桐島エリスの秘密③:氷の姫君、立ち直る
ぼくはしゃがみ込み、視線を桐島先輩に合わせた。
顔を真っ赤にした先輩は、横目でこちらを見やる。
「この小説、面白かったです」
「……え?」
ぼくは『感想』を述べた。
慰めるでも、許容するでもない。
そんなことをしても、先輩の絶望はぬぐえない。
共感を示し、共犯関係となる。
そうすることで、悪意を向けられていないと理解してもらう。
それが、先輩の心を軽くする唯一の方法なのだ――とぼくは思う。
まぁ、友達がいないから、そのあたりに確信はないけど。
先輩は、不安と期待の入り混じった目をこちらに向けている。
とりあえず、話は聞いてもらえそうだ。
「厳しい環境下で淑女となるべく、人格を否定するような教育を受ける主人公たち。その中で、二人の生徒が出会う。人付き合いの経験がないゆえに、官能小説を勧めるという異常な方法で、風紀委員にアプローチする主人公。最初は反発されながらも、次第に打ち解けていく。そして、密かに友情を培い、最後には学校を変革する。とても面白い小説でした」
これは紛れもない本音だ。
この小説は、とても面白く感動的なものだった。
登場人物たちの心情は美しく、その動きはぼくの心を打った。
主人公たちが結ばれたシーンでは、涙が出そうになるほどに感動した。
「確かに、18禁要素はありました。ですが、それは二人の関係がどれだけ深くなったかを示す要素です。必要な描写でした。淫猥な要素がないとは言いません。でも、それ以上に――美しい描写でした。身体を通して、互いの心に触れる。こうして、互いを理解していく様子が、本当に美しいものに思えました」
アパートのエントランスにて。
18禁小説について、ぼくは熱く語り続けた。
夢中になって読んでしまったこと。
二人の関係が羨ましく思えたこと。
物語の構造の巧みさ、筆致の美しさ。
ぼくの中で燻っていた衝動のようなものを吐き出した。
――ぼくは一体、何をやっているのだろう。
冷静な部分が、時折ツッコミを入れてはいた。
だが、そのツッコミは見て見ぬふりをして話を続けた。
そして最後に――。
「ぼくは、好きです!」
こう言って、感想を締めた。
それを聞いた先輩は、白い肌を一層赤くした。
「え、あの……」
なんだか、愛の告白のようなことを言ってしまった。
もしかして、勘違いさせてしまっただろうか。
「あの、好きというのは、勿論この本のことで」
「私のことは軽蔑していると?」
「いえ、先輩のことは尊敬しています!」
焦りながらそう答えると、先輩は微かに微笑んだ。
それを見て、ぼくは少しだけ安心した。
どうやら、少しは先輩の気を楽にすることが出来たようだ。
だが、それだけではなかった。
氷の天使の微笑――それは、見る人を夢中にさせるほどに可愛らしくて。
ついつい、それをずっと見ていたいと思ってしまった。
もっとも、それで自制できるのが陰キャぼっちの特性だ。
ぼくは努めて冷静に、先輩の表情を見ていた。
その顔には、生気が戻っていた。
瞳が輝きを取り戻し、全身が活力で溢れている。
どうやら、普段通りの――いや、普段以上の状態になったらしい。
「心の友よ!」
先輩は、小さな両手で、ぼくの手を取った。
浮かんだ笑顔は、喜びに満ち溢れていた。
「もう終わりだと思っていました。でも、理解してくれる人がいた。これほど嬉しいことはありません!」
先輩は、最高の笑顔をこちらに向けた。
それは、これまで見たどんなものよりも美しく輝いていた。
蛍光灯に照らされているだけのエントランスが、光で包まれたように錯覚する。
いつの間にか、心臓が早鐘を打っていた。
顔が熱くなり、額から汗が出る。
目が離せず、思わず夢中に――。
――って、待て!
危ない危ない。
危うく恋に落ちるところだったぜ!
だけど、それはすんでのところで回避した。
陰キャの回避スキルは伊達ではないのだ。
回避性能+2は標準装備だ。
ついでに言えば――。
この顔は、R指定の存在しない場面で見せてほしかった。
魅力的な表情ではあるが、原材料が18禁小説なのはいただけない。
いや、感動したのは本当だし、文句をつけるつもりはないのだけど。
「アナタは、いい人ですね」
「そんなことはないですよ」
「いいえ。アナタは、とてもいい人です」
「はぁ……」
何故だか『いい人』認定されてしまった。
まぁ、特に害はないから、それ自体はどうでもいい。
ただ――先輩の言葉には、続きがあった。
「つきましては、お話したいことがあるのですが」
こう言った。
これが、ぼくたちの新たな関係の第一歩だった。
「とりあえず、私の部屋にいらしていただけませんか?」
成程、ぼくが桐島先輩の部屋に――。
え、いいの?
ぼくごときが、先輩の家にお邪魔していいの?
急展開が過ぎる。
拾った18禁小説を読んだら、美少女の部屋に招かれてしまった。
最後に『件』とつければ、ラノベのタイトルになりそうだ。
「あの、ぼくなんかがお邪魔していいのですか?」
「ええ、勿論です。というか、これ以上の会話は、ここでは憚られます」
「あー。ですよね」
「それで、いかがでしょうか?」
桐島先輩は、懇願するような上目遣いで尋ねた。
その魅力に対抗する術を持たないぼくは「うかがいます」と即答した。
かくして、ぼくは先輩宅へと出向くことになった。
勿論、邪な下心などは存在しない。
知的探求心によるものだ。
氷の姫君と呼ばれるお方。
桐島エリス先輩の部屋が、気になって仕方がなかったのである。
それが、桐島先輩の『沼』への招待だったとは。
この時は気づくことが出来なかった。
【次回】
桐島エリスの秘密④:氷の姫君、お願いする
エリスの部屋を訪問する凪。
そこでエリスから、あるお願いをされることになる。
気軽に引き受けた凪は、そのお願いの本質に気づいておらず――。
【お願い】
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