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お隣の氷姫は、ぼくにだけ微笑む  作者: こねこねこ
第4章 桐島エリスの消失

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桐島エリスの消失⑥:氷の姫君、暴力に訴える


     ×××


「初めまして。同じ高校の佐藤凪です」

「何故、ここにいる?」


 脅すような低い声が、部屋に響く。

 すると、桐島先輩がぼくの前に出た。


「私が呼んだのです。もう、帰ってもらいますから――」


 先輩は、ぼくを庇っていた。

 でも、その厚意に甘えるわけにはいかない。

 それだと、ここに来た意味がなくなる。


「あの、先輩は少し黙っていてもらえませんか?」

「私の話ですよね!?」

「いえ、先輩についての話をするつもりはありません」

「それじゃあ、何しに来たのですか!?」


 あの先輩が狼狽していた。

 この隙に、ぼくは本題に入る。


「桐島権蔵さん。貴方に、お話ししたいことがあって参りました」

「儂に?」

「はい」


 そもそも、先輩が家から出られないのは、桐島権蔵のせいだ。

 だから、ぼくが話さなければならないのは、桐島先輩じゃない。

 桐島権蔵のほうなのだ。


「アッキーが儂を呼びに来たのは、お前の指示によるものか」

「ええ、そうです――というか、アッキーって秋山さんで合っていますよね? なんだか、随分とフランクな呼び方ですけど」

「いかにも。それで、儂と話がしたいのだったな。いいだろう、三十秒を与える」

「ありがとうございます」


 相手は大企業の重役だ。

 背筋を伸ばし、全力で虚勢を張る。

 そして――。


「この三十秒に、18禁小説の素晴らしさを説きます!」

「……へ?」


 裏返った桐島先輩の声。

 それを無視して、ぼくは話を進める。


「これを見てください」


 ぼくは一冊の本を見せた。

 それは『未だ熟せず』。

 あの時、澪が落とした本だ。

 そして、ぼくは朝比奈家で延々と朗読させられた。

 何度も読み返してはいたが、音読するとまた別の発見があった。

 読めば読むほど魅力が溢れ出てくる本だ。


「オタンビナス著『未だ熟せず』。ぼくが今日ここに来たのは、貴方にこの小説の素晴らしさについて語るためです」

「ほう」

「見てのとおり、これは18禁小説です。ですが、単なるエロ小説ではありません。傷ついた青年が、病に侵された女性に出会い、愛を育んでいく物語です。その途中で、二人の間には肉体関係が生まれます。これは非常に過激なものでした。官能小説の中でも、トップクラスに過激で生々しい描写と言っていい。ですが、これは限られた時間の中で、いかに愛情を育んでいくか――いえ、育んでいくというスピードでは足りません。二人の間には、時間が残されていないのですから。愛情を深めていくための儀式なのです。二人の愛を描写するためには、この性描写は必要でした。肉体的な快楽と精神的な苦しさ。別れが苦しくなると分かりつつも、愛を深めずにはいられない! その描写が読者の心を惹きつけるのです!」

「それで、何が言いたい?」

「18禁小説の中にも、素晴らしいものはあるということです。十把一絡に拒絶をしてほしくないのです」


 桐島権蔵に18禁小説を受け入れてもらう。

 そうすれば、18禁小説に耽溺していた先輩も許してもらえる。

 そう思っていたのだが――。


「それだけか?」

「……え?」


 これは、ぼくが用意してきた言葉だ。

 それを権蔵は鼻で笑った。


「出来の悪い読書感想文といったところか。貴様が言ったことは、表層的な部分を取り繕ったに過ぎない。18禁小説を読む『言い訳』でしかない」

「そんなことは――」

「ないとは言わせぬ。貴様の言葉には、魂がない。無意味で無価値だ」


 その言葉に、ぼくは怒りを覚えた。

 魂がない――その言葉は、実にいい加減に使われている。

 理屈を唱えることが出来ないから、そんな抽象的なことを言うのだ。


「ぼくの言葉の、どこが間違っているというのですか?」

「間違っている、とは言っていない。ただ、意味がないというだけだ。君の言葉は、音でしかない」

「音……」

「やはり、時間の無駄だった」


 そう言って、権蔵はため息をついた。

 そんな彼の顔を見て――ぼくは、動けなくなった。


「エリス。お友達には、お帰りいただきなさい」


 権蔵にあったのは『失望』だった。

 彼は本当に、ぼくの言葉に失望していた。

 聞く耳を持たないのではなく、聞いたうえで判断していた。


 ぼくの言葉が無意味?

 表層的で。

 だって、仕方がないじゃないか!

 誰だって納得できるような言葉を言うしかない。

 だから――。


 アホか、ぼくは!


 違う! アホですらない!

 それ以前の問題だ!


 ああ、その通りだ!

 今なら分かる! 分かりたくないが、分かってしまう!


 この期に及んで、ぼくは尻ごみをしていたのだ。

 18禁小説について語ることを恥ずかしがっていた。

 変わり者を演じて、それを身代わりにしていた。

 そこに、ぼくはいなかった。


「……待ってください」


 桐島権蔵はそれを見抜いていた。

 この人には、小細工は通じない。

 だったら、ぼくに何が出来る?


「これ以上邪魔をするのであれば、君は儂を敵に回すことになる」


 その気迫に、一歩後退する。

 だが、後退は一歩だけに留めた。

 ここまま帰るわけにはいかない。

 やるべきことが分かったのだ。


 ぼくは一歩前に出る。

 これで、立ち位置は先ほどと同じだ。


 ――さぁ、第二ラウンドの始まりだ。


 そう思ったのだが――。

 先輩がぼくの服を掴んだ。


「もう、止めて下さい」


 先輩は顔を真っ赤にしていた。

 その瞳には、涙を浮かべている。

 ぼくのことを心配してくれているのだろう。


「もう、いいから」

「よくありません」


 そう――いいはずがない。

 そんなことを言ってくれる人だからこそ。

 そんな先輩の為だからこそ、ぼくは引けない。


「もう一度、お話をさせてください」

「帰れと言ったはずだ」

「帰ると言った覚えはありません」


 権蔵はぼくを睨みつけた。


「エリスに免じて、無事に帰らせてやると言っているのだ。大人しく立ち去れ」


 正直言えば、怖かった。

 今すぐ尻尾を撒いて帰りたい。

 それでも――。


「では、エリス先輩に免じて、もう一度チャンスをください」


 同じくらい、先輩のために行動したかった。


 権蔵の視線がぼくを捕らえた。

 これは、自殺行為なのかもしれない。

 それでも――ぼくは言わなければならない。

 否、開示しなければならない。

 己の本心を。


     ×××


「(18禁小説を賛美するセリフ)」


 先輩が部屋に来るようになってから、数か月が経過していた。

 その間に、ぼくもまた、18禁小説を愛するようになっていた。

 ぼくにとって、18禁小説は先輩との絆だった。

 桐島先輩こそが、18禁小説そのものなのだ。

 だから――。


「桐島……エロス」


 そんな一言が、口から洩れた。

 あまりに意味のない、ふざけた言葉だった。

 だけど、何故かしっくり来る。

 その言葉を口にした瞬間、ぼくの中で何かが変わった。

 ぐちゃぐちゃになっていたものが、奇麗に整頓された。


「ぼくは、18禁小説を読む桐島先輩を見ていたかったのです。やり残したことがある。桐島先輩と一緒に『未だ熟せず』を読みたい。他にも、何かあるかもしれない。それが失われるのが、嫌なのです」


 そう、静かに言った。

 自分勝手にもほどがある。

 先輩の利になることは一つもない。


 権蔵は振り返ると、ぼくの正面に立った。

 そして、ぼくの目を見る。

 まるで見定めようとしているかのように。


「それだけか?」

「はい、これで全てです」


 権蔵は口を引き結んでいる。

 肩を小刻みに震わせていた。


 ――伝わらなかったか。


 怒らせてしまっただけかもしれない。

 だが、仕方がない。

 ぼくが出来ることは、これだけだったのだ。


 沈黙が落ちる。

 地獄のような静けさが漂っている。

 ぼくたちは、ひたすら権蔵の次の言葉を待っていた。


 そんな中――。

 突然、ぼくは抱きしめられた。

 逞しい胸板から、暖かなぬくもりが伝わってくる。

 上から、嗚咽の声が聞こえる。

 ……胸板? 上から?


「感動した!」


 権蔵はそう言った。

 ぼくを抱きしめながら。

 何故、権蔵!?

 こういう役目は、先輩のものだろうに。


「君のような子であれば、エリスを任せられる!」


 意味が分からなかった。

 今ので説得できるとは思わなかった。

 ぼくはただ、己の変な性癖を披露しただけだ。

 それでも――何とかなったのだろう。

 よく分からないが、これで問題は解決した。


 解決、した?

 何だか、背筋がぞわぞわする。

 よく分からない、というのは良くない。

 なんだか、ぼくの知らないところで、事態が悪化しているような気がする。

 ぼくの嫌な予感はよく当たるのだ。

 問題は、対策が出来ないこと。


「凪」


 ぼくが振り返ると、桐島先輩は、顔を真っ赤にしていた。

 ああ、そうだ。

 今は先輩のことを優先しなければ。

 ここに来たのは、彼女のためなのだ。


「先輩」


 ぼくは先輩の正面に行った。

 先輩は顔を真っ赤にし、目には涙が溜まっている。

 ぼくは照れながら「何とかなりました」と告げた。

 すると先輩はゆらりと体を傾けた。

 ぼくはそれを抱きとめようとしたのだが――。


 気が付けば、ぼくの鳩尾に先輩の拳がめり込んでいた。

 その後のことは、よく覚えていない。

 先輩は、何故かぼくをボコボコにした。

 ついでに、権蔵もボコボコにしていた。

 格闘ゲームのように、青い残像が見えたぜ。


「何故……」


 こうして、ぼくは気絶した。

 最後の言葉としては、格好がつかなすぎる。


 一体、どうしてこんなことになったのか。

 誰か、それを解き明かしてください。

 それだけが、ぼくの願いです。


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