消えたUSB②:氷の姫君、依頼する
この事件にぼくが関わることになった切欠。
その一つは、担任である桜井先生だった。
掲示板に張り紙があった日、桜井先生はあからさまに落ち込んでいた。
「はーい。それじゃあ、いない奴はいないな~」
話す内容だけは、いつも通り。
だけど、いつもの溌溂さは失われていた。
何度も下を向き、ため息をついていた。
あの人は軽い性格をしているから、こういうことは珍しい。
「連絡事項は、特にないな。それじゃ、今日もがんばれー」
そう言って、先生はとぼとぼと教室を出ていった。
直後、教室内は、何事かと騒ぎになった。
桜井先生は、いつも「元気だけが取り柄」と自称していた。
これは、明らかに異常事態だ。
誰もがその原因を知りたがったのだが――。
「職員室で騒ぎが起きたらしいよ」
「騒ぎ?」
「USBがなくなったんだって」
事情を知る生徒が、その原因を話し始めた。
USBというのは『USBメモリ』のことだろう。
パソコンに挿して使う、小さな記録媒体。
よく紛失がニュースになるやつだ。
それで大体の事情は呑み込めた。
桜井先生は、USBを失くしたのだ。
そこには個人情報が入っていたのだろう。
更に、脅迫文が掲示された。
使われた個人情報は、そのUSBに入っていたものなのだろう。
それなりに叱責されるだろうし、処分を受けるかもしれない。
意気消沈するのも当然だ。
――まぁ、上手くやってもらうしかない。
僕には関係のないことだ。
そう考えていたら――。
「佐藤さん」
桐島先輩が現れた。
注目は集めたが、すぐに周囲の反応は薄くなく。
先輩の来訪は、もはや珍しいイベントではなくなりつつあった。
「少しお話、よろしいでしょうか?」
先輩は、申し訳なさそうに言った。
これは、相談事があるパターンだ。
だけど、その内容に心当たりがなかった。
とりあえず、ぼくは先輩と一緒に廊下に出た。
「職員室での騒動、なんとか出来ませんか?」
先輩は、そう尋ねた。
「騒動って、USBの紛失ですか?」
「ええ、そうです」
「先輩が気にすることですか?」
「桜井先生にはお世話になっているので」
そういえば、文藝部の顧問が桜井先生だった。
先輩のコレクションが無事なのは、あの人のおかげではある。
まぁ、放置していただけということもあるけれど。
「ですから、何とかして、力になりたいのです」
「そう言われても……」
事件は職員室で起きている。
生徒が介入するのは難しいだろう。
先生たちも迷惑がるだろうし、気が進まない。
そう思っていたら――。
「あの、桐島先輩」
教室から澪が現れた。
ぼくの前に立ち、桐島先輩に食って掛かる。
「はい? ああ、朝比奈さん。先日はお世話になりました」
「いえ。それよりも、凪に何かをさせるつもりですか?」
「出来れば、力を貸していただきたいと思っています」
「駄目です」
澪の剣幕に、桐島先輩は目を丸くした。
「凪には、そういうのは向いていません。ですから、頼まないで上げてください」
桐島先輩はぼくを見た。
先輩には、中学生の頃の出来事を話してある。
だから、色々と察してくれたようで――。
「分かりました。お騒がせしてすみません。それでは、失礼しますね」
そう言って、頭を下げた。
そして、立ち去ろうとした瞬間――。
床に一冊の本が落ちた。
それは、過激な表紙の文庫本。
帯には『日本よ、これがエロスだ』と書かれていた。
そのタイトルは――。
『未だ熟せず』
――また、やらかしたな。
桐島先輩を見る。
彼女は、顔面蒼白だった。
明らかに動揺している。
このままでは、彼女の秘密がバレかねない。
だから――。
「それ、私の――」
「ああ、落ちたか」
先輩が何かを言おうとしたが、ぼくは遮った。
そして、本を拾い上げ、自分のポケットに入れた。
幸い、廊下にはぼくたち以外誰もいない。
教室の中からは、落ちたのがどんな本なのかは見えなかっただろう。
とりあえず、ここはぼくが預かっておくことにして――。
「今回の件、協力をすることは出来ません」
ぼくは、改めて先輩に言った。
「はい、分かりました」
「では、失礼します」
ぼくは澪を連れて教室に戻った。
桐島先輩も、その場から離れていった。
関わらなくていいものには関わらない。
最近ブレつつあったけれど、これがぼくのスタンスだ。
余計なことをして、澪に心配をかけたくはない。
先輩は残念そうだったけれど――これでいい。
ちなみに――クラスに戻ると、無駄に注目を集めていた。
澪は冗談めかして「修羅場なの?」とか聞かれていた。
そんなもの、あるわけがないのに。
×××
結局、拾った本は家に持って帰った。
後で先輩が来た時に渡せばいい。
というか『秘密の部屋』に置いておけばいい。
そんなことを考えながら、ぼくはその本を手に取っていた。
表紙には、露出の多い少女のイラスト。
そして帯には『これがエロスだ』という煽り文。
ただ、18禁マークはついていなかった。
これは、一応全年齢を対象としたものなのだろうか。
他にも、気になることがある。
これは、先輩が持ち歩いていた本だ。
人に見られるリスクを負ってまでも持ち歩きたい本。
つまり、この本には、それだけの魅力があるのではないだろうか。
そう考えると、俄然内容が気になってくる。
「返す前に、読んでみるか」
ぼくはそう呟き、ページを捲り始めた。
とたんに、ぼくはこの本を知っていることを思い出した。
読んだことこそないものの、その本に関する評判は何度も聞いた。
『未だ熟せず』
本をほとんど読まないぼくでも聞いたことのあるタイトルだ。
数年前に、日本中で大流行したベストセラー。
内容は、高校生を主役にした恋愛ものだ。
さらに言ってしまえば『余命もの』らしい。
ヒロインに対する愛着を読者に持たせたうえで、ヒロインを死なせる。
ついでに『読者が一時間泣き続けた』というお決まりの宣伝文句もあった。
まぁ、言っちゃ悪いが、よくあるパターンだ。
だけど、この本は売れた。
他の余命ものとは一線を画す魅力があったらしい。
ただ、非常に過激な性描写があるらしく、それが物議をかもしていた。
全年齢向けのまま売ってもいいものなのか――喧々諤々の議論が生まれた。
さて、実際はどんなものなのか――。
ぼくはページを捲り始めた。
×××
二時間後――。
ぼくは滂沱の涙を流していた。
1リットルの涙を流したような気がする。
それほどまでに、感動的な物語だった。
文章の全てが美しく、芸術的だった。
確かに、性的な描写もあった。
多くあった。
だが、それは必要な描写だ。
余命幾許もなく、必死に生きるヒロイン。
死ぬまでに一生分の幸せを経験しようとするが故の過激さ。
それが、行動と描写を過激なものにさせていたにすぎない。
ただの猥褻表現として切り捨てるべきものではない。
それにしても――。
何故編集者はこれをエロ方面で売り出そうとしたのだろうか。
こんな美しい物語で、そんなことをしてしまったのか。
帯の『日本よ、これがエロスだ』なんて、そぐわないにも程がある。
――先輩が来たら、感想を伝えてみよう。
ぼくはそう考えた。
だけど、この日、先輩は家に来なかった。




