04話 『わや』
文芸部室での一件から数日後。
信幸と鹿乃亜の二人は、その文芸部室で来たる中間試験に向けての勉強をしていた。
なぜこうなったかというと、答えは簡単。毎回の授業を微睡ながら受けていて内容の記憶が曖昧なので成績がいい人に教えてもらおうと思ったからだ。
鹿乃亜は科される小テストは全部満点であり、何より一緒に勉強がしたかったから頼み込んだのだ。
すると、
「いいよ。ま、報酬は期待しとくね〜。」
とのことだった。喜んで報酬を払わせていただこうと思っている。
元々は友人である清水に教師役を頼もうと思っていたのだったが、奔放な彼が教えてくれるとは思えず、他に仲のいい友達もいないので鹿乃亜に頼むに至ったのだ。
下心がなかったとは言い切れない俺の頼みを快く受けてくれた彼女はやはり女神であろう。間違いない。
「こら、手を動かせー。」
向かい合わせの席から鹿乃亜の手が伸びてきて、シャーペンの頭で信幸の机をコンコンと叩いて注意を促してくる。
「ん、ごめん。」
鹿乃亜からの注意もあり、開いていた手元の数学の問題集を眺めてみるも、点Pが動き出したことに腹が立って、問題を解くのを諦めて鹿乃亜の方をチラリと見てみる。
彼女は、信幸のものと同じ数学の問題集に目を落とし、すらすらと問題を解いていた。いつもは濡羽色の長い髪の毛に窓から差し込む西陽があたり、茶色がかって見える。細くて白い指先には正しい持ち方でシャーペンが握られており、整った文字がノートに並んでいく。
意外と見たことのなかった鹿乃亜の正面姿に内心ドキドキする。
(やっぱ超綺麗…。てかまつ毛なが…。髪艶えぐ…。どこ見てもドキドキするぅ…。)
最近は彼女の内面にも惹かれ始めたが、やはりこの美貌からはどうしても目が離せなかった。
一人勝手に悶える中、ぱっと顔を上げた彼女と目が合ってしまう。
「こりゃ、こっち見とらんと集中せんかい。」
焦茶色の瞳でこちらを見据えながら、芝居がかった口調でもう一度注意をしてくる。
「いや〜、ちょっと点P動き出したからさ…」
「理由になってないよ…。」
「ぐぬぅ…。なんで点Pってこんなに動きたがんの…?」
「知らんがな。でもなんでPなんだろね。」
「確かに…?なんでだろ…?まあいいや!うし、くそ点Pがー!!俺が駆逐してやるー!」
「まあ確かにムカつくね。あたしも参加ー。」
ここから二人による誰得の点P悪口大会が開催されることとなった。
△▼△▼△▼
数十分にわたる悪口大会の末、二人の間には、『生産性がないから問題を解こう』という結論が出た。
「……。」
「…なんだったんだろ、この時間。」
「…超無駄だったね。」
「…心が荒んだ。」
「…勉強しよっか。」
「…だな。」
結局悪口を言って、いいことはないのだろう。
「あ、委員長。この問題教えてー。」
「どれどれ…って、榊原くん全く進んでないじゃん!」
「うん。点Pが悪い。」
「点Pの話はやめろー!もう教えてやんないぞー!」
「んな!?それは困る!ごめんなさいもう言いません!」
「ならよし。これはここがね——」
鹿乃亜の説明は、数学教師の授業よりも無駄がなくてわかりやすく、さっきまで自分では解けずに困っていた問題達がすらすらと解けていき、あっという間に範囲を一周してしまった。
「委員長説明わかりやす!もう授業聞かんくていいかも!」
「いや、それはダメでしょ。」
勉強ガチ勢の鹿乃亜も素敵だ。やっぱりどれだけオタク気質であっても根は真面目なのだろうな、と思う。
「いやでも、まじで助かる!お礼はしっかりとさせて頂きますので心配なく!……また今度。」
「いやいやいいよ。あたしの勉強にもなるし。」
「よくなーい!俺がよくなーい!」
「いいってば!」
「じゃあ、俺の財布を……」
「いらないって!」
「助かった…。今俺もう財布に960円しかなくって…。」
「さらに申し訳なくなる!」
「最終手段か…。俺のから——」
「一番ダメでしょ!ああもうわやじゃ!」
「ん?あ…」
「あ…」
鹿乃亜の顔がみるみる赤くなっていく。
「わ、わやって…」
「うううううう………」
唸るような声を出しながら顔を押さえて机に突っ伏してしまった。
「なんか多いね……」
「またやっちゃった……。」
どうも鹿乃亜はテンションが高くなったり気が緩んだら広島弁が出てしまうようだった。
「だ、大丈夫だよ。俺は気にしないしなんならいいと思ってる!」
「う、嘘つけい!」
「本当だって!俺は可愛いと思うよ広島弁!」
「え?」
「あ…。」
空気が固まる。今日何度目かもわからないシチュエーションを感じながらも、自分の失言に気づいて冷や汗が出る。
「い、いや!って別にか、可愛いってそういう意味じゃ——」
「へー、可愛いかぁ……。初めて言われた…。」
焦るこちらをよそに、鹿乃亜は感慨に浸っているようだった。
「いやいや!だからそういう意味じゃ…」
「ふふ、わかってるって。……ところでさ。」
「ん?」
「……やっぱなんでもない。」
「なんだよ」
「なんでもないって!ほら、時計見て!もう時間やばいよ!」
「本当だ。帰ろ。」
「じゃ、またね!」
そう言って鹿乃亜は先に部室を出て行ってしまった。
「何言おうとしてたのかなぁ…。」
誤魔化された感の否めないさっきの会話を訝しむ。
「まあ可愛いからヨシ。」
だが、結局問い詰める勇気もないヘタレな信幸は、鹿乃亜の可愛さでなんとでもなるのであった。
「あ、『わや』の意味だけは調べよっと。」
本人には絶対に聞けず、広島弁をスマホに尋ねてしまうところもまたヘタレな信幸であった。




