桐島エリスの消失④:偏愛義姉、全力で甘える
方針は決まった。
桐島先輩には、ぼくの家(正確には隣家)に帰ってきてもらう。
朝比奈家からの帰り道で、そのための計画を考えた。
その計画を実行するためには、まず先輩に連絡を取らなければならない。
だが、先輩のスマホは電源が切られている。
これでは、連絡を取ることが出来ない――。
――なんてことはない。
ぼくには、先輩に連絡を取るための方法があった。
家に帰ると、すぐに姉さんに電話を掛けた。
姉さんは、すぐに電話に出た。
『愛しのお姉ちゃんだよ』
「頼みがある」
『あれ、ツッコミは?』
「愛しの姉であることは事実だ。ツッコミを入れる余地なんてない」
『その言葉が聞きたかった! 何でも言って!』
懐柔、簡単だなー。
なんだか、姉さんの将来が心配になってきた。
でも、それについて考えるのは後回しだ。
「桐島先輩と話をさせてほしい」
『桐島さんと? うーん、どうだろう? あの家は厄介なんだよね』
「何とか出来ないか?」
『……どうしても?』
「どうしても」
少しの間、無言が続く。
担任でもない教師が、生徒に連絡をするのは難しいのかもしれない。
でも、そこを何とかしてもらいたい。
「……どうかな?」
『難しいと思う。徒労に終わってしまう可能性がある』
「それでも、頼む」
『……条件があるわ』
「条件?」
『まず、私は凪ちゃんのお姉ちゃんであると同時に、教師でもあるの。だから、あまり無茶なことは出来ない。限界があることは理解しておいて』
「分かった」
『それと、もう一つの条件』
姉さんは真剣な声で告げる。
『甘えさせて』
うん、声だけは真剣だったんだ。
ただ、内容がアホだっただけで。
「いつも甘えさせているような気がするけど」
「あれは、本気の甘えではないわ。果たして、私の全力の甘えに耐えることが出来るかな?」
ぼくは戦慄した。
これまで、相当甘やかしてきたつもりでいた。
だが、姉さんはまだ本気を出していなかったらしい。
姉さんは、どれほどの潜在力を持っているというのだろう。
だが、ここで怯むわけにはいかない。
これ以外に、方法はないのだ。
「……分かった。任せてくれ」
『それじゃ、今からそっちにいくね』
「今から!?」
『早い方がいいでしょ?』
それはそのとおりなのだけど。
×××
三十分後に、姉さんがやって来た。
酒は飲んでいないようだけれど、前回同様コートを着ている。
コートを脱ぐと、その下からはパジャマ姿が現れた。
――全裸じゃなくてよかった。
いや、全裸で来るとは思っていなかったけれど。
最近の姉さんは、何をするか分からないところがある。
「それで、今日のご注文は?」
「これよ」
姉さんは、鞄からアイマスクを取り出した。
厚みのあるもので、隙間からの光も遮断できるものだ。
「ゆっくり眠りたいと?」
「違うわ~」
アイマスクを使って、何をしようというのか。
眠る以外の用途が思いつかない。
それがぼくのだらけに対する想像力の限界だった。
ぼくはまだ、姉さんの『だらけ力』を甘く見ていた。
「目が疲れているのよ。パソコンにずっと向かっていると」
姉さんは、デジタル漫画家だ。
液晶タブレットで漫画を描いている。
ずっと見つめていたら、目が疲れるのも頷ける。
「それで、どうすればいいの?」
「介護して」
「介護……」
「今の私は、視界を奪われているわ。一人では何もできない。なんでもかんでも凪にやってもらう必要がある」
成程。
敢えて不自由な状況に身を置くことで、甘えをブーストさせたというわけか。
我が姉ながら、恐ろしいほどに馬鹿馬鹿しいことを考えやがる。
「さぁ、凪ちゃん。至高にして究極の甘やかしをしてちょうだい」
あまりに阿呆な要求。
だが、今回ばかりは拒絶できない。
これが、桐島先輩に連絡を取る唯一の方法なのだ。
姉さんがどんな要求をしてきても、絶対に断らない。
そう固く決心した。
「それで、具体的には、何をしてほしい?」
「それ聞く? 聞いちゃう?」
鼻につく物言いだった。
だが、ここで放り出してはいけない。
ぼくは出来る限り穏やかな声で、話を続ける。
「聞かないと分からないだろ?」
「それを察して動けないようでは、一流の『甘やか師』にはなれないよ」
「ならないよ! なんだよ、その変な仕事は!?」
「え? 知らないの?」
「知ってるわけないだろ!」
少なくとも、そういう名前の職業はないだろう。
甘やかして金を貰うとか、怪しいお店のサービスとしか思えない。
まともな人間の発想ではない。
「まぁ、いいでしょう。最初は多めに見てあげるよ」
「……ありがとう」
「とりあえず、優しく抱きしめて。そして、頭を撫でて」
「了解した」
「それがお客様への態度かな?」
「畏まりました、お嬢様」
「お姉様で」
「畏まりました、お姉様」
ぼくは考えるのを止めた。
こういう時は、何を考えても無駄だ。
それはただの徒労にしかならない。
「では、失礼します」
ぼくは隣に座り、姉さんの身体を抱きしめた。
柔らかなあれやこれやの感触が、思いっきり伝わって来る。
人によっては、羨ましい状況なのだろう。
ちなみに、ぼくに下心はない。
一切ない。
そこのところ、よろしく。
ぼくは姉さんの頭を撫で始めた。
どんな表情をしているのかは分からない。
だが、文句も出ていないのだから、これで問題ないだろう。
×××
ぼくは、十分程度姉さんの頭を撫で続けた。
その間、姉さんは「ふにゃ~」という声を出しながら溶けていた。
猫のように体を預け、時折顔をぼくの服に擦り付けたりしていた。
そして満足したのか、次の要求を始めた。
「お風呂入りたい」
「もしかして――」
「勿論、一緒に入ってくれるよね?」
成程――一緒に入浴か。
まぁ、ぼく自身は入らないにしても、浴室に行く必要はあるだろう。
アイマスクをした姉さんを一人で風呂に入れるだなんて、危険すぎる。
それに、この要求に応じなければ、ぼくは桐島先輩への連絡手段を失う。
それは避けなければならない。
非常に不本意ではあるが、背に腹は代えられない。
というわけで――。
「ああ、勿論だよ」
ぼくは姉さんを風呂に入れることにした。
ちなみに、姉さんはアイマスクをつけっぱなしだった。
ぼくはつけていない。
いや、だって、危ないからね。
二人でアイマスクをつけて風呂に入るって、異常だろ。
そもそも、家族と一緒に風呂に入ることに、何の問題があるというのだろうか。
うん、問題ない。
そして、隅々まで身体を洗った。
あくまでも事務的に。
興奮など一切なかった。
そう言うことで、ご納得いただきたい。
(分量増やす)
×××
一緒に風呂に入ったことで、一つだけいいことがあった。
風呂上がりの姉さんに、服を着せることが出来たのだ。
いつものようなバスタオル姿ではなく、ちゃんと下着とパジャマを着せることが出来た。
他?
役得?
何のことだか分からないな。
風呂から出た姉さんは、ソファーでだらけた。
「よく考えたら、アイマスクをしていたらテレビが見られない」
「それじゃあ、寝ればいいんじゃないかな?」
「そうだね」
随分と素直に従ってくれた。
これで終わりなら、万々歳だ。
もっと面倒なことを予想していたが、終わってくれた。
ぼくは姉さんを連れて、ベッドに行った。
「添い寝して」
まぁ、それくらいならいいだろう。
眠らせてしまえば、それだお終いだ。
だけど、そうはいかなかった。
姉さんは、ここで最後の爆弾を投下した。
「ご本読んで」
小さな子供の様な口調で言った。
まぁ、甘えるという目的から考えれば、それが正しいのかもしれない。
子どものように扱われていのかもしれない。
愚かな考えだった。
「鞄とって」
「はい」
鞄を渡すと、姉さんは一冊の文庫本を取り出した。
それは『義姉の濡れた瞳』だった。
「それじゃあ、読み聞かせ」
「……本当にやるのか?」
「私が寝るまででいいから」
「出来るだけ早く寝てくれよ」
ぼくは読み始めた。
澪の特訓によるものなのか、妙に上手く読めた。
読めてしまった。
それが悪かったのか――。
「もう寝たか?」
「ギンギンに起きてる」
姉さんはぼくが読み終えるまで、眠らなかった。
アイマスクをしたまま、ぼくの朗読を聞き続けた。
×××
翌朝――。
姉さんはキラキラとした目で、起床した。
「全ての疲れが吹っ飛んだよ!」
「それはよかった」
アイマスクをしていたとはいえ、起きていたはずなのだ。
途中で読むのを止めると、続きを催促していた。
それなのにこれほど元気とは――。
「今日は土曜日! さぁ、お休みの始まりだ!」
「ああ、そうだね」
「漫画を描くぞ!」
「そうか。まぁ、頑張ってくれ」
ぼくは疲れた。
目の前にルーベンスの絵があったら、そのまま眠ってしまうレベルだ。
「それで、連絡はしてもらえるのか?」
「ああ、うん。一応、家庭訪問をすることになってるからね」
「姉さんが? 担任は?」
「……教師には、色々あるんだよ」
教師って言うのは、大変な仕事だ。
詳しくは聞かないほうがいいのかもしれない。
「とにかく、そこで桐島さんとは直接話をする予定」
「……もしかして、昨日から今日にかけての接待は必要なかったか?」
「いいや、あったよ。そうでなければ、形式的な訪問で終わっていただろうからね。聖職とか言われているけど、教師も一つの職業でしかないんだよ。そもそも、職業に貴賤なんてないんだから、教師が聖職だというのなら、他もすべて聖職だよ。人類総聖職者計画だよ!」
「やっぱり、寝不足なんじゃないか?」
「大丈夫。頭は働いている! 今回は、事故で姉と弟が一緒にお風呂に入る話にする!」
「身に覚えのある展開!?」
「実在の団体・人物には一切関係ないから! さぁ、インスピレーションが逃げないうちに、話をまとめるぞ!」
「それはいいけど、桐島先輩のことを頼むぞ」
「分かってるって。訪問した時に、桐島さんにスマホを貸すから。桐島さんは、私から借りたスマホで勝手に凪ちゃんに電話をかけるだけ。それなら、問題にならないでしょ?」
「ああ、そうだな」
中々の落としどころだ。
何か起きたとしても、桐島先輩が勝手にやったことということになる。
それなら、姉さんが責任を取らされるようなことにはならないだろう。
「後は、凪が好きにするといいよ」
「ああ、ありがとう」
ぼくは素直に礼を言った。
さて、これで桐島先輩に接触する算段は出来た。
問題は、会った後に何をするか。
そして、何が出来るかということだ。
ぼくは、ポケットから鍵を取り出した。
それは、先輩から渡された『秘密の部屋』の鍵。
「やっぱり、これだよな」




