレモン果汁で満たされるような感覚が!」
分からんでもない。
だが、この風体の人間に言われると、ドン引きするしかない。
レモン果汁で満たされている姿が全く想像できない。
「儂はただ、エリスが書いたえっちで甘酸っぱい小説を読みたかったのだ!」
桐島権蔵は、慟哭した。
それを目のあたりにしたぼくは、何も言えなかった。
こういう時、何を言えばいいのだろうか。
素直に「何言ってんだお前」と言っていいものだろうか。
「そのためなら、手段を選ばない! だから、書けるまで学校には通わせないと言ったのだ!」
「何言ってんだお前!?」
言っちゃった。
でも、これは仕方がないだろう。
色々な意味で酷すぎた。
色々ズレている。
話にならない。
ズレすぎていて、説得できない。
権蔵は、先輩に言う。
「だが、お前は書けずにいるのだ。必要なものは与えたはずだ。書けるようになるためには、あと何が必要なのだ!?」
「……常識?」
「お前は常識をわきまえた人間だ!」
「お父様の常識です」
「儂の!?」
権蔵は意外そうに叫んだ。
ここまでのことを言っておきながら、常識人だとでも思っていたのだろうか。
桐島先輩は、深く大きなため息をついた。
彼女にしては珍しい行動だ。
「凪、色々とありがとう。実を言えば、この状況を脱するための方法は考えてあったのです。そして、その『用意』もしていました」
「そうなんですか?」
「ええ。ですが、それを実行に移す決心がついていなかったのです。でも、ようやく決心しました。あるいは、自棄になったと言ってもいいかもしれません」
一体、何をする気なんだ。
桐島先輩は、封筒を取り出した。
あれは、ぼくの家の押し入れにあったものだ。
先輩は、封筒を権蔵に渡した。
「これは……」
「実は、既に書いていたのです。そこには、第一稿が入っています」
先輩がそう言うと、権蔵は即座に中身を取り出した。
そして、食い入るように読み始める。
最初は歓喜に打ち震えていた。
念願の新作が手に入ったのだ。
その気持ちは分からんでもない。
――これで、満足してもらえれば解決か?
権蔵氏は、次々とページを捲っていく。
すると、徐々に顔が赤くなっていった。
レモン果汁にアルコールでも入っていたのだろうか。
「これは、どういうことだね!?」
権蔵氏は、歯を食いしばりながら笑っていた。
意味が分からない。これ、どういう感情なんだよ。
そう思っていると、権蔵氏はその原因を告げる。
「どうして、お前とそこにいる佐藤凪が登場しているのだ!」
なんだそれ。
いや、本当になんだそれ。
まさか、ぼくと先輩が登場人物として出ているというのか。
「しかも、過激なシーン満載で!」
そう言いながら、権蔵氏はちらりとこちらを見る。
いや、こっち見るなよ。
この流れで見られると気持ち悪いのだが。
それにしても――先輩とぼくの過激なシーンか。
それを読ませることで、ダメージを与えようとしたのだろう。。
まさに肉を切らせて骨を断つ。
うん、馬鹿らしく思えてきた。
「私の新作を読めたら、アパートに戻していただけるんですよね? 約束は守っていただきます」
そう宣言する桐島先輩。
権蔵氏は「ぐぎぎぎぎ……」と声にならない声を上げていた。
そんな状態でも、ページを捲る手は止まらない。
次々とページは捲られていき――。
少しすると「いいだろう」とだけ言った。
「ありがとうございます」
桐島先輩はそう答えた。
そして、こちらを振り返り――。
「凪、ここまで来てくれてありがとうございます」
「結局、役には立てませんでしたけど」
「そんなことはありません。凪が来ていなければ、私は原稿を父に見せる気になりませんでした。凪が声高に主張をしてくれたから、私はこれを人に見せる勇気を手に入れることが出来たのです」
なんだか、空回りばかりしていた気がするけれど。
まぁ、先輩がこれでいいなら、よしとしよう。
それよりも――。
「ところで、権蔵さん」
「何だね?」
「その小説、後で読ませていただけますか?」
先輩が書いた小説の内容が気になる。
あのお耽美ナス先生の新作だ。
権蔵でなくとも、読んでみたいと思うのは当然だ。
「……いいだろう。貴様には、その資格がある」
「絶対に止めて下さい!」
桐島先輩は叫んだ。
「そんなことをしたら、恥ずかしくて本当に死にますよ、私!」
「でも、お父さんには読ませていますよね?」
「それは嫌がらせ目的だからです!」
嫌がらせになっているのだろうか。
権蔵は百面相のように、表情を次々と変えていた。
いずれ、この苦境を乗り越えてしまいそうだ。
「とにかく、これで一件落着ということで。はい、終わり! 終了!」
先輩はそう叫んだ。
こうして、この騒動は終了した。
――かのように思えた。




