桐島エリスの消失②:陸上少女、おめかしさせる
先輩が家に来なくなってから、一週間が経過した。。
その間、ぼくは動くことが出来なかった。
元々、先輩とは最近知り合ったばかりだ。
それなのに、空虚感というか、喪失感というか。
何かが足りないような気分になっていた。
先輩に電話をかけてみたが、先輩が出ることはなかった。
ラインも既読にすらならない。
そんなぼくに『別件』が襲い掛かってきた。
『また、話がしたいんだけど』
夏の暑い日。
澪から電話があった。
『例の事業を進めたいの』
「事業って……」
『録音』
あれかー。
確かに、約束してしまっていた。
出来れば有耶無耶のままにしておきたかったけど。
この様子だと、それは無理なようだ。
『一度、そっちに行くから』
「こっちに来る必要あるのか?」
『あるわ』
「あるのか。何か用意しておくものとか、あるか?」
『それはいいわ。こちらで用意するから。それじゃ、今から行くわ』
「分かった」
×××
澪はすぐに家に来た。
その手には、大きな紙袋があった。
家の中に入るなり、澪はその中身を取り出した。
「これに着替えて」
「え?」
紙袋の中身は服だった。
奇麗に折りたたまれている。
サイズは澪のものにしては大きい。
まさか、今日のために買ったのだろうか。
「凪は普段、身だしなみに気を使わないでしょ?」
「まぁ」
「今日は本格的にやるから」
澪の言うとおり、ぼくは身嗜みに気を使わない。
そりゃあ、寝癖を直すくらいはする。
でも、それ以上のことはしない。
ぼくのような陰キャは、色気づくだけ無駄なのだ。
そんな陰キャに対し、澪は『改造』を試みた。
まず、髪にワックスをかけて整える。
眉の手入れも行い、顔の雰囲気に爽やかさを加えた。
これだけで、普段とは全く違う顔つきになった。
思わず「これが、ぼく……」とか言いそうになったほどだ。
澪による改造は終わらない。
次は服装だ。
普段はいつも同じデニムパンツを穿いている。
だけど、今日は澪が用意したスキニーパンチに脚を通した。
これで、足のラインがシュッと奇麗に見えるらしい。
上は、黒のパーカーだ。
これだけなら、これまでと同じだと言っていい。
だが、今日はその上にジャケットを羽織った。
これが一段上のおしゃれだというのだ。
「よし、完璧!」
そう言って、澪はぼくの背中をパンッと叩いた。
その表情は、とても満足げだった。
「うん、綾香さんを姉に持つ以上、磨けば光ると思っていたわ」
鏡に映った自分の姿を見る。
今どきのお洒落な男子高校生といった雰囲気になっていた。
まさに『変身』と言ってもいいくらいだ。
「これで、完全に私の『彼氏』ね」
「彼氏って……」
「ほら、この前、付き合ってるって言っちゃったじゃない。今日は、私の家に来てもらうんだから、当然私の家族とも会うことになるわ。だから、しっかりと、そういう格好をさせておきたかったの」
あー、あったなー。
朝比奈家では、ぼくはそう言うことになっていた。
「それに、こっちのほうが気分がアガるじゃない。これから、凪のイケボを録音するのよ。声だけじゃなく、見た目にもこだわりたいわよね!」
「さいですか」
まぁ、ぼくとしても悪い体験ではない。
これまでとは違うスタイルも新鮮だ。
再現性はないかもしれないけれど、
「ああ、そうだ。あの本を持ってきて」
「あの本?」
「私が落とした本。『未だ熟せず』ってやつ。何故か、凪が拾って『ぼくの本だ』って言ってたよね?」
「あれ、お前のだったのか!?」
「そうだけど?」
澪は不思議そうにしている。
あの小説は、性的描写のある小説だった。
表紙を一目見ただけで分かる。
だから、てっきり桐島先輩のものだと思っていた。
先輩の秘密がバレないように、ぼくのものということにしておいたのだが。
「言っておくけど、それは変な内容じゃないからね。ちょっとアレなシーンもあるけど、実写映画化もされたベストセラーなんだから」
「ああ、知ってるよ」
「今日の収録は、アレを使うから。そもそも、学校に持って行ったのも、アレを事前に読ませるためだったんだからね」
「……どういうこと?」
「とりあえず、私の家に行くわよ」
有無を言わせない口調で澪は言った。
ぼくは言われるがまま、澪についていった。
×××
ぼくたちは、一緒に澪の家に行った。
家の中に入ると、澪の母親が出てきた。
「あら、いらっしゃい」
「おじゃまします」
ぼくは頭を下げた。
澪の母親は、ニマニマとぼくの姿を見た。
今日は、彼氏として澪の家族に紹介されることになる。
――うん、帰りたい。
だが、ここまでおぜん立てされたのだ。
帰るわけにはいかない。
ぼくはリビングに連れていかれた。
そこには、朝比奈家の面々が勢ぞろいしていた。
「父の太郎です」
「母の花子です」
「弟の三郎です」
「本人の澪です」
一斉に自己紹介をされた。
面食らっていると、澪が目配せをして来た。
そう言えば、一つ目の目的は『彼氏』の紹介だった。
「初めまして。澪さんとお付き合いさせていただいている、佐藤凪です」
出来る限りしっかりした声で、ぼくは言った。
四人の視線が集まってくる。
「それにしても、格好いいじゃない」
「イケメンや。イケメンが我が家におる」
澪の両親が感想を言う。
概ね好評のようで、一安心だ。
ここまでやって悪く言われたら、立ち直れない。
「ところで、いつから付き合っているのかな?(朝比奈父)」
「中間テストが終わったあたりですね。テスト前は部活動が休止されていたので、一緒に勉強をしていました。その時に意気投合し、付き合うことになりました」
「お互いに、どのように呼び合っているの?(朝比奈母)」
「互いに名前を敬称なしで呼んでいます」
想定される問題に対して、予め用意した回答をしていく。
高校入試の時の面接がこんな感じだったな。
――付き合ってもない人の家族を相手に、何をしているんだろうな。
そんな思いがよぎった。
だが、面談はつつがなく進んでいく。
そして――。
一区切りついた辺りで、澪の弟がふと漏らす。
「どこかで聞いたことがある声……。あ、そうだ。姉ちゃんの部屋から聞こえてくる声だ」
「澪の部屋から?」
ぼくの声を編集でもしているのだろうか。
そう思っていたのだが、話は思っていたよりもディープだった。
「目覚まし時計とか、色々な所に使われている」
「色々な所って……」
「部屋に入ると『お帰り』って声が流れたり――」
弟君の言葉は、途中で止まった。
いつの間にか、澪は弟君の背後に回っていた。
そして、爪を喉元に突きつけながら、耳元で何かを囁いている。
弟君は、無言のまま首を縦に振っていた。
何これ、怖い。暗殺者のやり口だろ!
「もう、これくらいでいいでしょ?」
「そうね。大体満足したわ」
「またいつでも遊びに来てくれ」
澪の両親が親切に言ってくれた。
ぼくに対しても、好意的に接してくれている。
でも――。
――偽物の彼氏なんだけどな。
彼らを騙していることに、少しだけ罪悪感を持った。
これは、このままにしておいていいのだろうか。
放置しておくと、後で面倒なことになる気がする。




