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お隣の氷姫は、ぼくにだけ微笑む  作者: こねこねこ
第2章 朝比奈澪の秘密

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朝比奈澪の秘密⑦:陸上少女、勝負する

 地獄のレコーディングが終わった。

 ようやく終わった。

 よく考えたら、あの開かずの間には桐島先輩がいるのだ。

 ぼくのセリフを聞かれていた可能性がある。


 ――何とかして、忘れてもらおう。


 後で『記憶 消去』で検索することにした。

 うん、旧部室棟での澪の気持ちがよく分かる。


「満足したわ!」


 澪はすっかり元気を取り戻していた。

 無茶ぶりに応じたかいはあった――そう思いたい。


「それじゃあ、そろそろ帰るわね」

「ああ、うん」


 外を見ると、すっかり暗くなっていた。

 時刻は午後八時過ぎ――。

 部活が終わる時間はとっくに過ぎている。


「送っていくよ」

「え? 別にいいわよ」

「いいから、送っていくよ」


 澪の家は、ここから歩いて十五分程度の場所にある。

 治安的には危険はないように思うけれど、一人にしたくない。

 ぼくは有無を言わさず、澪と一緒に家を出た。


 外は暗くはなっているものの、街灯の光に照らされていた。

 満月も上がっていて、歩くのに危険はないだろう。

 涼しい風が心地よく、散歩には丁度いい。


 ぼくたちは、隣り合って歩いた。

 この道を二人で歩くのも、久しぶりだ。

 なんだか、いつもの風景が新鮮なものに見える。

 そう考えていると、澪が少し躊躇いがちに声をかけて来た。


「ねぇ、凪。手をつながない?」

「……何故?」

「乙女が手をつなごうって言ったのよ。理由を聞くのは非常識」


 確かに、その通りだ。

 今の言葉を言うのに、澪は勇気を出したのだろう。

 だから、ぼくが誤魔化すのは違う。

 ぼくは、出来るだけ自然に手を差し出した。

 別に、緊張しているわけでも照れているわけでもない。

 そう言うことで、一つよろしくお願いしたい。


 澪はその手にゆっくりと触れ、手をつないだ。

 小さな手のぬくもりが伝わってくる。

 とたんに、心拍数がはね上がった。

 顔が火照ってしまう。


「あれ、照れてる?」

「照れてない」

「そう? 私はすっごく照れてるけど」

「え?」

「嘘よ」


 澪は悪戯っぽく笑みを浮かべた。

 完全に騙されてしまった。

 澪に弄ばれてしまった。


「お前、そういうのは止めろよ」

「悔しかったら、やり返して見なさいな。なんなら、勝負でもする?」


 成程――勝負と来たか。

 ぼくたちは、以前はよく勝負をしていた。

 それが、ぼくたちのコミュニケーションの取り方だった。


「どんな勝負だ?」

「恥ずかしがって、先に手を離した方が負け」

「いいだろう。それで、負けたらなにかあるのか?」

「そうね。私が勝ったら、癒しボイス第二段の制作に全面的に協力してもらうわ。場合によっては、売り出すことも視野に――」

「それは止めろ」

「冗談よ。売り出しはしない」


 まぁ、妥当なところだろう。

 そもそも、これは『勝てる勝負』だ。

 これから向かうのは、澪の家。

 そこには、澪の家族がいる。

 手をつないでいる姿を、家族には見られたくないはずだ。

 少なくとも、引き分けは狙えるはず。


「それじゃあ、ぼくが勝ったら、さっきの録音を消してくれ」

「いいわよ」


 澪はあっさりと了承した。

 それほど自信がるのだろうか。


「それじゃあ、条件は整ったわね」

「ああ――」

「では、いざ尋常に――」

「「勝負!」」


 ぼくたちは、手をつなぎながら歩き出した。

 暗くなっているし、人通りも少ない。

 知り合いに見られる可能性は低いだろう。

 だが、知り合い以外に見られるのも気恥ずかしい。

 すれ違うたびに、通行人がちらりとこちらを見る。

 そんな居心地の悪さを誤魔化すために、話をする。


「図書委員の仕事っていうのは、何を手伝えばいいんだ?」

「主に返却業務ね」

「流れを説明してもらえるか?」

「職員室に、図書室の鍵を貰いに行く。そしたら、図書室を開ける。後は、カウンターにいて返却された本の処理をする」

「それだけか?」


 それだけなら、簡単だ。


「勿論、違うわ」

「違うのか」

「返却されるのは、カウンターだけじゃないの。図書室の前には『返却ボックス』っていうのがあって、そこに入っている本の返却処理もしないといけないの」

「成程」


 言われてみれば、そういう物があった。

 ぼくも以前利用したことがある。

 鍵のついた大きな箱で、そこに返却する本を入れるのだ。

 それで返却をしたことになる。

 実際には、図書委員がそこから本を取り出し、返却処理をしていたのだろうが。


「そっちが問題なのよ。毎日、沢山の本が入っていて、元の位置に戻さないといけない。だから、時間がかかるの」

「そんなに多いのか」

「返却だけなら、わざわざ対面でやらなくて済むから。放課後に来ても、図書室に入らずに、返却ボックスに本を返していくって人が大半ね」


 確かに、そちらの方が手軽だ。

 返却される本がそちらに集中するのも頷ける。


「それじゃあ、ぼくはそっちの処理をすればいいのか?」

「うん、頼める?」

「分かった」


 ぼくは了承した。

 これで澪の負担を減らすことが出来るだろう。


 ただ――。

 それでは、問題の解決にはならない。

 根本的な対処をするのであれば、調査が必要だ。


 ――明日、少し調べてみるか。


 ぼくはそう考えた。

 すると――。


「余計なことはしなくていいから」


 澪が釘を刺してきた。

 彼女は、中学生時代の時のことで責任を感じているらしい。

 あれは、ぼくが勝手にやったことだ。

 上手くできると思って、やらかしてしまったこと。

 だから、澪が気にするべきことではないのだが――。


 ――そう言う訳にも、いかないんだろうな。


 そんなことを考えていると、澪は想定外の方向に歩みを進めた。

 強引に手を引かれ、ぼくもそちらに方向転換する。


「こっちじゃないだろ」

「遠回り。まだ決着がつきそうにないから」


 そういうことらしい。

 確かに、簡単に引き分けとするのは良くない。

 勝負というものは、決着をつけるためにやるものなのだ。


「分かったよ」


 こうして、延長戦が始まった。

 すると、澪は一瞬だけ手を開いた。


 ――諦めたのか?


 そう思ったのだが、それは違った。

 澪は自分の指を、ぼくの指の間に滑り込ませた。

 指同士が交互に組み合わさる――いわゆる『恋人つなぎ』だ。

 先ほどに比べ、触れる肌の面積が格段に多くなる。


「澪、これは……」

「何か問題ある?」


 澪は悪戯っぽい笑みを浮かべながら尋ねた。

 成程、そちらがその気なら、こちらにも考えがある。


「いいや、何も問題はないよ」


 ぼくはしっかりと澪の手を握り返した。

 さぁ、延長戦の始まりだ。

 家の近所でありながら、普段通らない道を歩きまわる。

 少し紅潮した顔が街灯に照らされるが、互いに平静を装っている。

 その間、ぼくたちはずっと手を握っていた。

 勝敗がつかないまま、ずっと。

 だけど、いつまでもこうしているわけにはいかない。

 澪の帰りが遅くなると、家族が心配するだろう。


「そろそろ、家に向かうか?」

「そうね」


 ぼくたちは、澪の家に向かった。

 そして、五分ほどで朝比奈家の前に到着した。


「それじゃあ、また明日」

「ああ、また明日」


 互いにそう言う。

 だが、手は離さなかった。

 澪がここまで負けず嫌いだとは。

 完全に想定外だ。


「ところで、手を離さないのか?」

「そちらからどうぞ」

「いや、ここはもう家の前なんだから」

「名残惜しくて」


 嘘つけ!

 家族に見られてもいいのか。

 見られた時のダメージは、澪のほうが大きいはずだ。


 そう思っていたら――。

 玄関に、澪の母親が出てきた。

 遅くなった娘を心配していたらしい。

 ぼくたちが手をつないでいるのを見ると、笑みをこぼした。


「あ、お母さん。ただいま。ちょっと待っててね。凪が家の前なのに、手を離してくれなくて」


 何だこの鋼メンタルは。

 家族の前で、平気だと!?

 あの時の涙も嘘だったんじゃないのか。


「澪、そろそろ手を放そうか」

「そっちから離せば?」


 母親の前で、手をつなぎ続けるとは。

 どうやら、澪のことを舐めていたようだ。

 だから――ここからは、本気を出させてもらおう。


「そう言えば、今日は澪に頼まれて、甘い言葉をささやいたんです」

「なっ!?」


 澪は動揺していた。

 事実を基にしている以上、澪も否定できない。


「手を放したがらないのは、澪の方なんですよ。ぼくは、澪が手を放そうとしたら、すぐに応じるんですけどね」

「この……」


 ここまでくれば、澪の方から離すだろう。

 そう考えていたのだが――。


「丁度いいから、アナタもいらっしゃい」


 思わぬ伏兵が現れた。

 澪の母親だ。

 まさか、ぼくを家に招き入れようとするとは。


「いえ、もう遅いですし」

「何なら、車で家まで送るよ」

「それは悪いですよ」


 ぼくは、それを全力で固辞した。

 だが、澪はニヤついている。


「せっかくお母さんがこういっているんだから、寄って行ったら?」


 これはもう、負けを認めるしかない。

 このままでは、家の中に引きずり込まれてしまう。

 完全なるアウェー。

 しかも、恋人でもないのに、指を絡めている。

 そんな状況をどう説明すればいいというのか。


「家まで送ることが出来たから、今日のところはこれで失礼します」


 ぼくは手を離した。

 完全敗北だ。

 異様に悔しく思えた。


 だが――それ以上に、嬉しかった。

 昔のように下らない勝負をすることが出来た。

 それは、何よりも大切なことで。

 勝敗にこだわる意味などなかったように思えた。


 ――って、違う!


 ぼくが負けたら、罰ゲームが待っているのだ。

 また地獄のレコーディングが始まる。



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