佐藤綾香の秘密①:偏愛義姉、襲い掛かる
我が家のリビング。
フローリングの床の上で、ぼくは仰向けになっていた。
そして、一人の女性が、覆いかぶさるような体勢で、ぼくを見下ろしている。
「凪ちゃん。もっと、近付こう?」
「これ以上近付いたら、シャレにならないことになるだろ!?」
「私は……いいよ?」
艶のある声で、目の前の女性は言った。
目の前――本当に、数センチ先の距離。
今にも唇同士が触れ合いそうになる距離に、彼女の顔がある。
その相貌は中性的で、ショートカットの黒髪に縁どられている。
普段は感情の起伏が少ない彼女だが、今は妙にテンションが高い。
興奮により、笑顔が歪んだものになっている。
何も、好き好んでこんな体勢でいるわけじゃない。
これには止むに止まれぬ事情があるのだ。
この状況の原因は、桐島先輩にある。
責任の九分九厘はあの人にあると言っていい。
残りは、ぼくの運の悪さだろうか。
だが、それを言っても仕方がない。
何も変わらない。
「大丈夫、凪ちゃんの気持ちは、分かっているから。口には出さないけれど、その気持ちは昨日受け取っている」
「昨日のアレは、完全に誤解だ!」
「誤解? どこが?」
「全てだよ! 一から百まで、全て誤解なんだ!」
「納得のいく説明を――しなくていいや」
「説明させてください!」
アレは、完全なる事故だった。
しかも、ぼくに過失のない貰い事故だ。
だけど――。
「どうしたの? 説明は?」
「説明は……出来ない」
考えてみれば、説明は出来ないのだ。
そこには、例によって桐島先輩の秘密が関わっているのだから。
言いあぐねるぼくに、女性は優しい表情を向けた。
「照れなくていいよ。全部、分かっているから」
「この顔が、照れている顔に見えるのか?」
「見える」
「よし、眼科か脳神経外科に行ってこい。アンタは、何も分かってない」
さて――。
この状況を説明させてもらおう。
まず、眼前の女性は『佐藤綾香』。
ぼくの姉である。
とはいっても、血のつながらない義理の姉だ。
小説では、よく『義姉』と表記されることが多い。
そんな彼女が今、ぼくに迫ってきている。
これだけでも、混沌とした状況と言えるだろう。
だが、カオスはこれだけでは収まらない。
「ほら、もっと密着して! 押しとどめることが出来ない感情と欲望を爆発させて!」
ぼくたちの横では、パンツスーツ姿の女性がカメラを構えていた。
彼女もまた、興奮した面持ちをしていた。
というか――。
「いつの間に現れた!?」
「凪の破廉恥な姿を写真撮影するよう、五分前に連絡が来た」
「五分で準備してきたんですか?」
「諸々の準備に40秒。気分を高めるのにコンマ1秒。残りは、移動時間だね」
「いや、でも、鍵がかかっていたんじゃ――」
「綾香さんが予め開けておいてくれたよ」
随分と用意周到なことだ。
「そもそも、写真撮影は重要な要素だ。私抜きでくんずほぐれつを始めようだなんて、許されざることだとは思わないのかい?」
「全く思いません――いえ、そもそも、くんずほぐれつするのがおかしいんです」
「その状況では、説得力がないね!」
彼女は、密着するぼくたちの写真を撮り始めた。
連続写真で。何枚も、何十枚も、何百枚も。
「いいねー、背徳感。出ているよ! でも、足りない! ナギ、もっと強引に行っちゃおう!」
彼女の名は、宇佐美あかり。
姉さんの大学時代の友人だ。
眼鏡をかけており、一見理知的な女性のようにも見える。
だが、彼女の言動は、理知とはかけ離れていた。
「それじゃあ、凪ちゃん。覚悟して」
そう言いながら、姉さんは情熱的な瞳をぼくに向けた。
一体、何の覚悟をしろというのだろうか。
ろくでもないものであるということだけは確定しているが。
「安心して。これから起こることは、全て有効活用するから」
「それで、何を安心しろと!?」
姉さんは、抵抗できないぼくに身体を擦り付けて来た。
その柔らかな感触が、ぼくの中に妙な感情を生む。
「いいねー、その困惑した表情!」
とまどうぼくの姿を、宇佐美さんが写真に収め続ける。
「良くありません!」
「必死になって否定する姿も最高!」
「この変態!」
「ありがとうございます!」
「何でお礼を言ったんですか!?」
「『変態』と言われたら『ありがとう』と返す。この業界では、常識だよ!」
「ろくでもない業界ですね!?」
これで、状況は理解してもらえただろうか。
正直、厳しいものがあると思う。
少なくとも、納得はしがたいだろう。
今の状況を端的に言ってしまえば――。
ぼくは今、義理の姉に押し倒されている。
そして、その姿を姉の友人に撮影されている。
こういうことだ。
全く――。
「……どうして、こうなった」
ぼくは呟いた。
だが、その原因は分かっている。
分かり切っている。
それを一言で言ってしまえば――。
『桐島先輩が悪い』
やはり、こういうことになる。




