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お隣の氷姫は、ぼくにだけ微笑む  作者: こねこねこ
第1章 桐島エリスの秘密

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桐島エリスの秘密②:氷の姫君、辱められる

 桐島エリスと言えば、ぼくの高校に知らぬ者はいない有名人である。

 雪のような色白の肌に、光を散らす銀髪。

 西洋人形のように整った顔立ち。

 彼女を構成する全てが、美術館に飾られる芸術品のように美しい。

 すれ違う人々(ぼくを含める)は、皆彼女に目を奪われる。


 常に冷静沈着であり、何事にも動じない。

 近寄りがたい雰囲気を持つ、孤高のお嬢様。


 愛の告白をして散った者は、数知れず。

 いつしか、彼女には『氷の姫君』という二つ名がついていた。


 ぼくも、学内でその姿を見かけたことがあった。

 同じ人間とは思えないほどに美しい容姿。

 全てを見通すような、怜悧な眼差し。

 ぼくとは、住む世界が違う――そんなふうに思えたものだ。


 そんな彼女が――。


「た、多分……ですけど……。その……私の、ものです」


 必死に目を逸らしながら、そう告げた。

 指先をもじもじさせ、白い肌は羞恥に染まっている。

 その姿は、学校でのものとはまるで別人だった。


 ――いや、それよりも!


 これが、桐島先輩のもの?

 この18禁小説が?


 ぼくは本を見た。

 次に先輩を見て――もう一度、本を見た。

 うん、状況を理解出来てはいる。

 だけど、それを現実のものとして飲み込めていない。

 桐島先輩と官能小説を結びつけることが出来ない。

 大体、この小説は不審者が落としたもので――。


「先ほど落としてしまったようで……」


 つまり――。

 さっきの不審者はこの御方だと?


 いやいや、それはない。あり得ない。

 この人が、あの不審者のわけがない。

 美少女と不審者は両立しない。

 それが世界の理であるはずだ。


 それに――。

 この人が18禁小説なんて読んでいるはずがない!


 ふぅ、危ないところだったぜ。

 危うく、孤高の先輩の瞳に、エロ小説を入れてしまうところだった。

 そんなことをすれば、射殺すような視線を向けられること請け合いだ。


「あの、何か誤解があるようですが」


 ぼくは本を後ろに隠しながら言った。


「誤解、ですか?」

「これは、おそらく先輩のものではありません」

「いえ、私のものです」

「では、タイトルを言っていただけますか?」

「……え?」


 おそらく、先輩は別の本を落としたのだろう。

 そこに、偶然エロ小説をもったぼくがやって来たというわけだ。


 謎は全て解けた!

 真実はいつも一つなのだ!


 ――いや、本当にそうか?


 ぼくの中の、冷静な部分が語り掛けてくる。

 二人の人間が、同じ日・同じ場所・同じ時間帯で本を落とす。

 果たして、そのような偶然があり得るだろうか。


 ぼくの推理が間違っていたとしたら――。

 これが、本当に先輩のものだったとしたら――。

 ぼくは、このお嬢様に卑猥な発言を強要したことになるのではなかろうか。

 いや、杞憂に違いない――。


「『――たい』」

「……え?」


 先輩の声は、あまりにか細く小さかった。


「すみません、聞こえませんでした」


 ぼくがそう言うと、先輩はキッと睨むような視線を向けて来た。

 その瞳には、僅かに涙が輝いている。

 何これ? どういうこと?

 まさか……。


「ボクは嫌がる君を官能に溺れさせたい! です!」


 先輩は叫んだ。

 その声が、エントランスの中で反響する。

 それが消えると、世界から音が消えたように錯覚した。


 タイトルが一致した。一致してしまった!

 つまりは、この本は本当に先輩のもので……。

 成程――やっちまったぜ!


 背中に、嫌な汗が流れて来た。

 ぼくは今、とんでもないセクハラをかましてしまった。

 エントランスの中心で猥を叫ばせてしまった。


 しかも、丁度先輩が叫んだタイミングで、女性がエントランスに入ってきた。

 女性は驚いた様子でぼくたちを見た後、目を合わせないようにして通り過ぎた。


 ――警察に通報とか、しないよね。


 事情とか、説明したくない――というか、出来ない。

 この状況を、どう説明すればいいのか分からないし。

 いや、それよりも、今は先輩を何とかしなければ。

 このままここで泣き出されでもしたら、死んでしまう!

 ぼくが! 社会的に!


「あ……」


 先輩の顔からは、表情が消えていた。

 虚ろな視線が、中空を向いている。

 究極の現実逃避状態だ。


「あの、先輩」

「……殺すべきか、死ぬべきか。それが問題です」


 先輩は物騒なことを呟いていた。

 殺すべきか、死ぬべきか――両方とも選択しそうで怖い。


「いえ、まだ希望を捨ててはいけません。この方とは初対面。すぐに立ち去れば、私が誰かなど――」

「あの、桐島エリスさんですよね?」

「神は死にました……」


 先輩は膝から崩れ落ちた。

 美しい銀髪が振り乱れ、顔にかかる。


 素性はぼくに知られていないと思っていたのだろう。

 あれ、ここで知らない振りをしていれば、それで解決だったかな。

 既に手遅れだけれど。


「一応、同じ高校に通っています」


 ぼくがそう言うと、先輩はビクリと身体を跳ねさせた。

 視線をそらし、動揺のためか顔に汗をかいている。

 そして――。


「桐島エリス? どこの誰でしょう? もしかして、私のことですか? でしたら、人違いです」


 声を裏返らせながら、そう言った。

 視線を知らし、口角を少し上げながら。

 まるで「全部嘘です」と言わんばかりの態度だ。

 嘘をつくのが苦手ってレベルじゃないだろ。


「あー、そうですね。すみません。人違いでした」

「……人違いません。桐島エリスです」


 気を使って話を合わせたら、今度は正直に告白されてしまった。

 こちらの気づかいは、逆効果だったらしい。

 先輩はこの世の終わりのように脱力し、壁にもたれかかった。


「つまり、同窓生にバレたということになりますね」

「まぁ、そうなります」


 ぼくが答えると、先輩はその場に崩れ落ちた。

 がっくりと俯きながら、早口で独り言を呟いている。


「ああ、もうお終いです。この先、私は18禁小説を愛読する女として蔑まれる人生を過ごすことに――」

「いや、大丈夫ですよ。エロ小説を読むくらい――」

「エロ小説!?」


 先輩は赤くなった目で、こちらを見やった。

 そして、勢い良く立ち上がると、ぼくの両肩を掴んだ。

 目の前の相貌は、先程とはうって変わって、興奮気味に赤くなっていた。


「この名作をエロ小説とおっしゃいました?」

「いや、でも――」

「エロ小説と言って切り捨てるのは、この小説への冒涜です! 断固として許すわけにはいきません! いいですか、その小説は私が敬愛する『あまつか☆えんじぇる先生』が書かれた最新作です! あまつか先生は、あらゆるジャンルの官能小説を書かれる方で――」


 あらゆるジャンルの官能小説ってなんだろう。

 官能小説は、それ自体が一つのジャンルであり、細分化の必要はないように思えるのだけど。

 そんなツッコミを脳内でしたが、口には出さない。

 何故なら、先輩は未だ熱っぽく、早口で語り続けているからだ。


「特に、繊細な心理描写と絡み合った人間関係が大きな魅力になっているのです。私が初めて読んだ天塚先生の作品は『君は珈琲の香りが……』というものなのですが、生きることに悩む男女の苦悩と挫折と再生が緻密な文章で書かれていて、私は感銘を受けました。これを読んだ日から、私には世界がまるで違ったもののように見えるようになったのです。それほどまでに素晴らしいものでした。ですから、今作も非常に素晴らしいものであるに違いなく――」


 そこまで言って、先輩は動きを止めた。

 エントランスが再び静まり返り――。


「……すみません。死にます」


 我に返ったのか、再び虚ろな目になった。

 この世の全てに絶望するように、ぼくの型を掴みながら項垂れている。

 人に見られたら、誤解されかねない状況だ。

 それに、異様に空気が重い。

 気まずさのあまり、逃げ出したくなる。


 ――本を渡してこの場を去ってもいいだろうか。


 だけど、それは良心が痛む。

 こんな状態の彼女を放っておけるだろうか。

 絶望して動けなくなっている彼女を無視できるだろうか。

 出来る、と答える者は人でなしだ。

 少なくとも、ぼくには無理だ。


「あの、先輩」

「……先輩? こんな私のことを『先輩』と呼んでくださるのですか?」

「何か問題でも?」

「『変態』と呼ばなくてよろしいのですか?」

「自虐が過ぎる!?」


 この人、こんなに撃たれ弱かったのか。

 学校では、絶対無敵の孤高の姫君という感じだったけど。

 まぁ、今回のことは、重機で殴りつけたような衝撃的な出来事だったけど。


「今気が付いたのだけれど『先輩』と『変態』って語感が似ていますね。これから、私のことは桐島変態と呼んでいただいて構いません」

「……桐島変態」

「本当に呼ぶのは止めて……」


 桐島変態――おっと、先輩は力なく項垂れていた。

 これでは、下手な慰めは逆効果だ。

 そんな彼女にかけられる言葉をぼくは探した。

 深めの性癖を知られて傷心の女性にかけるべき言葉。


 ――そんなものが、この世に実在するのか?


 常識的に考えれば、そんなものはない。

 だから、ぼくは常識を無視して考えることにした。

 慰めでも、誤魔化しでも、許容でもない。

 先輩を納得させられる言葉。


 それを頭の中で必死に探し――。

 ぼくは、ある『結論』に達した。

【次回】

桐島エリスの秘密③:氷の姫君、立ち直る

 主人公である凪は、エリスを立ち直らせるための言葉をかける。

 その効果は想像以上だったようで――。

 凪とエリスの新しい関係が、始まる。


【お願い】

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