第20話 大切な人
サタルディーネ家の当主のみが扱うことを許される最高峰の契約術【永劫の誓い】の全過程を終えた真奈は、緊張の糸が緩んだのか強張った表情に穏やかさが戻る。
【永劫の誓い】は術者と契約者の魂を繋ぎ止めるもの。端的に言えば術者が生存する限り、契約者は一種の不死身の体を手にするということ。
術者は当然真奈で、真奈が無事な限り、契約者の颯太はどんなに致死的損傷を被っても体は再生する。
伝承にそう記されていたが、歴代の当主で使用する者が殆どいなかったため記録が少なく半信半疑であったが、伝承は正しかったようで、酷く損傷していた颯太の体はみるみると修復していくのが確認できた。
「呼吸も安定してるから、この調子なら暫くすれば目を覚ますね。ま、今はお疲れだと思うから、ゆっくり寝てていいんだけどね」
抜ける様な呼吸音が正常に戻ったのを耳で確認した真奈は眠る颯太の髪を優しく撫でる。
「話さなさいといけない事は沢山あるけど、それは後。早急にするべきは、あいつを––––––」
静寂な表情の真奈だが、その内心は怒りの嵐で荒ぶっていた。
颯太が助かったとはいえ、此度の内乱の首謀者であるアスタ・アミレッドの所業を看過する事はできない。
怒りに同調した魔力が真奈から漏れ出し、木床や壁に亀裂を生じさせる。
町民の部屋を壊している事に気づいた真奈は我に返り心と魔力を落ち着かせる。
そして名残惜しそうに撫でる手を離して踵を返す。
「じゃあ、私はそろそろ行くね。後でホロウ達をここに寄越すから、それまで待っていて……って、気絶してるんだから聞こえるはずがないか」
おちゃらけて言った真奈は気持ちを切り返す様に己の頬を叩き。
「私は魔王として、そして颯ちゃんの彼女としてケジメをつけに行くよ」
扉の取手に手をかけた真奈は最後に颯太へと振り返り。
「そうだ。私からこんな提案してなんだけどさ。前に颯ちゃんが誘ってくれたトロピカエルシェイクなんだけど、これが全部終わったら飲みに行こうよ。実は私って甘い飲み物が大好物だからさ、本当は行きたくてしょうがなかったんだよ。けど、今度の休みは領主会談とかが入ってて忙しくてね。そもそも、まともにデートとかした事もないから、近場でも良いから一緒に遊びに…………」
颯太の一命が取り留めたから切迫はしてないが、内乱はまだ鎮静していないから余裕を持っている場合ではないのだが、真奈は少し早口で意味のない独り言を口にしていた。
真奈は自身を恥、唇を噛みながら部屋から出て行った。
外へと出た真奈は屋根上を足場に再び戦地に戻る。
しかし、その足は何処か重たく感じていた。
それは決して契約による疲労ではなく、精神的な物だった。
真奈はこれから、自分が統治する国に恐怖と痛みを蔓延させた首謀者を文字通り粛清しに行く。
しかし、真奈は決して他者の命を奪う事には慣れていない。現に此度の内乱で真奈と対峙した敵は暫く身動きが出来ないとはいえ重傷止まりで死んではいない。
アスタ相手にも同様に温情をかけて捕縛で済ます事もできるが、街の上空を跳ぶ真奈は破壊された街並みを見下ろす。
「酷いな……どれだけ私に対して不平不満を抱いてたのか嫌って程分かるね」
数時間前は綺麗に舗装された街路、人々が幸福を育む住宅、それらが無惨にも破壊されていた。
敵は国を統治する現魔王の真奈に対しての叛乱。
真奈は己の未熟さを自覚しているため、相手側の気持ちを無視は出来ない。
だが、これはやり過ぎだと歯噛みするが、怒りが頂点に達する直前に何故か鎮めてしまっていた。
「本当に、自分の甘さにほとほと呆れるよ。こんだけ好き放題されたっていうのに、本気で怒れないなんて……いや、違うな。怒ってる。うん、確実に。けど、それを全面的に出して良い物なのか、私、迷ってるんだ……」
自分に対しての無礼はこの際目を瞑ろう。
だが、多くの民を傷つけ、大切な人を傷つけられて尚、真奈は己の怒りを解放して良いのか躊躇っていた。
「颯ちゃんを、みんなを傷つけたアイツを本気の本気で殺したいぐらいに憎んでいる。けど、怒り任せに暴力で解決すれば、これまでお父さんやお母さん達が築き上げてきたモノを全て壊してしまうかもしれない。そうなれば、私はなにを……」
先代魔王である真奈の父エルドラシェルは争いを好まない平和主義者であった。
魔王の妃である真奈の母三陸応菜もそれに賛同して、人間と言うだけで過激な差別をされて尚、国の平和の為に奮闘していた。
その姿を見て育ち、両親の在り方に憧れて真奈も全ての民が平穏で暮らせる国しようと今日まで頑張ってきた。
それを、どんなに許しがい悪事を働いた相手に対してでも、感情の赴くままに怒りに任せて力を振えば、両親から受け継いだ理想が崩壊してしまうのではないかと、真奈はそれを恐れていた。
「私はどうすれば……」
憤激と理想に板挟みに合い苦悩する真奈。
決断できない事で自身の胸が引き裂かれそうになるが、ふと、真奈は昔の事を思い出した。
「そう言えば……昔にもこんな事があったな。あの時、お母さんが言ったっけ」
真奈は幼少期の頃の出来事を思い出す。
当時の真奈の齢は5歳。
その時は今は亡き両親も両方存命で、真奈は王族の一人としてすくすく育っていた。
だがある日、真奈は一つの暴力事件を起こしたのだった。
真奈が暴力を振るった相手は爵位を有する名家のご子息で、怪我を負わされたのは3名。
当時魔王だった父エルドラシェルは、真奈に怪我を負わされた家に直々に謝罪に出向き、魔王自らの謝罪に怪我を負わされた子の親は慄き逆に平謝りされた事で大事に至ることはなかった。
謝罪後に父から軽い説教を受けた真奈は、母である三陸応菜の部屋へと向かった。
勿論、応菜の耳にも騒動のことは入っている。
応菜は今回の騒動の事情を確かめる為に、父に怒られ落ち込む真奈の頭を優しく撫で。
『どうしたのマナ。貴方が人を殴るなんて珍しいけど、どうして人を殴ったりしたのかしら? 何かあったの?』
『・・・・・・・・・・・』
応菜が尋ねても真奈は口を結んで目を合わそうともしない。
エルドラシェルも同様に事情を聞いてもだんまりだったと事前に聞いていたが、真奈が何も無く暴力を振るう子ではないと知ってる応菜は困った様に首を傾げる。
応菜が無言で見つめて来ることに耐えかねたのか、真奈は観念して口を小さく開く。
『アイツらが……お母さんのこと、バカにしたから』
『…………私を?』
応菜からして予想外だったのか戸惑いながらに聞き返すと、真奈は感情を荒ぶらせて涙目に叫ぶ。
『だってアイツら! お母さんがニンゲンだからってれっとうしゅだとか、かとうせいぶつだとかって言ってバカにしてきたんだよ!? ニンゲンだからなに!? 魔族に生まれてエラいの!? ふざけるな、バカッ!』
真奈の母にして魔王エルドラシェルの妻である王妃オウナ、人間名三陸応菜は真奈の言う通り人間であり、魔族からすれば異世界人である。
人間が異世界の住人だからと言って魔族は人間を認知していないわけでなく、太古から人間の存在を知り、魔力を持たず、貧弱な肉体故に虫同然の蔑まれる種族として差別される事も珍しくない。
応菜も立場上でもあるが、エルドラシェルには他に魔族の妻がいるが、彼女達と比較して暗殺される回数は多く、その要因は応菜が人間だからであろう。
影どころか直接幾度も嘲笑されてきた応菜は嘆息を吐き。
『なんだ、そんな事だったのね。お母さん、馬鹿にされるのは慣れっこだから、マナが気にする事じゃないんだよ』
『そんなことじゃないよ! なんでお母さんは怒らないの!? お母さんはすごくがんばってるじゃん! みんなのために、魔界が平和になるようにって……。マナ、くやしいよ……』
当時の真奈は齢5歳故に子供らしい癇癪を見せる事は稀にあったが、ここまで感情をむき出しに怒ったり泣いたりは珍しく、応菜は対応に困っていた。
だが仕方ない事だ。
子供だから外からの刺激を素直に受け取り、悪く言って何も考えずに放出する。
真奈には耐えきれなかったのだ。
応菜は魔界とは別世界にある人間界の住人でありながら、争いが絶えない魔界を憂い、魔界の平和を願い、心身を削りながら魔王を支える姿を間近に見てきたのだから。
その頑張りを、応菜が人間と言うだけで周囲、主に上流階級の者達は応菜を正当に評価せずに蔑み、嘲笑う。
これまで真奈も我慢していたが、貴族のご子息達の大好きな母に向けた罵倒に限界が来て暴力を振るってしまった。
これが此度の暴力騒動の顛末であるが、啜り泣く真奈に対して応菜は優しく抱擁する。
『そうだったのね。ありがとマナ。貴方は本当に優しい子ね。お母さん嬉しいわ』
叱責を覚悟していた真奈は母からの予想外の言葉に驚き、母の腕の中で首を振る。
『マナは……やさしい子、なんかじゃないよ。マナがなぐったせいで、また、お母さんたちがバカにされるんだよ……』
真奈は年齢の割には賢い部分があり、自分がしでかした事が良い事ではないことだとはっきり自覚できていた。
だが幼い事で感情の自制ができずに暴力を振るった。
だから自分は優しい子ではないと否定するのだが。
『いいえ。貴方は優しい子よ。だって、お母さんの為に怒ってくれたじゃない』
益々意味が分からず真奈が困惑するが、応菜は補足で言葉を足す。
『別に子煩悩だからってわけで言ってるわけじゃないわよ。貴方がもし、私以外でも、例えばお友達やホロウみたいな身近な大切な人の為に怒ってたとしても、私は貴方を褒めていた。だって、自分以外の為に怒ることは簡単じゃないから』
応菜が真奈を褒めている事は理解できた。
だが、真奈はその意味を飲み込めずに応菜を突き放す。
『ほめるって、マナはあいてをなぐったんだよ!? ケガさせたんだよ! ワルイことじゃん! これのどこがやさしいっていうの!』
相手の殴った感触が残る腕を憎たらしく見つめながら真奈叫ぶ。
そんな真奈に対して応菜は真剣な瞳で語る。
『マナ。貴方は何か勘違いしている。確かに暴力だけでは何も生まれない。どんな理由があろうと決して正当化して良いものじゃないけど、敬愛だけじゃ何も守れないのも事実なの』
『けい……あい?』
『私がマナやお父さんを大切に思っていることと一緒の意味よ。マナにだって大切な人はいるでしょ?』
『……うん。お母さんに、お父さん……ホロウに、サザンに、キョウ!』
『うーん。お父さん以外に男の人がいないのは少し寂しいけど、その中の誰でも傷つけられたりしたら、マナはどう思う?』
『…………かなしい』
『そうよね? それが当たり前の気持ち。お父さんも本当は戦いたくないし、出来る事なら平和的に戦いを収めたいはず。だけど、話し合いが通じない人の方が多いし、その人たちは簡単に私たちの大切な物を傷つけようとする。だからお父さんは、戦うの』
魔王エルドラシェルは歴代と比べると穏健派として名が通り、領土拡大等で敵国を攻めた事は一度もない。だが、国を、領土を、民を守る為に傷付き、血で穢れても尚、エルドラシェルは戦う。
その話は真奈は何度も聞いた事がある。
『だけど、戦いとなれば、必ずどちらかが傷つくのが戦いの条理。戦いにどんな名分や正義を掲げても、傷つき悲しむ者が現れるなら、決して正当化しては駄目。生涯その業を背負うしかない』
応菜は真奈の相手を殴った手を包み込み。
『マナ。貴方の行動は決して褒められた事じゃないだろうけど、優しさを履き違えたら駄目。大切な人を傷つけられて何もしないのは、優しさなんかじゃなくて只の臆病者。怒りなさい。大切な人を守る為に』
応菜は強く真奈を抱きしめ。
『だからこそ、今回みたいに私の為に怒ってくれた事本当に嬉しかった。ありがとうね、私を大切に想ってくれて。誰が何と言おうと、貴方は私の自慢の娘で優しい子なんだから』
応菜が語る持論は暴論かもしれない。
だが応菜は伝えたかった。
明日の我が身が保証されない人生の中で、娘が本当の意味で大切な人を守れる強い子になって欲しいと。
『マナ。貴方は私たちの意志を受け継ぐことはないわ。貴方は貴方の信じる道を、貴方が本気で信頼できる人たちと一緒に歩みなさい。貴方がどんな道を進もうと、私はずっと、信じてるから』
その言葉を聞いたのは、応那が病死する半年前のことだった。
応那が亡くなり10年以上経った今も、真奈の心に刻まれている。
「……そうだったね、お母さん。大切な人を傷つけられても怒らないのは、優しさや寛容ではなく、只の臆病者」
母から受け取った言葉を思い出した真奈は深呼吸を入れて黒雲を仰ぐ。
そして周囲の瓦解した建物や街路、破壊された屋台や街路樹を見渡す。
耳をすませば、今は閑散としているはずなのに残響の様に聞こえる罪なき人々の悲鳴。
今はまだ解放しない。ギリギリまで溜め込む。
この地獄の業火の様に燃え滾る感情を向けるべき相手と対峙するまで。
「それにしても、今思い返しても親バカというか、倫理的にどうなのってツッコミどころが満載だね、まったく」
乾いた笑いを零す真奈であったが、彼女の目にもう迷いはなく、決心がついた戦う目となっていた。
「けど、ありがとうお母さん。もう我慢はしない。私はずっと今回の行いの業を一生背負うよ。だからやっぱり優しい子じゃなくていい、悪い子になる––––––––颯ちゃんを、みんなを傷つけたクソ野郎を燃やし殺す為に」




