朝比奈澪の秘密③:陸上少女、秘密がバレる
昼休みになると、ぼくは自席から離れた。
これまでは、自席で昼食を食べていた。
だけど、桐島先輩の件で質問攻めになりそうだったから、早めに消えておくことにしたのだ。
先輩の心遣い自体はありがたい。
だけど、ぼくには少々レベルが高すぎる。
向かった先は、旧部室棟。
校内はどこも人だらけで、一人になれる場所を見つけるのは困難だ。
その点、旧部室棟はよかった。
そもそも、入ってもいいものかどうかが分からない。
だから、人が寄り付かない。
そのはずだったのだが――。
いざ行ってみたら、人の姿があった。
そこにいたのは、小柄な女子生徒。
廊下の椅子に腰かけて、昼食を食べている。
耳にはイヤホンをしており、こちらには気づいていないようだった。
――なんで、アイツがこんなところに。
そこにいたのは、朝比奈澪だった。
予想外の人物の登場に、ぼくは驚いた。
彼女は、こんなところで一人で昼食をとるような人間ではない。
陽キャの中の陽キャ。
いつでも人の中心にいる人間。
そうであるべき人間だ。
ぼくは、気づかれる前に立ち去ることを検討した。
三十六計逃げるに如かず。
気まずい思いをする前に、即時撤退。
これこそが陰キャの生存戦略というものなのだが――。
気づかれてしまったようだ。
目と目があってしまった。
りくじょうしょうじょ の みお が あらわれた。
ポケモンバトルの開始だぜ!
さて、冗談はさておき――。
澪は驚いた様子でこちらを見ていた。
そして、慌ててスマホを操作しイヤホンを外した。
いかがわしいサイトでも見ていたのだろうか。
そんなわけないか。
最近、物事の判断基準が桐島先輩に侵食されてきている。
「……やぁ」
「どうも」
会話が成立してしまった。
このままどこかに行くのも感じが悪いだろう。
ぼくはもう少しだけ、話を続けることにした。
「何でこんなところに?」
「そっちこそ」
「ぼくは、一人が好きなんだよ」
「……私も」
「嘘つけ」
こいつは、集団の中心にいる人物だ。
一人でいることが好きなわけがない。
そう思っていた。
そう思い込んでいた。
だけど――。
「……ここなら、誰も探しに来ないから」
澪の表情に影が差した。
その一言に、はっとした。
思い出す。
小学生の頃の澪は、人見知りで、ぼく以外と話すのが苦手だった。
それが変わったのは、中学生になってから。
彼女が人気者になったのは、中学に入って陸上を始めてからだ。
性格も明るくなった。
多くの人と仲良く話すようにもなっていた。
それで変わったように思っていた。
だけど、そうではなかったのかもしれない。
ずっと虚勢を張っていただけなのかもしれない。
沈黙が落ちる。
それを破るように、澪が話し始めた。
「桐島先輩とは、どういう関係なの?」
「どうって、スマホの――」
「それ、嘘でしょ?」
「いや、嘘じゃないよ」
澪の瞳が、まっすぐぼくに向けられる。
なんだか、見透かされているような気になった。
「嘘じゃないけど、本当のことも言っていない」
正解だった。
流石は幼馴染だ。
ぼくのことをよく知っている。
「もしかして、本当に深い仲になっているの?」
「そんなわけないだろ」
「そ、そうよね。ま、何でもいいけど」
澪は笑みを浮かべながら言った。
その笑みは、どこかぎこちないように思えた。
「どうして、そこまで他人のことが気になるんだろうな」
「べ、別に、アンタのことなんて気になってないわよ!」
「いや、澪のことじゃなくて。ぼくが言ったのは、クラスの連中だよ。口を開けば、他人の噂話ばかりしている。自分には関係ないのに、他人の粗探しばかりしている」
勿論、他の話題もあるだろう。
だけど、噂話が圧倒的に多い。
放っておいてくれればいいのに。
「……調整しているからでしょ」
「調整?」
「佐藤凪という存在を、どう扱えばいいのか分からないのよ。クラスの人たちは、凪のことを一段下に見ているんだけど――自覚ある?」
「もっと下に見られていると思っていたよ」
「もっとって……」
「九段下とか」
「逆に格調高くなっているわね」
澪は律儀にツッコミを入れてくれた。
「話を戻すわ。クラスの中って、人間関係が複雑でしょ?」
「そうなのか?」
「そうなのよ! どうして分からないの?」
「ぼくには関係のない話だからね」
「一応、クラスメイトなのに……」
澪は呆れたように言う。
だけど、事実は事実なので問題ない。
ぼくレベルの陰キャになると、他人への関心がなくなる。
クラス内の人間関係など、全く気にならなくなるのだ。
「とにかく、普通の人は、周囲の様子をうかがいながら人間関係を構築していくのよ。一つ選択を誤れば、一気に最下層に落とされる可能性もある。だから、何が正しくて、何が間違っているのか――それを噂話や陰口で確認し合っているの。そうしておかないと、不安で仕方がないの」
「……成程」
澪は人間関係をよく見ているようだ。
無敵の陽キャ様となってしまったと思っていたけれど――。
それはどうやら、間違っていたらしい。
「陰キャの魂は失っていないようだな」
「そんなものいらないわよ!」
澪はツッコミを入れた。
その拍子に、澪の手元が狂い、スマホに触れてしまう。
すると――。
『お前のこと、愛しているぜ』
スマホから、甘い声が聞こえてきた。
耳触りの良い男性の声。
どこかで聞いたことがあるような気もするが。
――どこだったかな。
澪は慌ててそれを止めようとした。
だが、手が滑って床に落としてしまう。
『誰が否定しても、ぼくはお前のことを肯定するぜ』
『お前は最高だ』
『アイ ラブ ユー なんてな』
静かな旧部室棟に、甘い言葉が響き渡る。
澪は慌ててスマホを拾い上げて、音声を止めた。
沈黙が落ちる。
そして、ぽつりと――。
「何か、文句ある?」
顔を真っ赤にして言った。
「いや、別に……」
「嘘ね! 馬鹿にしているでしょ!」
「してないよ」
「絶対に馬鹿にしているわ! そして、ばらすわ!」
澪は目に涙を浮かべながら言った。
ぼくがそんなことをするわけがない。
彼女なら、それを分かってくれるはずだ。
だけど、今は冷静に考えるだけの余裕がないらしい。
「ちょっと待ってなさい。『記憶 消去』で検索しているから」
「方法が分かったとして、実行するつもりか!?」
「勿論よ!」
冗談なのか本気なのか分からなかった。
混乱している彼女なら、やりかねないような気もする。
ここは、いったん逃げておいた方がいいかもしれない。
「それじゃあ、ぼくはこれで――」
「ちょっと、待ちなさい」
立ち去ろうとするぼくの腕を澪が掴んだ。
手にこめられた力に、絶対に逃がさないという意思を感じる。
「何だよ?」
「佐藤の恥ずかしい秘密を教えて! それで、口止めということにするから」
「ぼくに何のメリットがあるんだ?」
「それは……」
澪は口ごもる。
ぼくにメリットはない。
だが、このままでは不安なのだろう。
このことがバレたら、色者扱いされる。
安心するための担保が欲しいのだ。
その気持ちは、桐島先輩の件でよく分かっている。
だから――。
「前からずっと、お前と仲直りしたいと思っていた」
ぼくはそう言った。
これがぼくの『恥ずかしい秘密』だ。
澪は少し驚いた様子だった。
それが良かったのか、冷静になってくれたようだ。
澪はぼくの腕から手を離した。
「……そう」
「それじゃ、ぼくはこれで――」
澪は、立ち去ろうとするぼくの服を掴んだ。
まさか、ぼくの記憶を消すのを諦めていないのだろうか。
「あの、澪……?」
「この状況で、どっかに行く気なの?」
「えっと――」
「仲直りしたいって、言い捨てて行く気?」
「ぼくはどうすれば?」
澪は、目をそらしながら「一緒に食べていきなさい」と言った。
もしかしたら、これはぼくの言葉に対する返答なのかもしれない。
「分かった」
ぼくは澪の隣に腰かける。
ぼくたちは、久しぶりに会話らしい会話をした。
その途切れぬ音が、静かな旧部室棟に響いていた。




