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お隣の氷姫は、ぼくにだけ微笑む  作者: こねこねこ
第4章 桐島エリスの消失

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桐島エリスの消失③:陸上少女、レコーディングする

 朝比奈家の面々との話が終わると、澪の部屋に行った。

 ドアを開けると『おかえり、澪』という声が流れて来た。

 ぼくの声だった。

 この前言わされたセリフだ。


「え、嘘。オフにしておいたはずなのに」


 澪は顔を真っ赤にしていた。


「今のは……」

「気にしないで」

「気になるけど」


 澪は目をそらしていた。

 だが、すぐに開き直ったように言う。


「人感センサーを使って、部屋に戻ってきたらこの声が鳴るようにしてあるのよ。何か文句でもある!? ないわよね!?」


 有無を言わせぬ物言いだった。


「それじゃあ、録音を始めましょう」


 澪は、録音のための機材を引っ張り出してきた。

 手に持つタイプの普通のマイクとは違う。

 パソコンにUSBで刺さっている筒形のものだ。

 その前には、丸型のメッシュが設置されている。

 歌手がレコーディングに使っていそうな設備だ。


「この丸いやつ、何のためにあるの?」

「雑音が入らないようにするためのものよ。純粋に声だけを録音するために必要なの」

「へぇ……」

「今日のために用意したわ」

「わざわざ!?」


 僕の声には、ここまでの価値があるのだろうか。

 なんだか、申し訳ないような気がして来た。


「それで、ぼくは何をすればいいんだ?」

「その本、付箋がついているよね?」

「まさか――」

「付箋がついているセリフを全て録音させてもらうわ」

「……全て?」

「全て」

「これ、どれくらいある?」

「ノンストップで二時間くらいかかると思うわ」

「二時間……」


 澪はヘッドホンを装着した。

 マイクに話しかければ、声が届くのだろうか。


「それじゃ、始めるぞ」


 ぼくはマイクに向かって言った。

 すると――。


「きゃっ!?」


 澪の口から、か細い悲鳴が漏れ出た。

 いかにも女の子といったような声だ。

 見れば、澪は顔を赤くしていた。


「始めるなら始めるって、言いなさいよ!」

「今言っただろ!」

「それはそうだけど!」


 なんなんだ、こいつは!

 ぼくに恥ずかしい思いをさせておきながら逆切れをするとは。


「いきなり耳元で囁かれたら、興奮――じゃなかった、驚くでしょ!」

「どうしろっていうんだよ!?」

「知らないわよ!」

「そこは知っていろ!」


 まぁ、いい。

 こうしていても始まらない。


「それじゃ、始めるぞ。いいな?」

「いいわ」


 目の前の文庫本に目をやる。

 そして、最初の文章を頭に入れ――。


『俺以外、何も目に入れるなよ』


 ぼくは読み上げた。

 とたんに、全身がむず痒くなる。

 このセリフを言うのは、不治の病に侵された男性キャラクターだ。

 これは、ヒロインの気を引こうと、必死に絞り出したセリフなのだ。

 ぼくなんかが音読していいセリフじゃないだろ!

 不治の病でもないぼくが言ったら、ただのナルシストだ。

 こんなことを平気で言えるのは、コンタクトレンズくらいだろ。

 すると――。


「ふおおおおおおお!」


 澪が奇声を上げた。


「ど、どうした!?」

「いいマイクを通して聞こえてきた声が、予想外に攻撃力が高かっただけよ」

「攻撃力?」

「あばらを数本持っていかれたわね」

「重傷だな」

「いいから、続けなさい」

「ドMなのか?」

「ああああああ!?」

「今度は何だ!?」

「……耳元で罵られるのも悪くないわ」


 にやけ切った顔で、澪は言う。

 時折、頭を机に叩きつけたりもしている。

 ここに来て、澪の奇行がどんどん増えていった。

 こいつ、こんなキャラだったのか。

 幼馴染の意外な一面を、今更知ってしまった。


     ×××


 それから三時間――。

 ぼくはひたすら、セリフを言い続けた。


「もっとイケボで!」

「声をもう少し低く!」

「愛情をこめて!」


 澪の抽象的で厳しい指摘に耐えながら、進めていった。

 終わった後、ぼくは疲れ切っていた。

 肉体的にも、精神的にも。


「お疲れ様。いい仕事だったわ」

「そちらこそ、お疲れ様。大丈夫か?」

「限界を迎えたわ。編集は明日以降にしておく」


 編集して何をするつもりなのだろうか。

 気になるが、聞きたくはない。


「それにしても、攻撃力が高かったわね。わざわざ着替えさせたかいがあったわ」

「これ、本当に必要だったのか?」

「必要よ! 私の気分が違うわ!」

「気分!?」


 それは、録音した声の内容に何か関係あるのだろうか。

 だが、澪は満足げにしていた。


「さて、と――」


 澪はヘッドホンを外した。


「それじゃあ、やることはやったし――」

「帰っていいか?」

「駄目よ」


 駄目だったか。

 精神的に疲れたから、帰って寝たいのに。


「せっかく来たのだから、少しはゆっくりしていきなさい」

「ああ、はい」


 ぼくは椅子に腰かけた。

 すると、澪が声をかけて来た。


「ところで、桐島先輩はどうなったの? 家の外に出られなくなっているんでしょ?」

「何で知っているんだ!?」

「普通に、噂で」


 普通なのか。

 確かに、先輩は長期間学校に来ていない。

 噂の一つや二つ、出てくるのも頷ける。


「凪なら、原因も知っているんじゃない?」

「それは……」

「あ、言わなくていいから」

「いいんかい!?」

「だって、聞いたところで私は完全な部外者でしょ?」

「ぼくだって――」

「いや、凪は違うでしょ」


 澪は当然のように言う。


「隣に住んでいたんでしょ?」

「え?」

「それに、よく家に遊びに来ていたんでしょ?」

「何でそれを……」

「綾香さんに聞いた」


 それって、教師が明かしていい情報なのだろうか。

 まぁ、それはそれとして。

 ぼくは、現時点の考えを告げる。


「家庭の事情としか言いようがない。ぼくは他人だ。ぼくが口出しをするべき問題じゃないと思う」

「本当に?」


 呆れたように澪は言う。


「本当に凪はそれでいいの?」

「いいもなにも、そうするしかないだろう?」

「自分では気づいていないのかもしれないけど、最近の凪は元気がないよ」

「え?」


 そんな自覚はなかった。

 先輩がいてもいなくても、ぼくは変わらない。


「ぼくはそこまで先輩に依存してないよ」

「依存しているなんて言ってないから。ただ、親しい人がいなくなって、調子が狂っているんじゃないかって言っているの」

「……そうかもしれない」


 少し前まで、先輩が毎日来ていた。

 それがなくなって、調子が狂っている。


「それで、凪はどうしたいの? 桐島先輩に、どうなってほしいの?」

「だから、ぼくが介入するべきものじゃ――」

「どうするべきか、ではなくて、どうしたいかを聞いているの」


 ぼくは一体、どうしたいのか――。

 そう考えたとたん、頭の中がクリアになった気がした。

 これまで、ぼくは先輩の意思について考えていた。

 政略結婚を嫌がっていないか。

 幽閉を嫌がっていないか。

 助けてほしいと思っていないか。

 それが分からなければ、動けなかった。


 だけど――。

 そもそも、ぼくは他人の意思を尊重しないタイプの人間だ。

 澪の図書室事件の時も、ぼくは澪の意向を無視した行動に出た。

 USB紛失事件の時も、桜井先生に頼まれたわけじゃない。

 やりたかったからやった。

 ただ、それだけなのだ。


「ああ、そうだよな」


「ぼくは、先輩に戻ってきてほしい。先輩の意思なんて、知ったことじゃない!」

「いや、そこまで自分勝手になるのはどうかと思うけど」

「今のお前にだけは言われたくないけどな」


 ぼくはもう少し我儘になってもいいのかもしれない。

 なにせ、目の前には我儘の権化のような人間がいるのだ。

 あの桐島先輩でさえ、ぼくの家でやりたい放題していた。


「何を難しく考えていたんだろうな」

「凪。煽った私が言うのもなんだけど、限度はあるからね」

「分かっているさ。そして、その限度というのは、移ろいやすいものだ。それらしい理由をでっち上げれば、限度なんて好きなだけ動かすことが出来る。少なくとも、ぼくの中では」


 ぼくは澪の手を取った。


「ありがとう、澪。おかげで決心がついたよ」


 そう告げると、澪は目を大きく見開いた。

 頬には朱がさしている。


「ち、近い」

「あ、悪い」

「いえ、悪くなかったわ。むしろ、興奮した――何でもないわ」

「その誤魔化し、無駄だよな!?」

「気にしてはいけないわ」

「でも――」

「『幼馴染との××な関係』」

「全く気にならないぜ!」


 この弱み、いつになったら消えてくれるのだろうか。

 澪は一生手放さないつもりでいるのかもしれないが。


「それに、勘違いしないでよね。別に、アンタのために言ったんじゃないんだから」


 澪は視線をそらしながら言った。

 照れ隠しだと思ったぼくは「ああ、そうだな」と答えた。

 だが――。


「桐島先輩と仲良くなって、完璧に編集した凪の声を桐島家のホームシアターで大音量で流して、イケボで全身包まれたいだけなんだからね!」

「それは言わなくていいから!」


 さっきのは、照れ隠しではなかったらしい。

 まさか、純然たる本音だったとは。

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