図書室の謎⑤:氷の姫君、肯定する
澪が去った後――。
ぼくは先輩と一緒に、新たな隠し場所に行った。
そこから一冊の本――先輩が借りていた『官能小説の歴史』を抜き出す。
図書室に戻り、返却処理をしてから本棚に戻した。
これで、督促状に名前が載ることはないだろう。
その後、先輩には先に帰ってもらった。
ぼくは職員室に鍵を返しに行かないといけないし、一緒に帰るのは目立つだろう。
職員室では、司書に澪の手伝いをしていたことを告げた。
手伝いが必要だったことを強調しておく必要がある。
家に帰ると、すぐに先輩に連絡をした。
すると、先輩はすぐに家にやって来た。
今日は、既にパジャマを着ていた。
部屋に来るなり『秘密の部屋』のソファーに収まった。
「先輩の本は、抜き取って返却処理をしておきました」
「はい、確認しました」
先輩は、スマホの画面をぼくに見せた。
そこには、昨日借りた『夏への扉』だけが貸出中として表示されていた。
「さて――」
桐島先輩は、ソファーの隣の席をポンポンと軽くたたいた。
ここに座れ、という意味だろう。
ぼくはそれに従った。
「凪」
桐島先輩がぼくの顔をじっと見つめていた。
その瞳に、全てを見透かされているような気分になる。
「二つ、聞きたいことがあるのですが」
「何でしょう?」
「一つ目は、昨日に私たちがしたことについてです。あれには、どんな意味があったのですか?」
昨日したこと。
おそらく、借りた本をすぐに返したことだろう。
あれは、木曜日の担当を確実に追い詰めるために必要だったのだ。
「ああしておかないと、木曜日の担当が『放課後になった時点で既に本はなくなっていた』と主張することが出来てしまうんです」
「……どういうことです?」
「『木曜日の日中に、何者かが職員室から図書室の鍵を持ちだし、返却ボックスから本を取り出してどこかにやってしまった。だから、放課後に図書委員が返却ボックスを開けた時点で、ボックス内の本はなかった。だから、返却処理をしていないのは、自分のせいではない』。そう主張出来てしまいます」
「確かに、可能性としてはゼロではありませんね。でも、それを信じてもらえるでしょうか?」
「五分五分だと思います。ただ、そう主張する可能性がある以上、それは潰しておく必要がありました。その為に、借りた本をすぐに返却ボックスに入れたのです。木曜日の担当が鍵を持っている時間に返却ボックスに入れられた本については、他の誰かが持ち去ることは出来ません。確実に」
「……ああ、そういうことだったのですね」
先輩は「細かい所までよく気が付きますね」と褒めてくれた。
だが、その言葉には心が籠っていないように感じられた。
「それでは、二つ目の疑問点」
先輩は身体をこちらに向けた。
どうやら、こちらのほうが本命らしい。
「私はこれまで、それなりの時間をアナタと一緒に過ごしてきました。そこで、気が付いたことがあります」
「何ですか?」
「アナタは、おそろしい位のお人よしだということ」
完全に予想外のことを言われてしまった。
そのせいか、言葉が出ない。
「割とひねくれたことを言うけれど、人が困っていると見捨てられない。そんな性格をされています」
「そんなことは――」
「私を助けてくれました」
「……でも、そんなことは誰だってやることです」
だから、ぼくが特別なわけじゃない。
でも、先輩は「それは間違っています」と断言した。
「誰だってやること、ではありません。嬉々として私の秘密を吹聴しようとする人もいます。好奇心に負けて、それに群がる人もいます。でも、凪は助けてくれました。アナタはそれが出来る人です」
確かに、ぼくはそうした。
でも、それが何だというのだろうか。
「そんなアナタがここまでやった理由が『自己満足』というのは、おかしいと思うのです。朝比奈さんのためになる何かがあると、私は確信しています」
これが本題だったようだ。
その推測は的外れ――というほどではなかった。
「それでは、説明をしていただけますか?」
先輩はまっすぐぼくを見据える。
これは、説明をするまで終わらないだろう。
ぼくは観念した。
「そうですね。何から説明したものか――」
最初からだろう。
ぼくはこの人の秘密を知っている。
だから、この人から秘密が漏れることはない。
それならば――。
話してしまってもいいのだろうか。
中学生の時の出来事を。
それ以前からの出来事を。
「ぼくは『探偵体質』だったんです」
「……なんですか、それ」
「昔から、ぼくの周りでは、事件が沢山起きました。ぼくはそういう謎を解くのが得意だったから、片っ端から関わってきました。そうしているうちに『探偵体質』なんて呼ばれるようになりました」
今思えば、調子に乗り過ぎていた。
必要以上に事件に関わろうとしてきた。
そして、秘密を解き明かそうとしていた。
それがぼくの才能だと信じ――。
踏み込むべきではないところまで、何度も踏み込んでいた。
「上手くいったこともあります。時には、大きな失敗もしました。それでも、周囲はもてはやしてくれました。ただ――中学二年生の時、決定的な失敗をしました」
澪が巻き込まれた窃盗事件。
あの時のことは、思い出したくもない。
だけど、先輩に話すためには、細部まで思い出さなければならない。
胸が苦しくなるのに耐えつつ、ぼくは話を続けた。
「クラス内で、窃盗事件が起きたんです。それで、体育の授業中に一度教室に戻った澪が疑われることになりました。でも、澪がそんなことをするはずがありません。だから、ぼくは必死になって真相を追求しました。そして、真実を明らかにしました。犯人は、六本木という奴で、クラスの人気者でした。澪よりも。勿論、ぼくよりも」
「どうなったのですか?」
「真実は役に立ちませんでした。犯人の作り出した雰囲気によって、逆にぼくが犯人扱いされることになりました。それを庇おうとした澪も同じような扱いを受けました」
あの時は、人生が終わったような気分になっていた。
ぼくは正しいはずなのに。
真実を明らかにしたはずなのに。
教室内は、ぼくに対する敵意に溢れていた。
それに澪も巻き込まれてしまっていた。
「その雰囲気には、教師も逆らえなかった。あの時、六本木が笑っていたのを覚えています。『違う』と泣きながら訴える澪の声は、誰にも届きませんでした」
それがぼくの失敗だ。
真実を明らかにするだけでは足りない。
下手をすれば、こちらが逆襲にあってしまう。
「ぼくをもてはやしていた奴らも距離を取り始め――気が付けば『疫病神』というあだ名がついていました」
それでもう懲りた。
何かに踏み込み過ぎると、ろくなことにならない。
自分だけではなく、周囲までも傷つけることになる。
だから――。
ぼくは『他人事』を基本スタンスとした。
関係ない事には、関わろうとしない。
関係ありそうな事からも遠ざかる。
それが、世渡りという物。
生きていくための正解だ。
「澪はその時のことを気にしているんです。元々は、澪が巻き込まれていた事件ですから」
本当に、気にする必要はないのに。
でも、彼女は気にせずにはいられないのだ。
もしかしたら――。
澪がぼくと距離を取り始めたのは、それが原因だったのかもしれない。
また、何かに巻き込んでしまう。
それを避けたかったのかもしれない。
「今回のことも、そうです。ここまでやるべきではなかった。ただ、うっかりあの時の反省を忘れてしまいました」
「それは嘘ですね」
先輩はきっぱりと言った。
何故そんなことが言えるのだろうか。
「凪は、お人よしでありながらひねくれ者でもあります。こんな時に『うっかり』なんてことはあり得ません」
「変な信頼のされ方ですね」
「私が思うに――今回は、どうしてもそれをしなければならなかった事情があるのではないでしょうか? 凪は自己満足だと言っていましたが、騒ぎを大きくする必要があったのでは?」
先輩は澱むことなく言った。
その言葉には、確信めいたものがあった。
「具体的には、どういうことですか?」
「それは分かりません」
「……え?」
「私に分かるのは、凪の人柄だけです。だから、説明をしてください」
その言葉を聞き、ぼくは苦笑した。
謎を解き明かそうとしている人間が、推理もせずに自白を求めている。
それを出来るのが、桐島エリスという人なのだろう。
「彼女には内緒にしておいてください」
この人には、隠し事が出来ない。
いや、やろうとすれば出来るのだろう。
だけど、それが馬鹿馬鹿しく思えてします。
「今回の件――一番の問題は、図書委員としての負担が大きくなっていたことではありません。原因ではあっても、本質ではありません。問題は、陸上部内での澪の立場でした」
澪が悩んでいたのは、仕事量の多さではない。
その結果、陸上部で陰口をたたかれるようになったこと。
そして、顧問がそれを信じ、澪へ酷い対応をとったことだ。
「澪は練習への参加が遅くなることを責められていました。その原因は、木曜日の担当――黒野しおりという女生徒でした。誤解を解くためには、そのことが広く伝わる必要があります。少なくとも、陸上部の関係者までは伝わっていなければなりません。ですが――澪は、それを吹聴できるような性格をしていません」
普通に告発しても『次から気を付ける』で終わってしまうだろう。
教師はわざわざ、問題を大きくしたりしない。
おそらく、澪も何もしないだろう。
それでは、情報が広まらない。
澪を助けることが出来ない。
「だから、問題を大きくしようと思ったのです。それに使えるのは『督促状』でした。督促状に名前が載れば、木曜日までに返却した生徒が騒ぎ出すことになります。次第に、その生徒たちに共通点があること――木曜日に返却したことが分かるでしょう。そうなれば、黒野しおりが疑われ、真実が拡散される」
「それを朝比奈さんの代わりにやったというわけですね?」
「代わり、というのは違うと思いますけど。『澪がやらないこと』を勝手にやっただけです。ですから、やっぱり自己満足なんですよ」
そうだ。
ぼくは、これで満足した。
同じ状況になったら、同じことをする。
この選択に後悔はない。
それでも――。
澪が傷ついてしまったこと。
彼女との間に、再び距離が出来てしまったことには、思うところがある。
「アナタは、本当に優しい人ですね」
桐島先輩は微笑みながら、ぼくの首に腕を回した。
そして、そのままぼくの顔を引き寄せた。
豊かな胸に顔がうずまる。
優しい柔らかさに包み込まれる。
――いや、これ、いいのか?
心臓が跳ねて、呼吸が一瞬止まった。
恋人でもない間柄でやっていいことではない気がする。
このまま体重を預けてしまってもいいのか、分からなくなる。
だけど――。
先輩はそのまま、ぼくの頭をなで始めた。
それが当然であるかのように。
「もしかしたら、凪も酷い目にあってしまうかもしれない。それでも、朝比奈さんを助けたかったのですね?」
それは当然だ。
澪を放っておくことなど出来ない。
最初から、助けないという選択肢などなかった。
「でしたら、私が肯定します」
「え?」
「万が一、朝比奈さんが否定したとしても、私は凪の味方になります。クラスで孤立したら、私が毎日会いに行きます」
気恥ずかしかった。
抱きしめられていることよりも。
肯定してもらえたことの方が。
「これ、他の人には絶対にやっちゃだめですよ」
「勿論です。凪以外にはやりません」
「……ぼくになら、やってもいいんですか?」
「つい、我慢できなくなってしまって」
そう言って、先輩はぼくの頭をポンポンと叩いた。
「それにしても、酷いですね。こんな優しい人に『疫病神』なんてあだ名をつけるなんて」
「そうですか?」
「そうですよ。これまで凪の周りで起きてきた事件ですが、凪がいなかったら起きなかったものなのでしょうか?」
「いえ」
「つまり、事件はアナタがいなくても起きたわけです。そして、凪がいなかったら、その事件は解決していなかった。絶対に疫病神ではありません」
理屈の上では、その通りだ。
そのことはぼくも分かっていた。
でも――他人に肯定してもらえるのは、初めてだった。
桐島先輩の言葉は心に沁み込んだ。
それは、彼女が心の底からそう言ってくれているからだろう。
「そもそも、その程度で疫病神と呼ぶなんて、甘すぎます」
「……え?」
「そんなもの『長期連載ミステリ漫画あるある』じゃないですか。主人公が住む町だったり、主人公が通う高校だったり、主人公が旅行に行く先だったり――100%の確率で事件が起きるようになってから言ってもらいたいものですよね」
「それは違いますよ!?」
「あら、そうですか?」
それはもう、疫病神というあだ名では済まない何かだ。
そういうのは、フィクションの世界でのみ許される。
現実でそんなことが起きたら、黒幕であることを疑ったほうがいい。
だけど、だいぶ楽になった。
今の言葉のおかげで、悩みを笑い飛ばすことが出来るようになった。
それはただの『あるあるネタ』になってしまったのだから。
「それに、そんなに落ち込むことはないと思いますよ?」
「何故ですか?」
「朝比奈さんも、凪の性格のことは分かっているはずです。私が気づいたところまでは、朝比奈さんもその内気づくはずです」
「そうでしょうか?」
「はい、勿論です。この私が保証します」
先輩は自信ありげに言った。
そのタイミングで、スマホにメッセージが来た。
名残惜しいけれど、先輩の胸から顔を離してスマホを見る。
送り主は澪だった。
『ごめんなさい。
明日、話せませんか?』
ぼくは先輩にそれを見せる。
桐島先輩は、微笑みながら言った。
「ほら、言った通りでしょう?」




