桐島エリスの消失①:氷の姫君、軟禁される
桐島先輩が学校に来なくなってから、一週間が経過した。
学校には『家庭の事情』で欠席するという連絡が来ているらしい。
桐島家のお嬢様なのだから、様々な家の事情があることだろう。
そこは疑われず、学校では騒ぎにならなかった。
先輩が、どこで何をしているのか。
少しだけ気になっていたが、探したりはしなかった。
家庭の事情とやらに他人が踏み込むべきではないだろう。
だが――事はそう単純なものではなかった。
×××
この日、先輩の関係者がぼくの家を訪ねて来た。
家に帰ると、家の前にメイドさんがいた。
メイドさんである。
エプロンドレスに身を包んだ、まごう事なきメイドさんである。
己の生み出した幻覚か。
まさかぼくの深層心理にメイド萌えが存在したとは。
そう思いもしたが――実際にそこにいた。
非実在メイドではなく、実在するメイドだった。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「え?」
ぼくはメイドを雇った覚えはない。
何事かと思ったが、よく見たら秋山さんだった。
秋山公子――桐島家に雇われた使用人だ。
文藝部からぼくの家に本を運んだ時に、軽トラを運転していた人。
「冗談です」
「冗談って。その恰好は――」
「佐藤様の趣味に合わせてみました」
「そんな趣味はありませんが!?」
「冗談です。そして、念のため申し上げておきますが、私の趣味でもありません。断じて」
断じて、の部分に力が入っていた。
「それで、その恰好はどういうことなんですか?」
「まずは、部屋の中に入れていただけませんか? ここは人目に付きます。私を辱めたいというのであれば、嫌々お付き合いしますが」
「どうぞ、中へ!」
秋山さんを家の中に入れる。
我が家に、メイドさんを連れ込んでしまった。
何だか、超えてはいけない一線を越えてしまったような気がする。
まぁ、冗談はここまでにしておいて――。
この人が来るのは、本を運び込んだ時以来だ。
時折先輩の家には来ていたらしいが、詳しくは知らない。
「それで、お話というのは?」
「エリスお嬢様に頼まれて、鍵をお渡しに参りました」
秋山さんは、鍵をぼくに手渡した。
これは『秘密の部屋』の鍵だ。
ぼくも同じものを持っている。
だから、先輩が持っているままでも問題ない。
それを敢えて渡したということは――。
「先輩は、もうここに来る気がないということですか?」
「おそらくは、そういう意味かと。それと、お嬢様からの伝言です。『この部屋にあるものは、自由にしていただいて構いません。ただ、押し入れにある物だけは改宗させていただきます』だそうです」
「物まねする必要ありました?」
「そちらの方が伝わるかと思いまして」
何だか、メイド服バージョンの秋山さんは、ノリがおかしい。
そのあたりに言及したら、怒るだろうか。
それよりも気になるのが――。
「押し入れにあるもの?」
「はい。あの部屋に入ってもよろしいでしょうか?」
「それは、構いませんが」
ぼくは秋山さんを『秘密の部屋』に案内した。
部屋の中を見た秋山さんは、ほんの一瞬目を見開いた。
「前より悪化……いえ、個性的になっていませんか?」
「そうですね……」
制限のなくなった先輩が、次々と持ち込んできたのだ。
この部屋に来ないなら、引き取って欲しいのだが――。
「それでは、失礼します」
秋山さんは、押し入れを開けた。
そして、そこから封筒を取り出した。
A4サイズくらいのもので、それなりに厚みがある。
一体、何が入っているのだろうか。
「なんですか、それ」
「私も中身は知りません。ただ『中を見ることなく確保してほしい』と仰っていました」
「……こっそり開けてみるというのは」
「駄目です」
「ですよねー」
中身は気になるけれど、まぁいい。
それよりも、この機会に先輩の現状について聞いておくことにしよう。
「桐島先輩は、どうしているんですか? どうして突然いなくなったのですか? 学校にも来ていませんし」
あの時ぼくが拾った本――『未だ熟せず』。
あれに、何らかの原因があるのではないかと思っていたのだが――。
「エリス様は今、家に『幽閉』されています」
「幽閉?」
「この家に入り浸っていることが、父親である桐島権蔵にバレました。同時に、この部屋の存在もバレてしまいました」
「この部屋……」
ぼくは改めて部屋の中を見回す。
18禁の本。
美少女の姿のフィギュア。
タペストリーやポスター。
うん、酷いな。
「どこまでバレたんですか?」
「どこまで、と仰いますと?」
「ただの漫画部屋だと思われているのか。それとも、過激な漫画や小説が沢山ある部屋だとバレているのか」
「全てです」
端的な答えだった。
だが、その端的さが自体の深刻さを物語っていた。
委細漏らさず。問題ないところから致命的な所まで。
その全てがバレてしまっている。
「でも、どうやって調べたのですか? この部屋の中身は、ぼくと桐島先輩と秋山さんしか知らないはずです」
「私が話しました」
躊躇なく、秋山さんは答えた。
「何故ですか?」
「そうしなければ、佐藤様の立場が悪くなっていました」
「ぼくの?」
「お嬢様は、ここで卑猥なコンテンツに耽溺しています。それが佐藤様に強いられているものであるなら、桐島権蔵は佐藤様をただでは済まさないでしょう。その義姉である佐藤綾香様のお仕事にも、影響が出るかもしれません。ですから、お嬢様の意思であること、佐藤様は巻き込まれただけであることを伝えました」
何をされるか分からない。
だから、事実を話した。
「……ぼくのために」
「お嬢様のためでもありました。この件で佐藤様に害が及ぶようであれば、お嬢様は気に病むことになります。ですから、この件でお嬢様が私を恨むということはあり得ません」
「でも、趣味はバレてしまった」
バレた相手は、先輩の父親だ。
こういう趣味は、特に身内には知られたくないだろう。
「以前もあったのです」
「え?」
「お嬢様の趣味が桐島権蔵にバレてしまったことがありました。あの時、お嬢様は傷つきました。私達はお嬢様のために尽力したのですが、それでも足りなかった」
予想はつく。
先輩は、自宅でも安心することが出来なかった。
一人暮らしであるはずなのに、勝手に入られ、調べられた。
だから、ぼくの家に入り浸るようになった。
それほどまでに厳格な家なのだろう。
漫画やアニメなどの趣味は有害認定されるに違いない。
ましてや、過激な表現のあるものはなおさらだ。
「あの、それじゃあ、桐島先輩は、自分の意思で出ていったわけではないのですか?」
「全ては、桐島権蔵様が決められました」
桐島権蔵――桐島先輩の父親。
日本に大きな影響を持つ桐島重工の社長。
彼の意向には、桐島先輩も逆らえないのだろう。
「あの方は恐ろしい方です。あの方は、自らの欲望のためにエリス様を利用するおつもりなのです」
ぼくの脳裏に『政略結婚』というワードが浮かんだ。
見目麗しいお嬢様――政略結婚にはこの上ない人材だ。
だが、それで先輩は幸せになれるのだろうか。
父親の都合で結婚をさせられる。
それが彼女の幸せなのだろうか。
「ぼくに出来ることはありますか?」
相手は、桐島重工の社長だ。
ぼくごときに何か出来るとも思えない。
だけど、気が付けばそう尋ねていた。
先輩のために、何かしたいと思っていた。
だけど――。
「……さぁ?」
「さぁ!?」
おいおい、いくらなんでも、そりゃないだろう。
ちょっとだけ覚悟を固めて尋ねたというのに。
「あくまでも、部屋からこの荷物を引き上げるついでにお話ししたまでです。佐藤様に何かをしていただくということは期待していません」
「……そうですか」
「ですが、何もするな、ということでもありません」
「え?」
「佐藤様には伝えておいた方がいいように思えたのです。何も知らないまま全てが終わってしまうというのは、佐藤様のためにもお嬢様のためにもならないと考えました」
秋山さんは言った。
おそらく、ぼくが何らかの行動に出ることを期待しているのだろう。
でも、これは、家庭の問題だ。
ぼくが何かをしたとして――。
現実的に考えて、それが迷惑にしかならないことも考えられる。
この問題に介入する資格はぼくにはない。
桐島先輩とぼくの関係は、ただの先輩と後輩でしかないのだ。
「秋山さんは、何かしないのですか?」
「私には何もできません。私は一介のメイドでしかありませんから」
一介のメイド。
すごく気になる単語だ。
自分の意思でメイド服を着ているわけではないとは言っていた。
だが、もしかしたら気に入っているのかもしれない。
「既にエリス様の担当も外されています。このメイド服は、桐島家の一般使用人の制服です。私以外にも、この服を着ている使用人は沢山います」
秋山さんは、釘をさすように言った。
「それでは、私は失礼します」
秋山さんは、帰って行った。
軽トラだった。
メイド服に軽トラ。
似合わないにも程があった。




