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お隣の氷姫は、ぼくにだけ微笑む  作者: こねこねこ
第3章 佐藤綾香の秘密

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消えたUSB②:氷の姫君、依頼する

 この事件にぼくが関わることになった切欠。

 その一つは、担任である桜井先生だった。

 掲示板に張り紙があった日、桜井先生はあからさまに落ち込んでいた。


「はーい。それじゃあ、いない奴はいないな~」


 話す内容だけは、いつも通り。

 だけど、いつもの溌溂さは失われていた。

 何度も下を向き、ため息をついていた。

 あの人は軽い性格をしているから、こういうことは珍しい。


「連絡事項は、特にないな。それじゃ、今日もがんばれー」


 そう言って、先生はとぼとぼと教室を出ていった。

 直後、教室内は、何事かと騒ぎになった。

 桜井先生は、いつも「元気だけが取り柄」と自称していた。

 これは、明らかに異常事態だ。

 誰もがその原因を知りたがったのだが――。


「職員室で騒ぎが起きたらしいよ」

「騒ぎ?」

「USBがなくなったんだって」


 事情を知る生徒が、その原因を話し始めた。

 USBというのは『USBメモリ』のことだろう。

 パソコンに挿して使う、小さな記録媒体。

 よく紛失がニュースになるやつだ。


 それで大体の事情は呑み込めた。

 桜井先生は、USBを失くしたのだ。

 そこには個人情報が入っていたのだろう。

 更に、脅迫文が掲示された。

 使われた個人情報は、そのUSBに入っていたものなのだろう。

 それなりに叱責されるだろうし、処分を受けるかもしれない。

 意気消沈するのも当然だ。


 ――まぁ、上手くやってもらうしかない。


 僕には関係のないことだ。

 そう考えていたら――。


「佐藤さん」


 桐島先輩が現れた。

 注目は集めたが、すぐに周囲の反応は薄くなく。

 先輩の来訪は、もはや珍しいイベントではなくなりつつあった。


「少しお話、よろしいでしょうか?」


 先輩は、申し訳なさそうに言った。

 これは、相談事があるパターンだ。

 だけど、その内容に心当たりがなかった。

 とりあえず、ぼくは先輩と一緒に廊下に出た。


「職員室での騒動、なんとか出来ませんか?」


 先輩は、そう尋ねた。


「騒動って、USBの紛失ですか?」

「ええ、そうです」

「先輩が気にすることですか?」

「桜井先生にはお世話になっているので」


 そういえば、文藝部の顧問が桜井先生だった。

 先輩のコレクションが無事なのは、あの人のおかげではある。

 まぁ、放置していただけということもあるけれど。


「ですから、何とかして、力になりたいのです」

「そう言われても……」


 事件は職員室で起きている。

 生徒が介入するのは難しいだろう。

 先生たちも迷惑がるだろうし、気が進まない。

 そう思っていたら――。


「あの、桐島先輩」


 教室から澪が現れた。

 ぼくの前に立ち、桐島先輩に食って掛かる。


「はい? ああ、朝比奈さん。先日はお世話になりました」

「いえ。それよりも、凪に何かをさせるつもりですか?」

「出来れば、力を貸していただきたいと思っています」

「駄目です」


 澪の剣幕に、桐島先輩は目を丸くした。


「凪には、そういうのは向いていません。ですから、頼まないで上げてください」


 桐島先輩はぼくを見た。

 先輩には、中学生の頃の出来事を話してある。

 だから、色々と察してくれたようで――。


「分かりました。お騒がせしてすみません。それでは、失礼しますね」


 そう言って、頭を下げた。

 そして、立ち去ろうとした瞬間――。

 床に一冊の本が落ちた。

 それは、過激な表紙の文庫本。

 帯には『日本よ、これがエロスだ』と書かれていた。

 そのタイトルは――。


『未だ熟せず』


 ――また、やらかしたな。


 桐島先輩を見る。

 彼女は、顔面蒼白だった。

 明らかに動揺している。

 このままでは、彼女の秘密がバレかねない。


 だから――。


「それ、私の――」

「ああ、落ちたか」


 先輩が何かを言おうとしたが、ぼくは遮った。

 そして、本を拾い上げ、自分のポケットに入れた。

 幸い、廊下にはぼくたち以外誰もいない。

 教室の中からは、落ちたのがどんな本なのかは見えなかっただろう。

 とりあえず、ここはぼくが預かっておくことにして――。


「今回の件、協力をすることは出来ません」


 ぼくは、改めて先輩に言った。


「はい、分かりました」

「では、失礼します」


 ぼくは澪を連れて教室に戻った。

 桐島先輩も、その場から離れていった。

 関わらなくていいものには関わらない。

 最近ブレつつあったけれど、これがぼくのスタンスだ。

 余計なことをして、澪に心配をかけたくはない。

 先輩は残念そうだったけれど――これでいい。


 ちなみに――クラスに戻ると、無駄に注目を集めていた。

 澪は冗談めかして「修羅場なの?」とか聞かれていた。

 そんなもの、あるわけがないのに。


     ×××


 結局、拾った本は家に持って帰った。

 後で先輩が来た時に渡せばいい。

 というか『秘密の部屋』に置いておけばいい。


 そんなことを考えながら、ぼくはその本を手に取っていた。

 表紙には、露出の多い少女のイラスト。

 そして帯には『これがエロスだ』という煽り文。

 ただ、18禁マークはついていなかった。

 これは、一応全年齢を対象としたものなのだろうか。


 他にも、気になることがある。

 これは、先輩が持ち歩いていた本だ。

 人に見られるリスクを負ってまでも持ち歩きたい本。

 つまり、この本には、それだけの魅力があるのではないだろうか。

 そう考えると、俄然内容が気になってくる。


「返す前に、読んでみるか」


 ぼくはそう呟き、ページを捲り始めた。

 とたんに、ぼくはこの本を知っていることを思い出した。

 読んだことこそないものの、その本に関する評判は何度も聞いた。


『未だ熟せず』


 本をほとんど読まないぼくでも聞いたことのあるタイトルだ。

 数年前に、日本中で大流行したベストセラー。

 内容は、高校生を主役にした恋愛ものだ。

 さらに言ってしまえば『余命もの』らしい。

 ヒロインに対する愛着を読者に持たせたうえで、ヒロインを死なせる。

 ついでに『読者が一時間泣き続けた』というお決まりの宣伝文句もあった。

 まぁ、言っちゃ悪いが、よくあるパターンだ。


 だけど、この本は売れた。

 他の余命ものとは一線を画す魅力があったらしい。

 ただ、非常に過激な性描写があるらしく、それが物議をかもしていた。

 全年齢向けのまま売ってもいいものなのか――喧々諤々の議論が生まれた。


 さて、実際はどんなものなのか――。

 ぼくはページを捲り始めた。


     ×××


 二時間後――。

 ぼくは滂沱の涙を流していた。

 1リットルの涙を流したような気がする。

 それほどまでに、感動的な物語だった。

 文章の全てが美しく、芸術的だった。

 確かに、性的な描写もあった。

 多くあった。

 だが、それは必要な描写だ。

 余命幾許もなく、必死に生きるヒロイン。

 死ぬまでに一生分の幸せを経験しようとするが故の過激さ。

 それが、行動と描写を過激なものにさせていたにすぎない。

 ただの猥褻表現として切り捨てるべきものではない。


 それにしても――。

 何故編集者はこれをエロ方面で売り出そうとしたのだろうか。

 こんな美しい物語で、そんなことをしてしまったのか。

 帯の『日本よ、これがエロスだ』なんて、そぐわないにも程がある。


 ――先輩が来たら、感想を伝えてみよう。


 ぼくはそう考えた。

 だけど、この日、先輩は家に来なかった。

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