図書館の謎①:氷の姫君、いじわるをする
ぼくは澪の家を後にすると、本屋に向かった。
そして『黎明の叛逆者』の最新刊を購入した。
書店で購入すると、イラストが描かれた厚紙が付いてきた。
そう言えば、書店で買うと特典がついてくることがあった。
しばらくネット通販で済ませていたから、忘れていた。
なんだか、少しだけ得したような気分になった。
家に帰っても、電気はついていなかった。
そう言えば、さっき家にいた時も先輩の姿は見ていない。
――もう、帰ってしまったのだろうか。
いや、だとしたら家の鍵がかかっているのはおかしい。
ぼくは『秘密の部屋』のドアをノックする。
反応はなかったから、合鍵を使って鍵を開けた。
そして、部屋の電気をつける。
桐島先輩は、部屋の中にいた。
ソファーに横になり、静かに寝息を立てている。
暗い中、何もすることがなかったのだ。
待っているうちに、眠ってしまったのだろう。
パジャマを着た無防備な姿。
銀色の髪はさらさらで美しい。
安心しきった表情。
それを見て――。
ぼくはつい、彼女の頭を撫でてしまった。
自分でもよくわからない、衝動的な行動だった。
サラサラの髪の手触りが心地よい。
何故か頬が緩み、いつまでもそうしていたいと思った。
だけど、そうはいかなかった。
しばらく頭を撫でていると、先輩がゆっくりと目を開けた。
まだ、何をされているのかよく分かっていないようだ。
ぼくは慌てて手を離す。
「……凪?」
トロン、とした表情で先輩はぼくの名を呼んだ。
ぼくは何事もなかったかのように、声をかける。
「待っていていただいて、ありがとうございました」
「眠ってしまっていました。いま、何時ですか?」
「九時半です」
「……遅かったですね」
先輩は、体を起こした。
そして、ぼくが手に持っているものを見つけた。
まだビニールがついている漫画の新刊だ。
「あ、買ってきてくださったのですね」
「……どうぞ、お読みください」
「凪は読まなくていいのですか?」
「どうぞ、先にお読みください」
先輩は不思議そうに首を傾げた。
だが、すぐにぼくの意図に気づいたらしい。
「仕方がありませんね。色々と『聞かなかったこと』にします」
「よしなに」
先輩は、この家の中にいた。
ぼくたちの会話は筒抜けだっただろう。
あの時、澪に言わされたセリフの数々も、聞いていたはずだ。
「ところで凪」
「なんでしょう、お嬢様」
「お嬢様は止めて下さい」
「畏まりました」
「では、凪。私を待たせた罰を受けていただきます」
「罰というのは、何ですか?」
ぼくは尋ねた。
先輩はソファーの開いているスペースをポンポンと叩いた。
もしかして「ここに座れ」という意味だろうか。
「失礼します」
ぼくは先輩の隣に腰かけた。
すると、先輩は身体を少しだけ倒し、ぼくにもたれかかってきた。
柔らかな感触が伝わって来る。
それに、フローラルな香りが漂って来た。
どうしてこの人は、こんなにいい匂いがするのだろうか。
「あの、先輩?」
「罰ゲームです。このまま、待っていてください」
「何をですか?」
「私が読み終わるのを」
それから、先輩は新刊を読み始めた。
ぼくは先輩の言うとおり、その側で待った。
口止めのためというのもある。
ただ、無断で頭を撫でてしまったことへの罪悪感の方が強いかもしれない。
そんなぼくの気持ちをよそに、先輩は漫画を読み続けていた。
ゆっくりと、時には大げさなリアクションを取って。
時々「まさか」とか「こうきましたか」とか言っている。
――これ、ぼくがやろうとしていたことだ。
先輩は、ちらちらとこちらを見て様子をうかがっている。
結局、先輩が読み終わるのに、三十分ほどかかった。
「お待たせしました」
「いえ、そんなことはございません」
ぼくは慇懃に言い返した。
すると、先輩は気まずそうに視線をそらした。
「申し訳ありません。無理を言って部屋を使わせていただいているのに」
「勿体ないお言葉でございます」
これも口止めのためだ。
あれらのセリフについて口外されたら、ぼくは羞恥心で死ぬ。
「調子に乗ってしまいました。お詫びに、何かしてほしいことはありませんか? この前のスマホのお礼もしていませんし」
「何でもいいですか?」
「ええ、勿論です。私が愛読している本のようなことでも構いません」
先輩の愛読書。
それは、十八歳未満の少年少女が読むのに適さないものだ。
そこに書かれているようなことを、このぼくに許そうというのか。
「本当ですか!?」
「凄い食いつきですね」
「いや、信じられなくて」
「本当ですよ。お望みでしたら、それで構いません」
先輩はよどみなく言った。
パジャマ姿の女性の誘惑。
しかも、信じられないほどの美少女だ。
その威力は高く、ぼくの心を容易に撃ちぬいた。
「どうする?」
誘惑するように、先輩の身体が寄せられる。
薄い生地のパジャマは、胸元が大きく開いている。
トロンとした瞳が、本気である可能性を思わせる。
「え、あ、あの……」
「どうするの?」
どうすればいいというのだろうか。
ぼくにはこうやって迫られた経験がない。
今後も、二度とないだろう。
学校一の美少女からの誘惑。
それにどう応えればいいのか分からない。
むしろ、ここで応じてしまっていいものか。
ぼくは深く自問自答した。
その結果――。
「ごめんなさい」
誠意をもって謝罪した。
先輩は、この上なく美しい人だ。
だが、ぼくには先輩に対する恋愛感情はない。
そんな状態で、誘惑に従っていいはずがない。
対する先輩は、先輩は目を大きく見開いていた。
身体をぼくから離すと、床の上に座る。
そして、ゆっくりと頭を下げて――。
「すみません。冗談でした」
そう言った。
冗談――ああ、そうだろうね。
そうだと思った!
冷静に考えれば、それ以外の可能性はない。
それは分かっていたことだった。
ただ、先輩の魅力は、その理解を飛び越えていたのだ。
だから――。
「とう!」
ぼくは先輩の頭に、手刀をお見舞いした。
割と強めに、しっかりと釘をさすように。
「もう、二度とやらないでくださいね」
「はい」
「大体、ぼくが襲い掛かったらどうするつもりだったんですか?」
「私の愛読書は『Hi,情事』だと言って逃げるつもりでした」
「エログロホラー!?」
確かに、あの作品に描かれているようなことは出来ない。
やろうと試みただけで、色々な法律に引っかかる。
「それでも、ぼくが納得せずに襲い掛かる可能性もあったと思いませんか?」
「思いません。アナタは『そういう人』ではありませんから」
「万が一、そうなったらどうするつもりですか?」
「……どうしましょう?」
他人事のように先輩は言った。
なんだか、とても心配になってくる。
――とにかく、切り替えよう。
ぼくは話題を反らすことにした。
考えてみれば、丁度やってほしいことがあった。
「それじゃあ、先輩にやってもらいたいことがあります」
「何でしょう!」
先輩は目を輝かせながら言った。
この人、何だか犬っぽいな。全力で尻尾を振っていそうだ。
「実はですね――」
「いえ、言わなくて結構です。目を見れば分かります」
「分かりますか?」
「おすすめの官能小説を紹介してほしいのですよね」
「違います」
「違うのですか?」
「全く違います」
今のは、本気で言っていたのだろうか。
「先輩、澪の件は、聞こえていましたか?」
「あの、格好いいセリフですか?」
「それは忘れてください。これから話すのは、図書室で起きている問題についてです」
「それは、聞こえませんでした」
確かに、澪の声は小さかった。
この部屋にいたら聞こえなかっただろう。
ぼくのセリフも聞こえなければよかったのに。
「澪は図書委員をしているのですが、現在問題が起きています。それを解決したいと思います。そのために、必要な手順があるのですが――明日の放課後『下準備』の手伝いをお願いしたいのです」
「何をするのですか?」
「やることは簡単です。明日の放課後、図書室に行って本を借りてください」
「分かりました。その後は、どうすればいいのですか?」
「図書室の前にある『返却ボックス』に入れてください」
「……え?」
先輩は、驚いていた。
せっかく借りたのに、すぐに返すというのだ。
「何のためにですか?」
「念のために、です」




