朝比奈澪の秘密⑤:陸上少女、助けを求める
自宅に向かいながら、ぼくは思考を巡らせていた。
桐島先輩と澪を会わせるのはマズい。
何故彼女がぼくの家にいるのか、そう問われることになる。
そうなれば、秘密のことを追及されかねない。
だから――。
――先輩には家から出て行ってもらおう。
そう考え、メッセージを送ろうとする。
だが、留まった。
先輩は、ぼくの家の鍵を持っていない。
だから、家から出て行った場合、鍵が開けっ放しになってしまう。
そうなれば、澪は何かあったと疑うことになるだろう。
悩みを聞けるような状況ではなくなってしまう。
だから、先輩には電気を消して隠れていてもらうことにした。
そうすれば、澪と鉢合わせすることはないはずだ。
アパートに戻り、共用部から自宅の窓を見る。
電気は消えていた。
先輩は指示通りやってくれたらしい。
というか、窓から脱出してもらえばよかった。
窓の鍵が開けっ放しになっていても、気にしないだろう。
というか、気づかれないだろう。
ぼくはドアの鍵を開け、玄関に入った。
部屋の中は静まり返っていて、人の気配はない。
だけど、桐島先輩は『秘密の部屋』の中にいるはずだ。
「……あ」
玄関に入ると、女性もののローファーがあった。
先輩の靴だ。
これに関しては、指示していなかったぼくが悪かった。
家の中に誰かがいることを澪に気づかれてしまったかもしれない。
そう危惧したが、澪は気にしていないようだった。
暗くて見えなかったのだろうか。
(この時、澪はローファーは凪のものだと思っていた。明らかにサイズが違うが、本人以外は気づかない)
「この家来るの、久しぶり」
「そうだな」
「この部屋、何なの?」
澪は早速問題の部屋に注目した。
そこには『秘宝眠る』と書かれたプレート。
これの存在を忘れていた!
「『秘密の部屋』だよ」
「秘密の部屋って。いかがわしいものでも置いてあるの?」
「……違うよ」
ぼくはそう答えた。
パジャマ姿の先輩は、いかがわしいものに含めなくていいだろう。
いや、それを以前に、いかがわしい本(18禁小説)はあったな。
まぁ、訂正はしなくていいや。
「もしそうなら、こんなに堂々とはしていないだろ?」
「……そうだね」
そう言って、澪はドアを開けようとした。
ヒヤリとしたが、鍵がかかっていた。
桐島先輩が機転を利かせてくれたらしい。
「一人暮らしなのに、鍵をかけた部屋がある。ますます怪しい」
「いきなり開けようとするなよ! 本当に変なものが出てきたら、どうするつもりだ!?」
「……理解に努める」
「ありがとう! でも、止めてくれ」
「分かった、ゴメン」
ぼくは澪をリビングに連れて行った。
荷物を床に置かせ、椅子を勧める。
とりあえず、ヤカンの麦茶をコップに入れてだした。
「粗茶ですが」
「苦しゅうない」
澪はそう軽口を言いながら笑った。
だが、その笑顔はぎこちなく、今にも崩れそうだった。
ぼくは澪の正面に座る。
「それで大丈夫か?」
「別に、大したことはないわ」
そんなわけがない。
だが、問い詰めても警戒されるだけだ。
それでは、力になることが出来ない。
「それじゃあ、ぼくに出来ることはあるか?」
「……親切ね」
「元々だよ」
「……そうね。そうだったわね」
そう言って、澪は押し黙った。
ここ数年、ぼくたちは疎遠になっていた。
悩みを相談する相手としては、あまり適切ではないかもしれない。
だが――。
少しして、澪は口を開いた。
「……手伝って欲しい」
「何を?」
「図書委員の仕事」
「何か、問題があるのか?」
「えっとね、量が多すぎるのよ。本当に面倒くさくて、嫌になっちゃう。だから、手伝いが欲しいの」
澪はまくしたてるように言った。
顔には、無理矢理作った笑顔を浮かべている。
おそらく、本当の悩みは別にあるのだろう。
だけど、図書委員の仕事も無関係ではない、といったところか。
とりあえず話を聞いて、そこから考えてみれば――。
「凪」
咎めるような声で、名前を呼ばれた。
気が付けば、澪がぼくの顔を覗き込んでいた。
――危ないところだった……。
つい、推理をしそうになっていた。
澪はそれを察したのだろう。
彼女は、ぼくが推理すること嫌っている。
仲直りをした今も、それは変わらない。
「分かったよ。とりあえず、図書委員の仕事を手伝えばいいんだね」
「いいの?」
「やることもないし、問題ないよ」
「本当に? 何のメリットもないよ?」
「ぼくを何だと思っているんだ!?」
そこまで人情味がないように思われているのだろうか。
それならそれで構わないけど。
「いや、でも、久しぶりに話せてよかった」
「ああ、そうだな」
「これまで、あの、えっと……」
澪の言葉が途切れる。
何かを話そうとしているが、言葉が出てこない。
そして、諦めたように口を閉じる。
リビングには、重苦しい沈黙が落ちた。
ぼくに出来ることは、待つことだけだ。
無理矢理元気づけることは、解決にはならない。
ぼくは待ち続けた。
どれだけでも待つつもりだった。
少しすると、澪の身体が小刻みに震え始める。
それを抑えようとしているのか、両手を握り締めていた。
「……う」
とうとう、澪の口から嗚咽が漏れ始めた 。
その瞳には、涙が浮かんでいた。
その姿に、胸が締め付けられる。
「澪。よければ、話してもらえないか?」
ぼくがそう言うと、澪は唇をかんだ。
しばらく、沈黙が落ちる。
そして――。
「このままじゃ、陸上が出来なくなる」
澪は。
あの強い少女は、苦しげにそう言った。




