朝比奈澪の秘密①:陸上少女、声をかける
「ねぇ、凪。『愛してる』って言って」
「……愛してる」
「駄目。もっと、感情を込めて」
ある日の放課後――。
ぼくは幼馴染である朝比奈澪に『甘い言葉』を強要されていた。
場所はぼくの家のリビング。
彼女の手にあるのは、録音のためのスマホ。
『君の笑っている顔は、とても素敵だよ』
『君のことは、もう絶対に離さない』
『君のことが、大好きだ』
『世界よりも、お前の方が大事だぜ』
これらの台詞を、言わされ続けていた。
とぎれることなく、延々と。
かれこれ、一時間になるだろうか。
あまりの羞恥心に、時間の感覚もなくなって来ている。
「何でこんなことに……」
普段、間違っても言わないようなセリフ。
一言発するたびに、精神がゴリゴリと削られていく。
だが、澪は遠慮しない。
彼女は、一切の容赦なくたたみかけてきた。
「はい、次は『お前のこと、気になってた』って言って」
「……『オマエノコトキニナッテタ』」
「もっと感情を込めて! 私に対する愛を主張して!」
映画監督のように、偉そうに指示をしてくる。
――これ、いつになったら終わるんだ?
ぼくはそろそろ限界を迎えようとしていた。
この理不尽かつ不可解な状況。
終わりの見えない拷問。
何故こんなことになったのか。
それには、極めてまじめな過程があったのだ。
本当だよ。
×××
朝比奈澪。
彼女のことを一言で言えば、陸上少女だ。
小柄で細身。髪はショート。
肌は毎日の練習により日焼けしていた。
気さくで、明るい性格をしており、可愛らしく笑う顔が印象的だ。
教室内では、いつも誰かと楽しそうに話をしていた。
同級生だけではなく、時には教師とも。
誰からも頼られ、愛される。
まさに陽キャの中の陽キャ。
そんな存在だ。
ただし――。
その輪の中にぼくだけはいない。
ぼくだけは、そこに入るわけにはいかなかった。
ぼくたちは、昔は仲が良かった。
家が近くて、毎日のように一緒に遊んでいた。
彼女は、一番の親友だった。
だけど――。
ある出来事を境に、その関係は終わった。
ぼくは浅はかだった。
ぼくの小賢しさは中途半端だった。
そのせいで、彼女を傷つけてしまった。
それ以降、ぼくたちは疎遠になった。
会話をするどころか、目を合わせるのも避けるようになった。
その状況は、高校で同じクラスになった今でも変わらない。
正直に言えば、それを寂しく感じる。
気にしないようにしても、つい目で追ってしまう。
そんなことをしても無駄なのは分かっていた。
楽しそうにしている彼女を見ても、胸が痛むだけだった。
そのはずだったのだが――。
今朝、異変が起きた。
「……おはよう」
朝の教室で、澪がぼくに声をかけてきたのだ。
気まずげに、目をそらしながら。
その驚きに、身体が固まってしまった。
心臓の鼓動が速くなる。
おはよう――たった四文字の挨拶。
普通なら、気にするようなことじゃない。
だけど、ぼくと澪との間では違う。
このまま、二度とまともな会話は出来ないと思っていた。
でも、あちらから声をかけてきてくれた。
そのことに驚いたぼくは、言葉を返せなかった。
澪は「何よ」と言ってから、さっさと自席に行ってしまった。
――何かあったのか。
いや、それはどうでもいい。
重要なのは、彼女の方から声をかけてきてくれたことだ。
もしかしたら、昔の様な関係に戻れるかもしれない。
そんな期待が胸に生まれた。
だけど、その時は、それ以上深く考えることが出来なかった。
何せ、この直後には、ぼくの下に『特大の爆弾』がやって来たのだから。




