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お隣の氷姫は、ぼくにだけ微笑む  作者: こねこねこ
第2章 朝比奈澪の秘密

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朝比奈澪の秘密⑥:陸上少女、打ち明ける

 澪は、ぽつりぽつりと言葉を落とし始めた。


「……私、図書委員になってるでしょ。金曜日が担当で、返却が多いの。放課後に図書室を一時間開けて、そのあと返却本を全部戻すの。それで、どうしても部活に行くのが遅くなる日があって……」


 震える声で、澪が続ける。


「そしたらね……。先輩に言われたの。『部活が面倒だから、わざとゆっくりやってるんじゃないのか?』って。声の大きな先輩で、周りにも聞こえるように、何度も言われた。それで、今日――顧問に呼び出されて……。『やる気がない態度だと迷惑だ』って言われたの。それで、今日は練習に参加させないって言われて……」


 澪の肩が小さく震えている。

 こいつは、誰よりも頑張っている。

 だからこそ、顧問の一言は彼女を深く傷つけたのだろう。


「否定はしたのか?」

「した。でも、顧問は信じなかった。近くにいた司書にも聞いて……。そうしたら、司書も『そんなにはかからないと思いますけど』って答えて……」

「それで、冤罪というわけか」


 澪は首肯した。

 それがどれだけ悔しいかは分かる。

 彼女は一生懸命やっていたはずだ。

 そんなものは、彼女の性格を知っていれば分かることだ。

 陸上についても楽しそうに語っているのを何度も見聞きしていた。


 そんな彼女が、不正をするわけがない。

 でも、顧問や他の部員たちは、そうは思わなかったらしい。


「いつの間にか、それが事実ってことになっちゃってた。誰も私のことを信じてくれない。とても居心地が悪いの。でも……陸上は止めたくない」


 それが澪を苦しめているのだろう。

 今の彼女にとって、部活動は居心地のいいものではない。

 もしかしたら、前からそうだったのかもしれない。


 でも、彼女は陸上競技が大好きだ。

 居心地が悪かったとしても、続けていきたいはずだ。

 そのためには、我慢するしかない。

 一人で孤独に耐え抜くしかない。

 どれだけ酷い扱いを受けても。

 どれだけ居心地が悪くても。

 平気な振りをして。


 それでも、限界はある。

 澪の瞳から、涙がぽろぽろとこぼれていた。


 それを見て、心臓が締め付けられるような思いになった。

 澪は幼馴染だ。

 それ以上でもそれ以下でもない。


 それでも――。

 彼女を泣かせた人間を許せなかった。

 関係者に対する、攻撃的な感情が膨らんでいく。

 こんな理不尽を飲み込めるはずがない。

 飲み込む必要もない。


「ゴメン。迷惑だよね」

「ああ、迷惑だ」


 澪がびくりと肩を振るわせる。

 だけど、ぼくは続けた。


「でも、迷惑だからって放っておけるわけじゃない」


 澪は驚いたように目を見開いた。

 そして――躊躇いがちにぼくの横に移動した。


「澪?」


 何がしたいのか分からず、様子をうかがう。

 すると――澪はゆっくりと、ぼくに抱き着いてきた。

 小さな身体が、押し付けられる。

 彼女の指が、ぼくの服を強く握った。

 震えも伝わって来る。

 それだけ、必死なのだろうが――。


 ――これ、どうすればいいんだ。


 何分、初めての経験だった。

 心臓が跳ね上がり、身体が硬直する。

 とりあえず、目の前にある頭を撫でてみる。

 しん、と静まり返った部屋の中、小さな嗚咽だけが聞こえてくる。

 そんな状態がしばらく続いた。

 そして――。


「ねぇ、凪」

「何でしょう?」

「……私を助けてくれる?」


 澪は泣きはらした目で尋ねた。

 そう言われては、断ることは出来ない。

 そもそも、断ろうなんて発想すらなかった。


「……ああ、勿論だ」

「それじゃあ、お願いがもう一つあるんだけど」

「何でも言ってくれ」

「私、凪の声が聞きたい」

「……声?」

「凪の声で、慰めてほしい」

「ぼくの声でいいのか?」

「うん」


 ぼくの声に、そんな価値があるのだろうか。

 それは分からないが。

 それで澪を慰めることが出来るのなら、ぼくは躊躇わない。

 何時間でも、慰めの声をかけてやる!


「分かった。それくらいのこと、やってやる」


 澪の表情が、少しだけ明るくなる。

 それを見て、ぼくは判断が間違っていなかったと確信した。

 慰めの言葉でいいなら、いくらでもかけてやる。

 そう思っていたのだが――。


「それじゃあ、録音するね」

「……ん?」


 脳がフリーズした。

 録音だと?

 よりによって、録音?

 恥ずかしい言葉を半永久的に残すつもりなのか。

 正気の沙汰とは思えない。


「私には、癒しが必要なの」


 澪の精神状態は、ギリギリのところにある。

 だから、自分を肯定してくれる言葉が必要なのだ。

 旧部室棟での音声も、それだったのだろう。


「あの声優の声がね――。じゃなくて、凪の声が、あの声優の声に似ているのよ」

「……つまり?」

「癒しが必要なので、録音させて」


 ぼくは『それくらいのこと、やってやる』と言ってしまった。

 今更それを取り消すことは出来なかい。

 出来ないのだけれど――。


「録音する必要はないんじゃないかな~、なんて思うんだけど」

「必要に決まっているじゃない」

「決まっているのか!?」

「そりゃそうよ。凪は、二十四時間三百六十五日、私の耳元にいることは出来るの?」

「それは無理だけど」

「ね?」


 何が「ね?」なのだろうか。

 全く理解できないが、澪は疑問に思ってすらいないようだ。


「あー、辛いな~。このままじゃあ、家に帰れないな~」

「お前、実はそんなに落ち込んでないだろ!?」

「そんなことはないわよ! 落ち込んでる! だから癒しを!」


 澪は作り笑いを浮かべながら言った。

 それは明らかに無理をしている表情で――。


「分かったよ」


 落ち込んだ気持ちを、少しでも晴らせるのであれば。

 ぼくは全力で頑張ることにした。


 それからのことは、思い出したくない。

 何故か澪のスマホには『素敵台詞』というリストがあった。

 ぼくは、そこに記された恥ずかしいセリフを延々と言わされた。


『君の笑っている顔は、とても素敵だよ』

『君のことは、もう絶対に離さない』

『君のことが、大好きだ』

『世界よりも、お前の方が大事だぜ』


 羞恥心で頭がおかしくなりそうだった。

 だけど、そのかいあってか――澪の表情が少しだけ明るくなった。

 というか、妖しくなった。

 時折『ぐへへ』という声が漏れていた。


 ――これは、本当にやる意義があるものだったのか?


 その疑問は、深く考えないことにした。

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